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7章 世界四大文明 : 地球人のルーツ (1)

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転載: Project Vega http://www.project-vega.org/2014/03/11.html    ■紀元前5700年

ヴィンチャ文明とアヌンナキ-----------------------------------------------------------------------------

 紀元前5700年から紀元前4200年頃まで、アヌンナキのヴィンチャ文明が起こる。これはシュメール文明(紀元前3500年〜)やクレタ島のミノア文明(前3650年〜前1100年)の文字体系よりも古い。



 ヴィンチャ文明からの土偶と日本の縄文土偶はポーズやデザインが似ており、どちらもアヌンナキのイナンナを表している。共通点は、胸が出ている、手を広げてT字のポーズ、下半身が太い、脇の下に空洞がある、などとなっている。








Hiloyuki Kubota / 久保田 啓敬
■紀元前5293年

 日本では薩摩半島から約50km南の大隅海峡にある海底火山の鬼界カルデラが大爆発を起こし、縄文時代の西日本一帯が壊滅的な状況に陥る。爆発規模は雲仙普賢岳のおよそ100倍と驚異的で、少なくとも紀元前1万年からの日本火山史の中では最大の噴火。上空3万mの成層圏にまで達した大量の火山灰は、遠く東北地方にまで飛散し、南九州一帯は60cm以上の厚さで埋め尽くされた。九州は数百年間人が住める土地ではなくなった。

 鬼界カルデラの爆発の後、アヌンナキの血を濃く受け継ぐ富士王朝の皇族が西へ向かい、アジア大陸に渡った。アジアへ向かったグループは2つあり、それぞれ朝鮮半島と南洋を経由して西を目指した。
 そして富士王朝の2つの皇族グループはメソポタミアのシュメールで再び合流し、シュメールにて知識や技術を広めていく。彼らは古神道に通じていたが、本来古神道とは自然と調和して生きる術、自然の力を利用する術であった。大事忍男神(おおごとおしおのかみ)がスメル族のリーダーとして日本からシュメールへ渡る。

シュメールのスサの王と日本のスサノオ----------------------------------------------------------------

 スメル族によってメソポタミアに建国されたシュメールの都市国家の中で、最大の都市は「スサ」と呼ばれた。スサの王をスサノオと呼び、シュメール文明の中では政治と軍事を司った。これが縄文の日本からの陸路グループである。一方、海路のグループには祭司王がおり、シュメールの長という意味でスメルミコト (スメラミコト)と呼ばれた。スサに首都をおく原エラム文明は、ラピスラズリと穀物の交易で栄えていた。


 月日が流れ、メソポタミアのシュメールにツラン人が築いた都市及び都市国家ウルに、人々が居住し始める。現在はイラク領にあり、ユーフラテス川の南方に位置する。
シュメールの神官が認識していた1611年周期の文明------------------------------------------------

 シュメールの最高神官たちは「世界史は東から西に向かって進む」ということを理解していた。これは地図上では、東から西への移動に見えるが、実際の地球においてはこの現象は西回りに回転するスピンなのである。このスピンが単なる偶然の現象ではなく正確な法則である証明は、東から西にスピンするその時間と空間の関係にある。そこにシュメール人が聖なるリズムと呼んだ、規則正しい地球のバイオリズムが潜んでいる。これを認識していたので、日本の皇族もシュメールへやってきた。近年、世界中でもっとも優勢な立場にあった国から、人類の歴史を振り返ってみるとそれが理解できる。
 近年までもっとも優勢な立場にあった国はアメリカである。このアメリカの歴史を遡ると、イギリスからスタートしており、アメリカ繁栄以前はアメリカの東にあるイギリスが優勢な文明であった。たしかに東に戻ることになる。そしてイギリス以前は、その東のヨーロッパが強い勢力だった。そのヨーロッパ文明の前は、さらに東のギリシャ文明に遡る。そのギリシャ文明以前は、さらに東に位置するエジプトやメソポタミアである。歴史の焦点は、たしかに東へと行き着く。
 これは常に一定する速度のスピンであり、正確には、1611年間に、経度にして22.5度ほど、聖なるリズムの焦点は西側にスピンする。この現象の謎を解くには、これがスピンリズムである点を理解する必要がある。宇宙の天体やミクロ宇宙のすべてがスピンであるように、これはある意味で物理現象なのである。
 まさしく人類の歴史は1611年を一単位として、その節目ごとに22.5度ずつ西に文明極点が移動し、その結果新たな最優勢な文明がその位置で開花している。しかもその精度は、0.1度の狂いもない。

