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アセンションが家族共通のライフワークだったら全てはハッピー!
ベンチでとなりに座った小学3年生ぐらいの男の子に「UFO見たことある?」と話しかけたら、「見たことないけど、TVでよくやってるよ」と興味を示したのでインターネットの世界のUFO動画のサイトを紹介したら、目を輝かせていました。「こちらが興味をもってれば必ず見る機会ができるよ、神様と同じで、あっ!あの子が輝いている!合図を送ってやろう!と空を見た時にあらわれてくれるよ、時にはブルン・ブルンというビックリするような大きなヘリコプターの音がして合図をおくってくれたりするよ!」。間もなく両親と兄弟がトイレから帰ってきてその子も家族にとけこんでショッピングの方に向かいましたが、何度もこちらを振り向いて「必ず見るよ!」という感じで手を振っていました。いつかUFOを見たこの子が家族や友達に興奮して話す場面が訪れたらいいな~と思いながらそっとあいの手を振りました。これで4人目かなぁ~そのときの子どもたちの輝き一生忘れられないと思います。
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2017.8.16
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生命保険会社に勤務するかたわら、「働く意味」をテーマに執筆、講演などに取り組む。12万部を超えるベストセラーになった『人事部は見ている。』(日経プレミアシリーズ)、『就職に勝つ!わが子を失敗させない「会社選び」』(ダイヤモンド社)など著書多数。近著に『定年後』(中公新書)がある。
定年後~60歳からの「黄金の15年」をどう生きるか
「いつかは、その日が来る」。それはだれもがわかっているが、近づかないとピンとこない。いつまでも「この仕事」が続くかのように感じていても、それは、いずれ終わる。60歳が定年だとすると、家族の扶養義務からも解放されて、かつ他人の介助も受けずに裁量をもって活動できる75歳位までは案外と長い。それを「黄金の15年」にできるなら、人生の締めくくりとして素晴らしい。では、その15年をどのように生きるか。また、その時が来てから慌てないために、いつから、どんな備えをすればいいか。書籍『定年後』(中公新書)の著者である楠木新氏が語る。
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定年になると、生活パターンが変わる。会社という、それまでの主たる居場所がなくなるので、家にいる時間が増えるケースも多い。しかし、かつて会社にいたときと同じような振る舞いを家でするのは、かなりまずい。家の中の時間と空間は、すでに妻や家族が支配しているからだ。では、どうすればいいのだろうか。(ビジネス書作家 楠木 新)
家族が手を焼く数多く取材していると、家族が手を焼いている定年退職者は少なくない。定年前後の落差から生じる問題は単に本人だけにとどまらず家族にも影響を及ぼす。
ある小売業の会社で定年まで勤めた浦川さん(仮名)は、退職後何もせずに家で過ごすことになった。
40年間、毎日満員電車に揺られて通勤してきたのでとにかく一度ゆっくりしたいと思ったそうだ。ただ彼はずっと家でぶらぶらするのは性格に合っていないことは自覚していた。経済的な必要からも失業保険の受給が終了する1ヵ月前から再就職に向けた活動を始めた。
しかしハローワークに通い、求人に対して履歴書を何通出しても面接までたどり着けない。退職した直後はそれほどでもなかったが、再就職が決まらない状況になって妻とぎくしゃくした関係になったという。
浦川さんは、会社員当時は土日も含めて昼間はほとんど家にはいない生活だった。一方で妻は自分の趣味を持ち、カルチャースクールなどで友人との人間関係もきちんと築いていた。
妻が出かける時には、「どこに行くんだ?」と訊き、友人からの電話を切った後は「電話が長い」という。また彼は家にいる時には食事は当然のように出てくるものだと待っている。
