2013年3月22日
多くの人はこの変化に潜在的には表現できないほどショックを受けているだろう。30年以上前から本格的にピリチュアル系の情報は流れていたが、生活の糧にしてはいけない世界なのに、いつの間にか多くの人がビジネス感覚で取り扱っている。
キリストやお釈迦様がビジネスをしていたかどうか考えたことがあるだろうか。聖なる世界はすでに宗教というかたちで人類のあるべき姿から大きくそれ、現在も惰性的に進行している。
「畏れを知らない傲慢さ」を正当化したのが階級制度と資本経済である。生きるためなら泥棒も止むを得ない。それがあたかもビジネスの大儀であるように平然と行われた。国家の侵略であった。支配階層が貧しく教育のない人々を使って略奪や搾取の手先をさせ、少し豊かにしてその者達からさらに略奪・搾取した。考えれば恐ろしい悪魔のような執念の世界である。
昭和48年ごろ日本も経済のバブル時期があった。一流会社のサラリーマンも投資にはしり、バブルが崩壊と共に核家族化した家庭が崩壊し悲惨な例も数多くあった。当時、諸悪は銀行と保険会社の有り余る資金だとされた。末端のしがないサラリーマンから大手会社の余剰資金まで大手証券会社を通じ世界の投資会社を経由して支配階級の懐にあっという間に消えてしまった。
資本主義経済という魔物を操って、ちょうど太らせた七面鳥をクリスマスに料理するように、市民は何も抵抗できず計画通り皿にのせられた。コックは銀行でウエイターは政府だった。こんな歴史がついこの間のことなのに、今度は宗教を批判しながら、スピリチュアル世界でまた同じように何事もビジネスにつなげる風潮と悪習慣が続く。
そろそろ、心からもっと楽しくなるように、ビジネス感覚を遠ざけて、「お互いの助け合い」の関係社会に還らなければならないと思う。もっと原始に還らなければならない。スピリチュアルに地球は急速に次元上昇し、今の汚濁した世界は遠いかなたに消え去ってゆくだろう。
昔だったら「ノアの箱舟」に乗り遅れないようにといったのだろうけれど、今は、UFOを越え、人間の霊(たましい)という壮大な乗り物が浮上して来ている。一人ひとりの人間の尊厳は偉大であることを証明しなければならない。
Blog”道” Deshi A より転載