2014年1月5日
http://galacticchannelings.com/english/matthew05-01-14.html
チャネラー:Suzanne Ward
ウェブサイト: The Matthew Books
こちらのステーションにいる全ての魂たちから心からのご挨拶を申し上げます。マシューです。
12月の冬至を経て、年の終わりに敬意を示しつつ新しい年を歓喜の声で歓迎するかのように、再びより強い光の流入がありました。本当に敬意を示す価値の在る一年でした!あなたが魂レベルのひらめきで行動した時;例えば優しい行動をとった、“正しいと思った事をしてみた”―その度にあなたは世界に光を灯しました。
これまでどのように社会が溢れんばかりの光を作り出してきたかを取り上げてきたので、過去のメッセージ振り返ってみると良いかもしれません。世界がより良い場所になるためになされた無数の貢献に対して感謝の気持ちを抱く事で更に光は増大します。[ 2013年8月13日のメッセージをご参照ください]
しかし、まだまだやらなければならない事はたくさんあります。このエネルギーの推進力によって、全ての思いや感情の力は勢いを付けているので、暗く重い気持ちでこうであったらいいのになどと考えるのは控えた方が良いでしょう;それよりも地球が黄金の白い光に包まれていると想像しながら、そのイメージに物事が良い方向に変わって欲しいという自分の希望をのせて宇宙に解き放てば、それは更なる光を帯びて戻ってくるでしょう。心や思考が閉じてしまっている一部の人たちが現状維持を試みているようですが、平和に向かう変化や協力体制、全員に行き渡る富の供給は既に始まっていて、光のエネルギーが増す度にその現実化は早まります。
インターネット上の記事、チャネリング情報など、あらゆる情報に対して正しい判断力を持つようにしてください。公のメディアは大体が操作されおり、ネガティブな情報やスキャンダルが強調されがちです;しかしその中でも親切心が生んだ心温まる話や、草の根運動から始まって成功した資源の分配などの話題も取り上げられているというのは大変心強い事です。
きっと多くのレポーターたちを含む大半の人々は、これから起きると言われている出来事;北朝鮮の核弾頭が地球上の広大な範囲を破壊する、福島原発の影響で数百万人単位で人々が亡くなるといった事を、実は私たちの宇宙の家族が防いでいるなどとは夢にも思わないでしょう。ガイアは海水温が上昇し海洋生物が死んでしまったり、海面上昇により土地が何百キロも失われる事を望んでいないので、これらも実際は起きません。地球上の殆どの人々は知らないかもしれませんが、今優勢になっている波動の伝導によって国家のリーダー達は戦う事よりも話し合う事を選択し、公で無い所で経済や外交上の話し合いが行われ、何百万人もの魂たちが過去生を精算する為に選んだ道を実体験しつつ進化しています。
しかし、あなたは真実を知っていますよね、愛しい家族であるあなたは。ですから、この新年中は浮き立つハートとポジティブな思いを抱きながら勢い良く上昇し続ける事で世界にあなたの光を広めてください。あなた自身こそがあなたの望む変化なのです!
今私はマシュー個人として話しています。お母さんに12月のメッセージに対して頂いたご意見をここに載せるよう頼みました:あなたからのメッセージは素晴らしかったです、 “この年末が聖なる時期であるのはイエスが誕生した時期だから”という部分を除いて。私は頭が堅い方でなく理解力もあるつもりですがイエスが十字架に貼り付けにされなかったというのは信じられません。あなたのように進化した人がこんな重要な事を知らないという事があるのでしょうか?