妻が友人との食事会で夜遅く帰ってきたときに、「こんなに遅くまで、どこをほっつき歩いているのだ」という浦川さんの言葉を聞いて、妻がキレた。その夜は大喧嘩になったそうだ。遅いといっても彼が勤めていた時には家に帰っていなかった時間だったという。
その後、妻にふさぎ込むような様子が見られたので、娘たちが心配して家族会議が開かれた。娘二人が、とにかくどんな仕事でもいいから探してほしいと父親に懇願した。家庭の雰囲気が重く沈んでいるので、彼女たちも仕事から帰ってきても疲れが取れなかったらしい。また母親の状態も心配だったそうだ。
しばらくして、会社員当時の同僚の紹介でマンション管理人の仕事が見つかった。週4日の勤務で、通勤にも1時間半かかるが、浦川さんは元気に働きだした。そして家にも平和が戻ってきたという。
また、別の家庭では、寝ころんで夫がテレビばかりを見ている姿が我慢ならないと言っている妻がいた。何かと干渉されることがあり、自分に対して威張ることもあるが、「いちいち腹を立てているとこちらがシンドイので、作業と割り切って面倒を見ている」と語っていた。彼女の子どもたちは、夫が日曜日の朝から晩までどういうテレビ番組を見るかはすべてわかっているそうだ。
「家庭内管理職」になってしまう妻にあれこれ文句を言ったり、家の中でテレビを占領して無気力になってしまうだけではなく、定年退職になっても家で管理職のようにふるまう男性もいる。
「40代の会社員男性。同居する父が、管理職だった有名企業を数年前に退職後、家でも管理職のように振る舞い、困っています」という出だしで始まる相談内容は、読売新聞の「人生案内」に掲載されたものだ。
息子である相談者によると、ワンマンタイプで、家の重要事項も誰にも相談せずに勝手に決める。意見など言おうものなら、いつまでもネチネチと嫌味を言う。現役の時には興味のなかった家事にも口を出し、折り込み広告を見て「これが安い、食いたい」と主張して夕食にないと嫌味を言い出したりするという。
回答者である哲学者の鷲田清一氏は、「厄介ですね。年がいってから生き方を変えるというのは至難のことです」と語り、“指示―服従”の関係とは違う対等の関係に立てる場を見つけてあげることだろうと指摘する。たしかにこういう方向性しかないだろう。
私が定年時に受講したライフプラン研修では、「これからは家庭や地域が活動の場になります」と言われたことを記憶している。しかしまずは会社とは異なる原理で動いている地域や家庭を理解することから始めなければならない。そうでなければ外出しても誰も相手にしてくれない。この修正は息の長い取り組みになることもある。
かつて私の取材に応じてくれた人で、会社の仕事の枠組みを家庭にそのまま持ち込み「家でも人事部長をやっていた」と反省した人がいる。
彼は会社人間を自認していたが、息子さんの家出や不登校に直面することになった。その時に逃げずに息子さんに対応した。「自分が間違っていたのかもしれない」と考えて心理学を学び、産業カウンセラーの資格も取得した。
そういう中で役職や肩書がなくても、助け合い愛してくれるのが家族であることに彼は気づいた。また面白いことに、その体験が退職した後の彼のセミナーや研修関係の仕事にもつながっている。それくらいの労力と気概がなければ、「家庭内管理職」レベルの人が変わるのは難しいということかもしれない。
妻が陥る「主人在宅ストレス症候群」今まで紹介したような家族が手を焼く場面は、多くの家庭で程度の差こそあれ存在しているのかもしれない。しかしそれが病気に至るようになれば大変だ。
渡辺淳一氏が書いた『孤舟』 (集英社文庫) のなかで、定年退職者の主人公が図書館から借りてきた健康雑誌で「主人在宅ストレス症候群」という言葉を見つける場面がある。
実際に私がネットで検索してみると、本当にその病名を書いたホームページが出てきた。心療内科医の黒川順夫氏は、「主人在宅ストレス症候群」は、主人在宅によってもたらされるストレスが主な原因となって主婦に発症するさまざまな疾患であると定義している。