 これは西洋の歴史だが、反対に東洋では、あたかも素粒子と反素粒子のように、西洋側のスピンを鏡に映したかのような、これとはまったく正反対のもう一つのスピンが実在することをシュメールの最高神官たち知っていた。この法則は東洋の歴史にもあてはまり、具体的にそれは、1611年に22.5度東回りに移動するスピンである。実際にはこれは、東洋でもなければ西洋でもなく、互いに相反する一対(いっつい)のスピンなのである。つまり両者のスピンはすべての生命に男女があるように、互いに相互作用で進展していく相対性の原理に基づく生命のリズムなのである。
 近年、アジアでもっとも優位にあり、最初に近代化に成功した国は日本である。しかし日本がアジアをリードした歴史はごく浅い。日本は1500年もの間、中国から諸文化を学び続けて発展した国である。唐の時代にも中国は、日本にとって進んだ国だっただけではなく、世界最高峰の文明国として世界各地から使者が訪れていた。しかしこの中国も、さらに千数百年遡れば、仏教や建築技術など、日本が中国から学ぼうとした知識のほとんどは、インドやその他の西側諸国から学んだものであることがわかる。
 高度な哲学思想を生み出した古代インド(ガンジス文明)も、さらに遡ること千数百年前には、それより西側のインダス文明を基礎に成立している。さらに、インダス以前の時代は、インダスに多大な影響を与えたと言われるシュメールの時代となる。つまりこの時代には、現在はイラクであるこの地が、地球上でもっとも進んだ文明の地帯であったのである。

 シュメール文明の後に起こった文明は、あのインダス文明であった。この文明の誕生の地を計測してみると、それはこのエリドゥから東に、正確に22.5度スピンした位置にある。この文明の誕生は、シュメール文明から1611年後を基点としており、地球上を東回りに16/1スピンした位置からスタートした。インダス文明の完成は、約4600年ほど前と推定されており、そのスタート年代はシュメール文明から数えて1611年後にあたる年代だった。
 地球といわれるこの巨大な生命は一種のバイオリズムを持っており、その最活性化のポイントは、1611年間に22.5度、つまり地球上を16/1角度分だけ、円周上を移行するのである。


 当時モヘンジョダロには荘厳な建物が数々存在し、見事なまでに美しかった。現代の東京の雑然とした景色とはまったく違い、都市全体が芸術作品のように整然としていた。建物はレンガ造りで、シュメールのジッグラトのように、現代の建物にはない温かい重量感があった。そしてそこにはシュメール同様に、さまざまな人種の人々がおり、ここも国際的な中心都市のようであった。
 インダスは、日本の都市のように無計画に作られた都市ではなく、それは綿密に計画されており、それを計画したのはシュメールの叡智を引き継いだ人々である。彼らは建物が人間の意識に与える影響を完全に理解しており、人間の意識がより自然に働くように、彼らが神と呼んだ目に見えない力が、その場にいるだけで顕(あらわ)される構造というものを理解していた。
 このような意識への影響は、単に建物の構造だけでなく、材質にもある。彼らはレンガを作る際にも、そうした観点に基づいて、人間の意識によい影響を与える最高の材質のレンガを作ったのである。道路もすべてが整然と規則的に並び、美しさを感じさせた。その安らぎを感じさせる整然とした並びは、日本の平安京と似ているものであった。平安京も、日本では珍しい計画都市であった。事実、日本の平安京は、このインダスの文明に歴史的な繋がりがあったのである。