このご意見を下さった方は聖書に書いてある十字架の話を信じてやまない多くの人々の中の一人です。魂のレベルで真実であると知っている事を意識レベルでも知る事はあなたの進化の重要なポイントとなり、必要以上に嘘の情報にしがみつく事はあなたの進歩を阻害します。だからこそ、敢えて実際聖書に書いてある事と真実は全く違うという事をお教えする事が大事だと思ったのです。創造主が“今が言うべきタイミングです”と仰ったのでそうしたまでです。
私は常に、イエスの十二使徒のマシューとして私の個人的な知識の観点からお話させて頂いておりましたーそれは私が地球に転生した数千回の人生の中でも最も知られている過去生です。これらの人生はそもそも大天使ミカエルの強力なエネルギーがこの宇宙に始めて人という生命を誕生させた時から始まりました。私の今までの過去生の経験に基づく積み重ねた知識があるので、十二使徒のマシューとして生きていた人生の中で意識的に知らなかった事も今は話す事ができます;しかしこれらの知識については私がイエスキリストと過ごした年月についてお話させて頂くのと合わせて述べていきたいと考えています。
私の母は、この過去生については以前から話していたので知っています、20年前母は十二使徒の事はメッセージの中で離さないのかと聞いてきたのですが、その時はいつか話すよと返事をし、十二使徒であった事は重要では無いと言いました。大事なのは、母が私や他の存在たちから聞いた情報が尊重される事です。本や何らかのメッセージを読む時、その情報の真偽を直感的に判断しなければなりません。皆さんがあらゆる状況の中でも自らの“内なる声”を聞き、それを信頼し、気に留める事ができるように手助けする事が、私と母の母子コラボレーションが始まったそもそもの原点です。
未だに多くの人々が聖書に書いてある事が真実であると信じています。何故なら聖書に書いてある事は“神の声”であり、神がかった人によって書かれたと教えられているからですが、それは違います。聖書には無数の間違いがありその中にはアラム語とギリシャ語で書かれた記録の翻訳間違いも含まれますーその中のひとつに“飼葉おけの中の赤子”があり、それ以外にも訳者の個人的な信念によって変えられた部分もあります。そして、その後の翻訳によっても更に変更は重ねられましたが、実際オリジナルのものからかけ離れた変更が加えられたのは、後に人を欺くために記録が加えられたり、削除された時でした。
旧約聖書の一部分は教会と国家の初期のリーダー達が作りました。その頃はまだ人と創造主が近い関係にあったので、リーダーの私利私欲の都合に合わせて民衆を従わせる為には、民衆を創造主から遠ざける必要がありました。そのため、リーダー達は怒り狂う恐ろしい創造主をでっちあげ、他人は敵なので殺しても構わないと言っているかのように話を作り替えたのです。その際に創造主に忠誠を誓う証しとして、父に息子を殺させたりもしました。
その後、カトリック教会の長は宗教的な決まりを作っては“神の法”と名付け民衆支配を確固たるものとし、莫大な富を得続けました。民衆と創造主の距離を更に離すために、彼らは幾人かの聖者を作り上げ自らの地位を高め、更に教皇の絶対確実性を策定しバチカンを独立州として設立しました。やがて純潔の証としてマリアを利用し、イエスの母は聖処女マリアであり“唯一無二の神の子”であると民衆に吹き込みました。
実際イエスがどこから来たのかをお教えします。何百年後にイエスとして生まれた魂は元々キリスト化された領域、すなわち創造主に限りなく近い宇宙の領域、ここで初期の魂たちである大天使たちが誕生しました。次の段階で、更なる天使界が作られ、最高位の神々や女神たちが生まれました。これらの魂達は創造主のエッセンスである純粋な愛と光のエネルギー内に留まるか否かの選択を与えられ、留まったものたちは宇宙の究極の存在として神などと呼ばれ、そうしなかったものたちは地球に転生しました。その一人が後に宇宙においてサナンダと呼ばれる魂です。この魂は宇宙中の様々な文明で転生を繰り返し、イエスと呼ばれる存在のいわば“両親”のようなもの、正確に言えばあなたの知るイエスという
人物の累積した魂です。
聖書について引き続きご説明すると、その中の嘘の情報の殆どは4人の使徒の部分に由来していて、その途中のどこかで私たちは聖人の地位を与えられました。学者の中には使徒のルークと私マシューがマークの教義を複写し自分の教義に追加したのではと主張する方がいますが、何故そこでジョンが除外されているのかを疑問に思うのです。明らかな嘘は私たちの教義にもジョンの教義にも加えられているのに。現代の聖書の中には私たちを聖者として書いていないものもあります;しかしながら、母の持つ古びた聖書(ジェイムズ王版)は聖マシューの教義に基づくもので、今から私がリクエストする部分を母が引用してくれます。