そこには、いくつかのカルテ(病状の経過や治療の内容)も紹介されている。
例えば、58歳の主婦の患者の例でいうと、検査の結果では身体的にはまったく問題はなかったが、末梢神経過敏症、十二指腸潰瘍(心身症)、うつ状態と診断された。
退職前は、朝、夫が出かけてしまえば、あとはもう自由で勝手気ままにしてよかったが、退職後は家にいるは、話しかけても口を開いてくれないは、おまけに毎度毎度食事を作らなければならなくなって、たまらない状態だった。
黒川医師は、妻には外出して気分を発散するように指示をするとともに、夫にも、奥さんの話を聞いてあげてくださいと忠告した。
アドバイスの効果もあってか、彼女の趣味である絵を描く会に出かけても夫は何も言わない。外出して趣味に興じていたら夫は怒るにちがいないと彼女は内心ひやひやだったのである。もちろん夫は怒ることはなかった。
すると病状はみるみる改善していき、治療を初めて半年余りで症状はほとんど消失して、来院して10ヵ月後には十二指腸潰瘍は跡かたもなくなっていたそうだ。
また別のカルテでは、ストレスによる肝機能が悪化の一途をたどっていたが、主人が単身赴任するようになると、症状が嘘のようにみるみる良くなっていった。しかし単身赴任を終えて帰宅した夫とともに、病も帰って来る例も紹介されている。
発症の有無や内容にも個人差が大きいだろうが、重い病気になりうることは知っておいていいだろう。
家に「防空識別圏」が実は私にとってもこれらは他人事ではなかった。
定年退職後も会社近くに借りていたレンタルオフィスを使っていて週に3、4日はそこで原稿を書いている。昨年、オフィスのパソコンがダウンしたので2週間くらいは家で執筆していた。
「これからは家で書き続けるのもいいかもしれない」
と私が言うと、
「パソコンが直れば事務所に戻ればいいじゃない」
とすかさず妻から反応があった。
「えっ」。
たしかに私は家事を積極的にこなすタイプではない。でも「おい、お茶」などと言うことはなく、自分ではそれほど嵩高いわけではないと思っている。食事も冷凍ものの解凍であっても全然かまわない。
「何が嫌やねん?」と聞いてみると、家にいるだけで昼食を用意しないといけないかとか、何かしら気になるそうだ。また友達とランチに出かけることもあるので、いちいち断らなくてはいけないのも嫌だという。
今回、『定年後』(中公新書)を書くにあたって「定年後、家庭に戻ってくる夫の話を取材している」と言うと、学生時代の友人は、「50代で単身赴任生活から戻ってくると家がリニューアルされて玄関のそばにあった部屋が自分の部屋になっていた」と語りだした。
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楠木新著
中公新書 定価780円(税別)
「部屋を作ってもらうなんていいじゃないか」と私が言うと、彼は「いや。どうやらリビングに私を入れるのが嫌なようだ。実際夜遅くに帰ってきて、朝早く会社に行くので家族と顔を合わせないこともある」のだそうだ。
彼は60歳を超えても勤めていた会社の子会社で働いている。また母親が介護を要する状態なので、ときどき実家に寝泊まりして面倒を見ることがあるらしい。
彼によると、妻がその話を友達にすると、「60歳を超えても働いてくれて、介護のために家にいないなんて、最高のパターンじゃない」と言われるのだそうだ。
私たち2人は、「何が最高のパターンや」と話し合っていたのだが、ひょっとすると、各家には妻がすでに“防空識別圏”のような目には見えないバリアを張り巡らせているのかもしれない。夫の「電話が長い」、「こんなに遅くまで、どこをほっつき歩いているのだ」といった発言が戦争状態を喚起するのは、そのためだ。
私が取材した人たちは必ずしも夫婦仲が悪いわけではない。今まで会社を唯一の居場所にしてきた夫が、ずっと家にいる状況がいろいろな問題を醸しだしているのだ。
こういう具合に考えてくると、「亭主元気で留守がいい」という大日本除虫菊株式会社(キンチョー)の「タンスにゴン」のCMコピーの素晴らしさを改めて感じるのである。
(ビジネス書作家 楠木 新)