

向きが参道とずれているのはなぜ?
諏訪大社で最古の建造物と言われる下社春宮の下馬橋。写真は春宮側からで、大正11年に県道に昇格した表参道の真ん中にあります。
霞んでいる奥の国道側から来るといきなりこの下馬橋が通せんぼするので、私は判断ができないまま妥当と思われる左の道(写真では右)を選びました。直後の、部外車には袋小路としか見えない迷路入口に、「道を一つ覚えた」と負け惜しみの言葉を残して方向転換をしました。
下馬橋の造営は室町時代と言われ元文年間に修築された屋根付き太鼓橋は、よくも今まで無傷であったと感心してしまいます。サンフランシスコのカーチェイスみたいに、突っ込んだ車がジャンプしそうなシーンが目に浮かんでしまいます。

桁行四間とありますから7m強で、屋根を含めると全長は10m余りでしょうか。床は、別称が太鼓橋とあるように盛り上がっています。
貫(ぬき)にある蟇股(かえるまた)には、神紋「梶」が彫刻されています。この橋は、諏訪大社下社春宮の参道にありますが、上社の神紋とされる「四根梶」でした。
春秋の遷座祭では、御霊代を乗せた神輿だけがこの橋を渡ります。「通行禁止」を謳(うた)っていないので、(何も知らない)観光客を装って渡ってみようと思いましたが、…止めました。
「何人(なにびと)も御手洗川(みたらしがわ)に架けたこの橋の手前で馬から降り、川の水で身を清めた」とあります。しかし、現在はその川がありませんから、橋のみが残ったと思っていました。年が改まった1月、何気なく下をのぞくと、“行方不明だった川”が音を立てていました。橋の下以外は暗渠なので、消滅したと思ったのも無理はありませんでした。
サワラ並木
左に、長野県立歴史館の所蔵本から、明治29年以降と思われる『国幣中社諏訪神社下社絵図』の一部を転載しました。中央上にあるのが下馬橋で、参道の並木が矢木大門(現在の国道)まで連なっているのがわかります。
古写真では、その太さから「日光の杉並木以上」と断定できそうですが、「昭和9年の室戸台風でほとんどが倒れた」とありました。
8月1日は秋の遷座祭です。「お舟」に先立って春宮を出発した行列ですが、白丁に担がれた諏訪明神の御霊代のみが下馬橋を渡ります。
春の遷座は「秋宮から春宮」なので、写真とは逆の手前から渡ります。