その前に、皆さんが想像しやすいようイエスとマグダラのマリアの特徴をお話いたします。イエスは社交的な性格で、マリアほど快活ではなかったものの常に陽気な人物でした。彼は他の男性よりも背が高く威厳があり、細身ながらも筋肉質で力強い体格でシュッとした姿勢をしていました。もともと色白だった肌は長年太陽にさらされたせいで日焼けし、灰色の瞳の中にはブルーの色合いが混じっています、髪の毛は明るい茶色で当時の流行りのスタイルの長髪でした。髭はかなり短く切っていました。マグダラのマリアは可愛く明るく、愛想の良い若い女性で、見た目は小柄、色白、輝くような茶色い瞳と、長くたなびく茶色の髪の持ち主でした。
両者共上流家庭に生まれ、賢く、教養もあり、結婚するまでは長年最良の友人同士でもありました。彼らは大きく楽しい家庭を築き長寿を全うした後、地球の肉体を離れました。その後は宇宙のあちらこちらで創造主への奉仕として様々な人生ヘ転生していきました;しかしながら彼らの愛と光のエネルギーは地球の魂たちとはもちろん、その他の場所にも常に寄り添って存在しています。
私自身、自分や聖マシューの教義をも超えて進んでいます。若い当時は興味深い出会いなどを日記に記したものです。イエスに会う前の日記もありますがそれらは年を取った後に参考として楽しく読むためだけの物です。私の記録はアブラハムからイエスの父であるジョセフから始まった訳ではありません、しかし聖マシューの記録ではそうなっていますのでそれについて話します。私がイエスと出会ってから数ヶ月後、私は次から次へと人伝えに伝わってきた家系図を見せられたのでそれを日記に書き写したのですが、その家系図の真偽は明らかでないとメモを残しておきました。文字文化はさほど広まってはいなく伝説や伝承は口頭で次世代へと受け継がれていったので、話にはその都度尾ひれがついたり、重要な部分が忘れられたまま語られたものです。それでもやがてこれが聖書上の“歴史”となりました。
聖マシューの教義の中で次に出てくるのが:“イエスキリストが誕生しました、母マリアがジョセフと出会い、結婚する前に聖なる赤子が現れた”・・・“ジョセフはマリアがその赤子を持って現れるまでマリアと会った事は無かった、その赤子はイエスと名付けられた。“こんな事は私の記録にはありません、何故なら私がイエスに会ったのは何年も後の事で、イエスもその両親もそんな話を私にした事はありませんでした。どちらにしても私が書いた事になっていて、その他の教義にもカトリック教会の都合上つじつまを合わせる為にキリスト誕生については同じような事が書かれました。
更にいえば、私の記録上ではエマニュエルとして書きました、皆が彼をそう呼んでいたので。でも何故か聖書の中ではその名前はイエスに書き換えられていました。そしておかしな事に、見落とされていたのか“そして彼はエマニュエルと名付けられた”と聖書には書かれています。皆さんにとってイエスが彼の通称であっても、私はエマニュエルで通していました。
当時は本当に酷い事をする時代で、男の子の幼児が惨殺されたのは事実でした(しかし、私はそれを日記には書きませんでした)。そして安全が確保されるまでイエス一家がエジプトに逃げていたのも事実です。イエスの兄弟や両親との楽しい夕べ語らいの際に語られた一家が経験した事や家族の様々な事柄を私は記録しました。多くの場合マグダラのマリアもその場に居て、話に花が咲きました。私たちは主にアラマ語を話しましたがより適切な表現のために時にはギリシャ語も交え、真面目な話ばかりでは無くたくさん笑いながら話したものです。誰が話し始めてもイエスは真剣に耳を傾けマグダラのマリアがあれやこれや興奮混じりに話す時には特に目を輝かせていました。
パートタイムの小学、上級教育の先生をしていた私が税金の徴収員という職業に一番近づいた瞬間はある道端でイエスに会った時で、たまたま多くの男性がお金を集金し計算をしている近くを歩いていた時でした。以前、ある晩に偶然出会った小さなグループの中で見掛けた事のあるイエスを見つけたので軽く挨拶をすると、彼は私を近くに呼び私たちは歩きながら話し始めました。それが初めての出会いで、そのように日記には書きました。私たちは互いにウォータースポーツが好きという共通点から親近感を抱き、イエスは最近公の場で話をする事があるとも言っていました。このように私たちの友情は始まり、これが私が実際体験した事でした。