 日本に現存する聖なるシンボル「十六菊花紋」のもっとも古いものは、平安京の朝堂院(ちょうどういん)で発掘されたものであったが、この十六菊花紋は、現在の天皇家のものよりデザイン上の比率がシュメールのものにより近く、ほとんど同じである。平安京は、秦(はた)氏の力によって事実上作られたものだが、秦氏は、その数10万という日本史上最大最強の渡来した人々であり、西方の地からやってきた。その意味は、秦氏がインダスから来たということではなく、両者の文化的ルーツが同じだということである。

 インダス文明のようにバランスのとれた文明でも、やはり寿命というものがあり、それは人間の死と同じである。どんなに優れた人間にも死は等しくやってくる。そして死を迎える時期には、その人の欠点が露呈されやすいように、文明もまたそうなのである。
 現代文明は今、死と再生の時に差しかかっている。この死と再生の節目は、人類を裁くためや苦しめるためにあるのでは決してない。この節目を通り越すことによって、人類は新たな展開と創造に出会うのである。人類の文明は約800年が「昼の時」である。文明の誕生から800年が経過すると、生命の老化と同じく衰退へと向かう。
 これはインダス文明においても同じで、文明の誕生から800年後の約4000年前から、インダスはアーリア人たちの勢力に圧迫されるようになった。

 インダスの次に栄えた東洋の地といえば、インドのガンジス文明である。ガンジス文明は日本人にも仏教のルーツとして馴染みが深い。日本が中国から輸入したその文明の中枢とも言える仏教や、それに伴うさまざまな学問は、言うまでもなくその昔天竺(てんじく)と言われたインドから輸入されたものである。インドのガンジス川流域を中心に栄えたのでガンジス文明とも言われている。
 ガンジス文明は、インダス文明の誕生の地であるモヘンジョダロから22.5度東に花開いた。ウパニシャッドなどのインドの高度な哲学には、インダスの感性が引き継がれている。現代人がよく知るヨガは、その典型である。
 この文明についても法則通りであり、古代インド文明を開いたアーリア人たちがインドに入ったのが3100年ほど前であり、バラモンの確立が3000年前で、「聖なるリズム」通りである。さらに地図で計測すると、モヘンジョダロから22.5度東は、東経90.0度であり、それはガンジスの真中心であり、年代も場所も完璧に一致している。もしもすべての歴史がこのパターンで進行していたとするならば、もはやそれは偶然とは言えないのである。

 現代人は西洋文明が優勢の時代に育っているので、初めから西洋の文明のほうが進んでいたと思いがちであるが、実はそうではない。彼らが人類の頂点に立つのは1000年代をかなり過ぎてからである。それ以前は中国が世界の頂点として君臨しており、その文化を学びに世界中から人々が押し寄せていた。日本の遣唐使などもその一例である。
 この年代も場所も「法則」通りである。ガンジスの中心から22.5度東の位置は、唐の真中心であるだけでなく、その位置には洛陽(らくよう)があった。洛陽は、中国のすべての歴史の中でもっとも長く都が置かれていた中国の中心地であった。

 さらに次の1600年後は、西暦400年+1600年(正確には1611年)で、現代である。そして問題の地球の脈動ポイントは、112.5度+135.0度である。この東経135.0度は日本の標準時ライン、つまり日本の真中心である。
 このラインは、明石と淡路島を貫いているが、たとえば135.02度にわずかずれるだけで、淡路島からは完全にはずれてしまう。それほどの精度で日本の真中心なのである。日本とシュメールの都市エリドゥとは90度の関係にある。
 正確には1995年が大地の脈動の年であり、それは阪神・淡路大震災があった年である。この1995年に起きた地震の震源地は、淡路島北部の東経135.0度であった。それは日本の真中心の135.0度なのである。
 人類は、自分たちの意志で歴史というものを築いてきたと信じてきたが、その自分たちの意志さえも、もっと大きな何かに導かれているということである。


