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ノア・フェルドマン: ハミルトン対マディソンと米国のパーティザンシップ(党派主義)の誕生

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Ray:小池ゆりこさんも,小泉進次郎氏も同じ事を言っています。【小池:寛容な保守、小泉:野党を批判しない~分断の時代を脱する時】、選挙民は批判しあう分断のまかやしよりも、生活に根ざした心にひびくうったえを選択し始めています。

10/10(火) 9:48配信

TED 統治を中道へと導くのです!

動画:https://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20171010-00002819-ted

翻訳

米国の政治について考えてきて 昨今 起きたことを理解しようとすると 次のような3つの主張に 行きつくことでしょう その1 米国のパーティザンシップ (党派主義)は最悪の状態である その2 米国は初めて地理的に 分裂してしまった― つまり 両沿岸部は 外向き志向であり 国の中央部は 内向きだということです その3 これらについて打つ手はない

本日 私がお話ししたいのは これらの考えはいずれも 一見 もっともなように思えますが そうではないことです 実のところ 米国の党派主義は 共和制の初期にまで遡るのです 当時も現在も 不気味なまでに同じように 地理的に二分されていました そしてこれは米国史を通して ずっと見られることです 最後に これが最も大切なことですが 実は私たちには 党派間の争いと党派主義を 管理するのに役立つ 格別な仕組みがあります その技術とは 合衆国憲法です 進化し続ける憲法は 巧妙に柔軟性を持って設計されたもので 実行可能な場合 党派間の意見の相違を 管理する方法を教えるという 特定の目的を持っています また 実行可能な場合 この意見の相違を乗り越える 技術を与えてくれます

さてこれからお話しするために まず米国史の重要な瞬間に 戻ってみたいと思います 派閥間の意見の相違 および 党派主義が生じた まさにその時です 米国史上には 党派主義が生まれた瞬間― 実際 そんな瞬間があったのです この話の主役となるのは ジェイムズ・マディソンです これが始まったとき ジェイムズ・マディソンは絶好調でした 彼自身が合衆国憲法だけでなく 憲法の考えをより世界的にすることにおいて アインシュタインのような存在でした そして 時が熟したことが 彼には分っていました 1785年から1788年の たったの3年間で 合衆国憲法を考えだし 理論化して設計し その批准にこぎつけたのです

では この成果の 本当の偉大さを示しましょう 当時 マディソンは 知り得なかったことですが 現在でも 彼が創案したのと同じ 憲法の技術は 米国内だけでなく 230年を経て カナダや インド 南アフリカ ブラジルなどでも使われています 世界各地の幅広い文脈において この技術は今なお優勢であり 統治管理における 最も効果的な技術です

その当時 マディソンは この問題を解決したので 国はスムーズに運営され 党派の利益を最小化するような 技術を生み出したので 政党はなくなるだろうと信じていました 特に彼は政党の存在に反対しており 政党が不要になるように 憲法を設計したつもりでした

憲法制定計画の最終段階である 批准の推進段階において 彼は多大な援助を アレグザンダー・ハミルトンから 受けました ハミルトンはマディソンと まったく対照的でした 控えめなマディソンとは反対に ハミルトンは情熱的で パンセクシャルでした 一方 マディソンは42歳になるまで 女性と口をきいたことがなく 初めての相手 ドリーと結婚し その後40年間幸せに暮らしました

(笑)

率直に言うとハミルトンは ヒップホップミュージカルの 主題になるような人物だったと 言えるでしょう

(笑)

マディソンはヒップホップの 主題には向いていませんね

(笑)

いやどんなミュージカルにも 向きません

しかし 意外なことに この2人が手を組んで 『ザ・フェデラリスト』を書いて 憲法の正当性を示すと共に 先に述べたように 憲法の批准の推進のための 計画書として 大いに効果を発揮し 大いに成功をおさめた論文集です

新政府が成立すると ハミルトンは財務長官になりましたが 彼には明確な考えがありました そして それは マディソンが憲法で行ったようなことを 金融機関やインフラに対して行うことです これも同時代人の誰もが知るところとなり この施策を良く思っていなかったであろう マディソンに ハミルトンはインフラにおける ニュートンだと告げたのです その考えは実に明快です ハミルトンは米国に 合衆国銀行を設立し 彼の言葉を借りれば 「不死」と言われた永久債を設定し さらに 代々国の主要な富であり続けていた 農業よりも 交易や製造業に 重きをおいた 政策を打ち立てたのです

マディソンは激怒しました 重要で決定的な決断を下し 単に旧友ハミルトンの間違いを 言い立てたり 誤った政策を採用したと言う代わりに ハミルトンの考えは違憲であり 2人で作成した憲法の 根本的な精神に反すると 訴えたのです ハミルトンの反応は 皆さんの想像どおりのものでした 彼はマディソンを 「個人的かつ政治的な敵」だと 宣言しました