しかし聖マシューの教義の中には“イエスがそこから歩き始めると、税金の徴収所にある男が座っていてそれがマシューでした;イエスはその者に、ついて来なさいと言いマシューは立ち上がりついて行きました”。私が書いた内容を改ざんした人物は私の人生を一変させた出会いをぎこちなく、簡潔に書き、そんな書き方で読んだ人がおかしいと感じないかとは考えなかったのでしょうか。しかもその出会いが聖マシューの中で私が書いた“山上の垂訓”の後である事も不自然です。私が税金の徴収員から使徒になったという嘘の話しのつじつまは何となく合っているようですが。
実際イエスは私たちを使徒とは呼びませんでした。イエスがその教えで世に知られるようになると、古代ユダヤの最高法院であるサンヘドリンではイエスの聴衆を“彼の使徒”と言い始めたのだ。12の聖書にも述べられているようにイエスが私たちと出会ったのは彼がガリラヤ湖周辺を旅して回っていた時で、そうやって友情は芽生えましたが、イエスは私たちに人生を投げうって付いてきなさいなどと言った事はありませんでした。私は幸運にも彼とは近所だったので、彼と過ごす楽しい時間は他の使徒達よりも遥かに多かったのです。
聖マシューの教義の中に“イエスは十二使徒に命じました、病める者を癒し、はみ出しものを綺麗にしてあげなさい、死者を蘇らせ、悪魔を追い出しなさい”。でも私たち12人の中にそのような能力を持つ者は一人もいませんでした!それでもその頃は私たちはイエスの能力について知っていましたので、敢えて日記には書きませんでしたが私たちは“風や海までが彼に従っている”と魅了されたものです。
聖マシューの教義の中で、“イエスは悪魔に取り憑かれた2人の男に出会います。イエスは悪魔を追い出した後、豚の群れの中に放り込み悪魔は豚に追い掛けられ崖を転がり落ちて、海の中へ消えていった“・・・”そうすると町中から人々が出てきてイエスに会い:イエスを見るなり、早く出ていくように懇願した“という部分があります。この事を後程イエスが語った時にこう言っていました。2人の男を苦しめていた存在を光の中へと導いた後、私と会うまでイエスは孤独に旅をしていたという、そして私はそのように日記に書きました。
教義の中でイエスが荒地で40日間悪魔の誘惑と対峙したという話は私の日記に書いてある小さなメモの内容をえらく改ざんしたものです。イエスは一人で静かに自然の中に身を置くのを好みました、そこで創造主と会話したり、邪魔される事なく瞑想をしました、私たちはそれを尊重しそのような時は彼と距離を保ちそっとしておいてあげました。
後に“山上の垂訓”として知られるようになる出来事はイエスが話す無数の小さな集会の際に記録された大量のメモの寄せ集めで、人々がイエスに質問し彼が答える初期の討論形式のものでした。しかし時が経ちイエスの教えが広まると聴衆は増え、質問などはせずに黙って聞くようになります。その中の多くが“説教”となりました。彼は実際説教者というよりはむしろ先生で、自分の持っている知識をシェアする事に強い情熱を持っていました。彼はそうするのが彼の役目であると知っていて、この点において彼は他の人と違いましたー彼の意識的思考は常に魂と繋がっていて彼はそれに従って生きていました。
“説教“には彼の話した多くの叡智や啓蒙が含まれています、それは良い事ですが残念な事に私の日記に書いてあるような最も重要な部分が入っていません;例えば何度も転生する理由、全ての魂の不可分性、創造主とは世界にある全てのものである事:人、動物、植物、空気、水、土全てが創造主の一部で聖なるものである事。イエスはその教えを文章に残さなかったので、私が文章にした事をとても喜んでいました。
しかし、私が日記に書いた事で当時の悪質なリーダーたちに都合の悪いような事は、聖マシューから除外され、その内容の殆どは私の日記に記載されていたものではありません。イエスは決して“地獄で火あぶりにされる”とか“離婚した女性と結婚する事は不貞に値する”などとは言いませんでした。彼は常に何が“恥ずべき”行動であるかではなく、神聖な考え方や行動が人生に利益をもたらすのだと話しました。まさに、“他人を裁くな、他人に裁かれないためにも”です。彼は罪が許されるという事も話した事はありませんでしたー彼は“罪”という概念自体がその価値、行動において誤りであると説き、何度も聴衆にくり返し伝えました人を許す事の大切さを。彼は“私が地球に平和をもたらしに来たなどと考えるな、私は平和でなく剣を持ってきた”などと言うはずはありません;―この一文はむしろ彼の教えの全てに反する言葉です。