 シュメールの最高神官は、この西回りと東回りのスピンが、規則正しい相互作用で生じていると知っていた。この東西のスピンは、互いに正反対の時間的関係で結ばれている。正反対の時間とは、スピンが相反するように時間も正反するのである。
 1611年をサイクルとする人類の文明は、その約半分である800年の文明の生命を有して誕生する。これは昼と夜のようなものである。東回りスピンは1611年の内の最初の800年が昼、つまり活動期であり、後の800年は夜、つまり活動が停滞する睡眠期である。
 西回りスピンはこれと正反して、最初の800年が睡眠期で、後の800年が昼の活動期になる。現代までの資本主義文明の繁栄は、この西回りスピンの活動期が終わった夜の晩期である。東西スピンの活動期の交替は、今から800年前に起きているので、西暦1200年頃のことである。それは強大な勢力を持った中国が一夜の夢のごとくに消え去り、モンゴルの勢力に圧倒され、征服されてしまうのが1271年である。一方西洋文明では、イギリス人としての最初の王であるエドワード一世の即位が1272年である。そしてヨーロッパは活動期に入り、イギリスの全盛期へと発展してゆく。それはまさに、昼と夜のように入れ替わっている。

 西回りスピンの1周期は、ロンドンから22.5度東であり、それは東経22.5度である。このラインはギリシャ文明の真中心であり、後のローマ文明へと続く文明の脈動ポイントである。現代の西洋文明のスタートを1200年とすると、1サイクル前は1611年前であるから、紀元前400年頃ということになる。あの有名なギリシャの哲学者ソクラテスは、紀元前400年頃にギリシャ哲学の楚を築き、それが西洋哲学へと発展してゆく。現代の科学文明の柱が西洋哲学にあるように、まだ科学の生まれていないこの時代の文明の柱は西洋哲学にあった。それに並行するようにローマの文明が発展していく。そしてその位置も、東経22.5度はギリシャの真中心であり、同時にそれはギリシャの中心都市ミケーネとスパルタを縦断している。それはまるで計算通りに敷かれたレールの上を、人類の歴史は進行しているかのようである。

「ガイアの法則」/ 千賀一生 徳間書店
22.5度と1611年という現象について-------------------------------------------------------------------

 22.5度と1611年というのは、ある天文学現象と正確に結びついた現象なのである。それは現代人にもよく知られた天文現象であるが、ただシュメール人はそれを天文現象とは見なさず、星々の命の鼓動として捉えていた。
 東経135.0度が次の文明周期の脈動点になるということは、日本の中心が新しい世界文明の誕生地になるということになる。聖なるリズムとは、人間が五感で捉える感覚とは規模が異なる。一つの波は、1611年という巨大な波であり、この波が一つの形をとる転換期のためには、その16/1の期間が必要である。つまり約100年という期間を要するのである。
 これは惑星そのものの次元では、1995年前後の約100年がそれに相当している。よって現象として現れる人間社会の変化は、1995年から約100年間が転換期間である。その兆しとして、焦点が結ばれる地域周辺で、つまりアジアの広範囲が活気づくことになる。逆に、0度の焦点の周辺は力を弱めていく。これは転換期間であり、135度文明が最大の力を発揮する時期は、西暦2400年前後となる。そのピークに向かって社会も徐々に変化してゆくのである。
 ただ現代人は、もっとも肝心な真の節目の中にいる。西暦2400年の世界は、つまりは現代人の意識の結果が実現する世界である。この世界は見えない次元から形成されており、現象というものはそれよりも大きく遅れて現れるのである。
 これは個人の人生と同じである。今の自分の境遇は、今作られたものではない。それは10年前に自分が思い、行動した結果が今になって現れている。よって惑星の次元では、今がまさに新たな時代を築く節目の時なのである。人間の思考や思念は、常に同じ影響力を未来に向けて発するわけではなく、それが強く働く時とそうでない時がある。このリズムは個人のリズムもあるが、すべての人に共通するポイントとして、一日の中では早朝と就寝前、月の周期においては満月と新月、公転周期においては冬至と夏至がそうであり、この期間に人間が意識することは、その後の期間に強い影響を与える。

