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老子について

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日本古来の神道(かながらのみち)の顕す由も「道」であり、「道」は唯一絶対の天地造物主を新たかにする宇宙創成以来の「真理」です。

2017年から始まる新しい時代の根源は、「道」すなわち「真理」でありそして「性(いのち)」です。諏訪の御柱祭の真実を明らかにするため、まず「神長と御左口神」が何かを明らかにしてゆきたいと思いますが、多くの識者の伝承で、老子・道徳経の「天長地久」の一句が浮かび上がってきました。

諏訪湖に面する岡谷市には「長地」の地名や「鎮」の町名などが古道の歴史を刻んでいます。老子・道徳経六章に「谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。」、そして7章「天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私邪、故能成其私。」と、「玄牝之門」と「神長と御左口神」の関係を明らかするために、始めに老子ついて中国古来の伝承を二回に分けて掲載いたします。文中に旧漢字などが多く使われていますが、漢字も原点に返って字解することで真実が蘇ってきますので、そのまま掲載することにいたします。

  諏訪湖は天竜川の源泉です

老子について

 老子の出世については殆どその源を知ることが出来ません。混沌以来何時の世にもあらわれています。上代三皇時代には萬法天師と稱せられ、中代三王時代には盤古神王と稱せられ、後代三皇時代には鬱華子と稱せられています。亦神農時代には大成子と稱せられ、黄帝(軒轅)時代には廣成子と稱せられ、千變萬化種々化身なされて、大道の道統を傳える為に顕現されました。

 そして何時の世に化身されても、通じて變らないのは、天道の偉大なる尊さを証明し、天道を後世の人に永く伝えさせる為、心愿深く天命に則り或いは儒聖と化し、或いは佛祖と化し、或いは道仙と化して顕れたり、隠れたりされて、その功績は測り知れません。或いは清靜経を著したりして、眞にその功德は無限です。

 諸經中には、無極太極の來源を喩え、先天後天の變化を説き、明善復初の關竅(かんきょう)を示し、亦己を煉って基を築く法則や、濁を去り清を留める奥妙、水火昇降の法輪、返本還源の原理を詳明されています。何れも一句を以て天地を包含し、一言を以て古今を貫き、あらゆる理に隈なく通徹して説かれました。その玄理は非常に幽玄奥妙であり、その言葉は古今東西人類の龜鑑に準えられ、その思想は永く後世の人に繼がれています。

 老子は道教の祖であり、姓は李、名は耳、字は伯陽と稱し、諡して耼(たん)と言いました。聖母、玄妙玉女が殷王の陽甲、庚申の歳に太上老君が五色の霞の光に擁られて、空際に降り、五色の流れ玉と倏(たちまち)變って口の中に呑み込んだ夢をみて遂に聖胎を凝り八十一年間孕まれたと説かれています。そして殷王の武丁、庚辰の歳三月十五日(農暦2月十五日)楚の苦縣、頼郷曲仁里に於て降誕されました。その時、聖母は李の樹に手をかけられ、左脇から生れたそうです。生れた時から白髪であり、頭の周圍に圓い毫光が燦燦と輝いていました。

生れると同時に能く言語が通じ、自由に行動が出来ました。その周りを九歩行き、左手で天を指し右手で地を指して「天上天下唯我獨尊し」と言われました。そこで李の樹を指して名字とされた事は、よく知られています。

 嘗て孔子が老子に禮を問うた所「子(なんじ)の言う所の者は、その骨と皆、已に朽ちたり。獨りその言葉在るのみ。且つ君子はその時を得れば即ち駕し、(他人を使いこなす)その時を得ざれ即ち蓬累(乱れが重なる)して行く。吾、これを聞く。良貨は深く蔵して虚しきが如く、君子は成德ありても容貌は愚かなるが如しと。子(なんじ)の驕氣と多欲と態色と淫志を去れ。是皆子(なんじ)の身に益無し、我子に告ぐる所以は是くの若而已。」と循循(じゅんじゅん)と説かれた。

 孔子は、其の後、弟子達に向かって老子を次のように評された。「鳥は吾れその能く飛ぶを知り、魚は吾れその能く游ぐを知り、獣は吾れその能く走るを知る。走る者には以て網を爲るべく、游ぐ者には以て綸(いと)を爲るべく、飛ぶ者には以て矰(いぐるみ)を爲るべきであるが、龍に至っては吾れその風雲に乗じて天に上るを知ることが出來ない。吾れ今日老子を見るに、それ猶、龍の如きである」と嘆じられた程でした。

 老子は眞に天命を得た人であり、眞に學問があっても、それを隠して名なきを以て務めとし、誇りとしました。一部學者間では厭世即す世間を厭がって世間を離れ、社会を逃避したが如くに説きますが寧ろ老子は世を愛し衆を愛しました。老子ほど德を以て、その身を愛し、その家を愛し,その郷を愛し、その邦を愛し、その天下を愛した人は少ないのです。

 あまりにも崇高な理念の爲に一般に汚染された衆生は、反って老子を煙たがっています。

 老子こそは超越的立場から、人心挽回や世風矯正に盡くされています。「和光俗に混ざる」とか「其の光を和らげて其の塵に同じくす」などの言葉を以てしてもよく解ります。単に世間一般の人の如く、名譽、利權、勢力を己の爲に争奪するとか、

 酒色財氣に迷昧沈淪するとかを厭うのみで眞に人類を愛し、誠を以て衆生を濟度するのを自分の天職として、犠牲的献身的に全力を盡くされました。世の汚濁に倦き、社會の塵穢を厭うのは、衆生を愛するからこそであります。

 それが爲淸靜を求め、衆生を淨らかな天性に恢復させ麗しい心を顯わす爲に志しを固められました。久しく周の都に居ましたが、人心極度に腐敗し、道德も頽れた爲、遂に去って涵谷關に至りました。時の關令、尹喜が老子を訪れ、疆いて老子に道と德とを講ずるように請うたのでここに道德經上下二篇を著わしました。後になって淸靜經と感應篇を著したと思われます。差別を否定し,人爲を排斥して上古の質素恬淡(てんたん)たる風度を紹述しました。亦繁文縟禮腐敗堕落的な陋習文化に抗らい衝き直ちに無爲の大道に歸し、太古純眞の元德を培うことを力説されました。老子の外面は一見温柔ではありますが、内面は非常に剛毅でした。

 老子の口から出る言葉は烈烈として火を吐くが如く、其の眼は爛爛として慆(ほのお)の如きであり、一語一句は人天共用の寳であり、仙佛の位に登る梯子(はしご)でありました。眞に老子は古今稀なる大聖人でした。

以上

参照:布袋(彌勒の化身)の十牛図は、老子に由来する「道」を求める道筋です。牛は「天にいたる道筋」を現します。

 布袋、牛を伏する図

十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる道筋をを主題とした十枚の絵で表したもの。以下の十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされます。

尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。 見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。 見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。 得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。 牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。 騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。 返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。 入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。

 


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