これらの“寓話”にはあたかもイエスが怒り狂って話しているように書いてありますが;私が彼の集まりに同席した中で彼がちょっとでもそのようなそぶりを見せた事はありませんでした。そして寓話の内容とは違って彼は聴衆にハッキリと分かりやすく話し、人々が光を見出すのを助けようとしました、混乱させるのではなく。私の書いた文章の中からこの部分が削除されなかったのは幸いな事でした、きっと改ざんした人はその意味が分からず見逃したのでしょう“あなたこそが世の光です…”、“あなたの光を輝かせてください”などと光に言及した部分の事です。
聖マシューやその他の記録の中の間違いをすべて指摘するにはその中身全部を見直す必要があるでしょうが、最大の変更が加えられたのは“最後の晩餐”、“十字架への磔”そして“イエスの復活”部分でしょう。最後の晩餐は恐らく私の日記の中にあった、イエスと12使徒全員で珍しくお祝いのディナーをした時があって、その場面が引用されたのだと思います。それはイエスとマグダラのマリアが結婚した直後の出来事でマリアもその場にいました。でもそれは十字架への磔が行われたとされる何ヶ月も前の事でした。その際にイエスがしたとされる聖体拝領というのは無かったし、“この中の誰かが私を裏切るでしょう”などという会話もありませんでした、聖マシューに記載されているその後の記述も全部作られた嘘です。
数ヶ月後、私はたまたま神殿の近くで二人の男が話している会話を聞いてしまったのですが:イエスを磔にする事は彼を殉教者に祭り上げ、その教えが推進力を得てしまうのでどうにか彼を国から追い出そうと話していました。そうすれば彼は不名誉を被り人々はすぐにイエスを忘れるだろうという事でした。
私はイエスに、このままだと人々に暴行された上に追放されてしまうと伝えました;重要だと思ったので日記にも書きましたがイエスはそうなる事が必要であると思っているようでした。そして実際そうなりました。その後イエスとマリアは歓迎されるであろうと予想された極東へと向かいました。イエスとの初期の会話中で彼は若き当時の事を教えてくれました。彼はそこでマスターたちから聖書でいう“奇跡”の起こし方を学んだそうです。彼が幾度となく繰り返した言葉は彼が出来る事はみんなもできる事だという事でした。
何年もの間私たちは手紙を通じてやりとりをしました、彼から手紙が届いた時私はすぐに日記に挟んでいました、何十通にもなったでしょうか。私は新しい教え子を探しながらしばしば引越しをしました、その度にイエスの知り合いだという事を聞いた人たちからイエスの教えを聞かせてくれと頻繁に頼まれました。時折ルークと会うこともあって12使徒の他のメンバーの状況を聞いたりもしました。イエスが去った後、私たちはそれぞれ別々の道を歩んでいましたが、私たちのもっぱらの共通の話題はイエスの事でした。
私が年老いてこの世を去った後、アパートの大家は私の日記の入ったタンスを売り払いました。そして日記はやがて政府の役人の手に渡り、教義が書かれ、その後焼かれたと聖マシューには書いてあります。
私が話す事はイエスのパワーやその教えを微塵も損なわずにお伝えしています!彼の人生の真実は;彼には妻がいて子供もいた、欲望、想い、希望、友人、敵対者、落胆、悩み、楽しみなどを持った他の人と同じような人だったという事です。“唯一無二の神の子”という宗教上の嘘の主張よりも、彼の真の生き方の方が遥かに彼の教えを反映しています。
私が言った事は、聖書こそが神の言葉と信じる人々が悪いと示唆しているのではありません、ただ人々は偽の情報を与えられてしまっているだけです。全ての魂には真実の光へと向かう独自の旅路があり、そこに時間制限などはありません。魂にとっての命は永遠です。あなたの心底愛する人があなたと同じ考えでなかったとしても、堂々と自分の信じる道を進みそれぞれが自分の道を選択するという神聖な権利を尊重してください。
では、地球の愛しい家族よ、私はこのステーションを代表してお話させて頂きました。あらゆる瞬間に私たちはスピリットとして、無条件の愛を抱きながらあなたのそばにいます。
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愛と平和を
Suzanne Ward
Website: The Matthew Books
Email: suzy@matthewbooks.com
訳:JUN
キリストの実際の肖像?
大英博物館所蔵の釈迦の肖像