 地球は今、巨大なサイクルの夏至の期間に相当している。この時代に生まれた人々の意識は、後々の時代まで影響を与える重要な思考思念である。現代人は新たな文明の創造にとって、もっとも重要な役割を担わなければならない。
 新たな文明サイクルの誕生をうながす脈動は東経135.0度ラインで始まりつつある。東経135.0度を中心に、広大な範囲に対してこの誕生の作用は働き始めている。当然、この影響力は日本全土に及んでおり、すべての日本人はその影響下にある。いかなる文明の誕生に際しても言えることだが、このフィールドは聖なるリズムに共鳴する波長を持つ者にとって、新たなサイクルに向かう創造的インスピレーションを感知しやすいフィールドなのである。


 [聖なるリズム]が地球上の16の焦点に光を当てるたびに、さまざまな民族に光が当たることになり、どの民族に光が当たるかには、一定の法則がある。賢く真面目なドイツ人と、開放的なアメリカ人の性質とでは、まるで別人種のような違いがあることはわかるが、人種の上では彼らはまったく同一の人種である。これが大地の脈動に導かれる人類の真実の姿である。民族の個性を形作るものは、血統でも環境でもない。それを決定づける本質は、常に大地の力なのである。自然環境さえも、この大地の力に導かれる結果の世界にすぎない。すべての変化の本質には大地の脈動がある。
 大地の脈動は目に見えない波動的な領域に現れる。しかしこれは人間の五感では認識できないが、たとえば、日本人がかつて言霊(ことだま)と言ったが、それが本当の領域である。[音]にはそれぞれ個性がある。各個人が言葉として発する微妙な音の違いは、本人の持つ見えない波長と結びついている。現在アングロサクソンの言語である英語が定着しているが、この言語は今現在ある言語の中でも、特に個を主張する性質や、男性性を表面化させる性質がもっとも強く、論理性に長けているという性質を持っている。世界の多くの人が英語を話すようになった裏には単なる言語領域を超えた意味がある。この英語の性質には、人類の持つ二つの極性のうち、一方を強く引き出す性質を持っており、それは0度文明期の進展にとって不可欠な要因であった。一方、今ある言語の中で、英語とは対照的な性質を最も強く持つ言語は、極東に位置する日本の日本語である。

「ガイアの法則」/ 千賀一生 徳間書店
1年は16ヶ月-------------------------------------------------------------------------------------------------

 90分間で深い睡眠と浅い睡眠を繰り返すこの睡眠リズムは、実は人間の意識のリズムであると同時に、地球のスピンリズムとして刻まれる地球独自のリズムでもある。あらゆる生命のリズムは、本質的に地球に呼応している。地球のスピン、つまり自転は、1スピンが24時間である。24時間の16/1は1時間半、つまり90分である。つまり人間の意識のリズムは、地球自体の聖なるリズムということなのである。「22.5度」と「1611年」のリズムも、これと同じ現象なのである。
 地球だけでなく、宇宙のあらゆる天体やミクロ宇宙は2種類のスピンから生まれる。一つは人間が理解している自転のスピンであり、もう一つは歳差運動として人間が認める旋回スピンである。地球の1自転には24時間を要するが、歳差運動の1旋回には2万5776年を要する。
 2万5776年の16/1は、25776÷16=1611、で1611年である。人間に90分の意識リズムが流れているように、人類全体にもうひとつのスピンによる1611年のリズムが流れている。つまり、文明のリズムと睡眠のリズムは同じ原理に支えられていたということである。
 人間の睡眠リズムである90分、つまり1日の16/1を、地球が自転する空間(360度)に換算してみると、旋回スピンとの相似性がはっきりする。1日の16/1の自転、つまり360度÷16=22.5度なのである。人間は一人の例外もなく、地球が22.5度自転するごとに、90分の1リズムを刻んでいるのである。このリズムは単なる睡眠だけでなく、人間の意識のリズムそのものである。