親友で盟友であり パートナーでもあった この2人の建国の父たちは 敵意を抱きはじめました これをおなじみの方法で行ったのです まず 彼らは政党を結成しました マディソンは当初「民主共和党」 つまり「共和党」を結成しました ハミルトンは「連邦党」を結成しました この2政党がそれぞれ 採択した立場は 極端で、強調されていました 分かりやすい例を挙げると マディソンは国とは 製造業や交易や 農業で成立すると常に信じていたため ハミルトンは金融市場の手先だという 攻撃を始めました 金融市場についてはハミルトン自身が 国の責任者になろうとしていたのです それは極論でしたが マディソンはそう信じるように なっていました

彼は都市生活も攻撃し 両沿岸部は 腐敗していると述べ 人々に必要なことは国の中央部 内陸を顧みることであり 農民こそ共和党の美徳の エッセンスであるとしました 米国を偉大にした価値観である 特に革命の価値と 低い課税 農業に戻り 交易を減らすべきだとしました これに対してハミルトンは マディソンを世間知らずで 子どもっぽいとして反論し 彼の目的は米国を 原始的な専制主義の国とし 孤立的であり 世界的な規模では うまく機能しないと述べました

(笑)

双方とも本気で どちらの言い分にも それなりの理はあります それは 戦いを有利にするため 双方とも相手の見解を かなり誇張しているからです 彼らは新聞を発行しました これで米国史上で初めて 共和党あるいは連邦党の一方の視点からの ニュースが人々に伝えられました

その結果はどうだったでしょうか? 憲法がうまく機能したことが わかったのです しかし マディソン自身が 思いもよらないような 驚くべき方法でした まず 一連の選挙が行われて 最初の2回は 連邦党が共和党を破りました マディソンは驚きました もちろん 報道に不服を述べました

(笑)

ここでも かなり革新的な視点で ― マディソンが何か考えるとき 革新的でないことはありません 報道が連邦党びいきなのは 新聞の広告主がみな連邦党であるからだと 断定しました 広告主は英国資本の沿岸部の貿易商で 連邦党と一蓮托生だからなのです これが彼の当初の説明でした しかし 連邦党がひとたび 政権について 政府に対する批判は犯罪だとする 法律を作ると― 米国で起きたことですよ― それにもかかわらず 共和党の反撃が始まり マディソンは権利章典に組み込んだ 言論の自由を強調し 市民社会の持てる力を 組織化し始めました 案の定 全国あちこちで 「民主共和協会」と呼ばれる 小さなローカルグループが結成され 連邦党の一党独裁に 抵抗し始めました やがて 共和党はなんとか 選挙で勝利しました 1800年のことです マディソンは国務長官となり 友人でメンターでもある ジェファーソンが大統領となりました そして 次第に 連邦党を完全に 機能不全にすることに成功しました これが彼らの目的でした

なぜこれが起きたのでしょうか? それは憲法の構造上 党派を取り扱ういくつかの特徴が もともと組み込まれていたからです 何だったのでしょうか? ひとつ目 最も大切なことですが 言論の自由です 当時は画期的な考え方でした つまり 権力を失っても 政府はひどいと批判できます

2つ目 市民社会の組織化です 民間団体や個人 政党などの 根本的な変化をもたらそうとする 力がある組織です 最も重要なのは権力の分離で― 憲法が持つ重要な要素です 権力の分離については 当時だけでなく 現在もですが 統治を中道へと導くのです 右であっても左であっても 末端からの助けがあれば 米国では大統領になれます 判明したのは 中道と組まなければ 統治はムリだということです 政権が発足すると すぐに中間選挙があります これらは大統領を中道へと導きます

権力分離の構造によって 大統領は実は 統治することはできず 他の法律家の同意が必要な 法案を提出するだけなのです これは何かを成し遂げようとする 大統領を 中道へと導く機能があります 現在も新聞が明らかにしているとおり これらの原理は現在も 完全に機能しています どんな大統領が選出されても 憲法に従わなければ 何事も成し遂げることはできません そうでなければ 何度か起きているように 裁判所が対抗します これは最近だけではなく 過去もそうでした さらに 大統領には 中道の有権者を基盤にして 選挙に勝つことの 必要性を理解している議員が必要です また 政策を支援するスタッフが 法律を可決させるためには必要です それなしでは どうにもなりません

この党派主義の歴史に関する 短いトークの結論は 次のとおりです 党派主義は現実であり 深遠で 非常にパワフルで 大きな混乱のもとになります しかし 憲法の設計は 党派主義よりも深遠です 実行可能な場合 党派主義の管理を 可能にします 実行可能な場合のみ 党派による分裂を克服し 妥協を生み出します このような技術は 建国の父たちの時代にうまく機能し その孫の代にも機能したのです これは南北戦争の時は 機能しませんでした しかし 再びこれが機能し始めると 私たちの祖父母の代 両親の代 そして 私たちの代でも機能するでしょう

(拍手)

私たちの成すべきことは実に簡単です 自分の信念のもとに立ちあがり 自分が賛同する組織を支援し 自分にとって重要な問題について発言し 関わりを持ち 変化を起こし 自分の意見を述べ それを尊敬や知識と 自信を持って行い 協働することによってのみ 憲法はその機能を発揮するのです

深呼吸をして 自分の信念の下に立ち上がることです そうすれば うまくいくはずです

ありがとうございます

(拍手)

現在、米国の政治を脅かしている分断は、決して目新しいことではないと

 

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