 この周期は、人間の無意識の世界で働いている意識のリズムと考えられるようになっていた。たとえば実験で、電話帳から特定の電話番号や名前を書き出すなどの作業で、あくびやミスが連続する現象は、作業開始から90分ごとに起きることが明らかにされている。この90分の意識バイオリズムは、文明のバイオリズムと同じく、22.5度のポイントを通過するごとにバイオリズムを一巡させているのである。それはまったく同じ原理であり、人類史にも働くリズムである。
 人間が公転と呼ぶ、地球が太陽を回る運動である聖なるリズムも、生命に確実に影響を及ぼしている。1年は365日だが、これを16で割ると約23日である。23日といえば、バイオリズムとして一般的によく知られている人間の体のリズムである。これは地球が太陽を一周する16/1回転ごとのリズムで、人間は太陽を22.5度めぐるごとに、人体のリズムを刻んでいるのである。

「ガイアの法則」/ 千賀一生 徳間書店
16ビート------------------------------------------------------------------------------------------------------

 人間は音楽に快感を感じる。それを快さと感じる快感は、人間に備わった正確なセンサーである。あらゆるリズムの中でも、人間を最高度の陶酔感に引き込むリズムが存在する。ポップスや、サンバや、インドネシアのガムランやケチャなど、こういった音楽にはすべて、16ビートが使われている。
 原始的な生活を営む部族の音楽を研究してみると、彼らが宗教的に神と交わるために奏でるリズムはすべて16ビートである。16ビートは、人間の魂を宇宙のリズムにもっとも共鳴させるリズムなのである。この16ビートのリズム構造こそ、宇宙のリズムそのものである。
 現代人は自分を抑圧して生きる生活習慣の中にいるために、快さの感覚を失いつつある。もしも16ビートに心が無反応になっているとしたら、人間は自然な感性を喪失している証拠であり、そのままの生活習慣を続けるなら、人間は必ず、今よりも危険な状態に陥る。
 インドネシアのバリ島の音楽である「ガムラン」は16ビートである。またアフリカのムブティの音楽の基本リズムも16ビートであり、彼らは現代人よりもはるかに16ビートと密接な生活スタイルをしている。さらに言えば、現代のポップス系のヒット曲もそのほとんどが16ビートであり、あの静かな日本の能でさえが、クライマックスの場面では必ず16ビートになるのである。
 16ビートは、4.4.4.4で構成されるリズムである。宇宙のすべてはスピンで形成されるが、このスピンの原理から必然的に生み出されるものが、この4/1リズムである。
 一年には春夏秋冬があり、春分、夏至、秋分、冬至という4つの特殊なポイントがあるが、こうしたポイントは、宇宙のすべてのスピンに共通である。すべての生命はこの4つのポイントごとに一つの生体リズムの節目を迎える。この4/1リズムをさらに4分割したリズムが、聖なるリズムの小単位である。自然界は必ず、このリズムに従って生成発展しており、人間ももちろんそうである。

「ガイアの法則」/ 千賀一生 徳間書店
9年サイクルのリズム---------------------------------------------------------------------------------------

 9年サイクルのリズムは、地球に生きるすべての生命が持つ主要なリズムの一つである。これは聖なる中心力の周期であり、太陽系の内惑星が一列に並ぶリズムによって生じている。たとえば心身の疲労回復度は、睡眠をとる時間帯によって異なる。このもっとも効果的な疲労回復をもたらす時間帯が、夜の10時から2時の間であるということは、科学的実験によっても認められている。
 この生命力を回復させる時間帯は、地球と人間との位置関係に原因がある。深夜の12時前後ということになるから、これは人間を中心に見ると、太陽との一直線上に地球の中心が来た位置ということになるが、それが睡眠と関係する。

 一つの存在に対して(この場合は人間)、恒星の中心軸と惑星の中心軸とが一直線上に並ぶ時、一つのリズムを形成し、このリズムが生命を蘇生(そせい)させる作用を持っている。シュメール人は、それを星々からの愛に包まれる期間として理解していた。
 日本の大脳生理学の権威である有名な博士の研究に、新月と満月の日には、人間の左右の脳に特殊な変化が起こるらしいという研究結果があった。そうすると新月や満月というのは、太陽と月と地球が一直線に並ぶことであり、それが人間の脳に神経系の変化(つまり生命の蘇生)を引き起こすということになる。これは脳だけではなく、人体のあらゆる器官に微妙な変化を引き起こすもので、いわば「体をリセット」させてくれるものである。

「ガイアの法則」/ 千賀一生 徳間書店
72年周期-----------------------------------------------------------------------------------------------------

 生命を蘇生させるリズムは、太陽、月、地球の中心軸が一直線に並ぶことによって起きるが、この作用がもっとも強く作用するのは、それに加えて水星、木星、金星など、太陽系の惑星がすべて一直線上に並ぶタイミングであり、これは144年に一度訪れる。これも、16/1リズムで、計算すると144÷16=9である。
 シュメールの叡智の一つであるこの知識は、東洋にも西洋にも断片的に受け継がれた。東洋ではこのリズムの9年に重点が置かれ、後にそれは「風水」の概念に発展したが、西洋では、144年と72年という数に重点が置かれた。この72年ごとの節目は、満月と新月同様に、変化の年になる。その作用は自然変化や、社会変化にまで及ぶ。したがって身近な未来を予測するには、この周期リズムを知ることが不可欠であることをシュメール人は知っていた。
 72年周期の自然変化や社会変化があるということで、1995年の阪神・淡路大震災は、新たな時の始まりを象徴するのだった。この年から72年前は、1995-72で1923年である。この年は関東大震災の年である。日本における最大級の被害を出した地震がちょうど72年前に発生している。それ以前も、ほとんど正確に72年おきに最大級の地震や火山の噴火などが起きている。江戸時代に起きたあの富士山の噴火も、このサイクルの年の1707年に起きており、この年には死者2万人と推定される宝永地震も起きている。
 2001年にアメリカで起きたあの象徴的事件である、9.11の貿易センタービル爆破事件の72年前には、1929年のアメリカ発の世界大恐慌が起こっている。この年も2001年と同じく、それまでのアメリカの繁栄が突然崩れ去った年だった。

 人間にとって、このリズムには単なる周期以上の重要な意味がある。世界大恐慌も、関東大震災も、次にくる変動への予兆なのである。1995年から始まる72年間は、1611年に一度の節目の72年間であり、この期間に起こることは、1611年の周期に結びついている。さらに言えば実際には現代人は今、1611年どころではないもっと巨大な周期の節目の中にある。地震というものは、シュメールの象徴学の上では、未来を示すと同時にエネルギーの充填(じゅうてん)を意味している。
 関東大震災の後、震源地の東京が焼け野原から世界都市へと発展したが、しかしこれは、これから起きる本物の変化の雛形(ひながた)にすぎない。1995年に阪神淡路の135.0度で起きたあの地震は、今後、その場を主体に世界的な文化が脈動することを意味している。
 これは巨大なリズムであるので、その変化は大きく緩やかな波となる。まだ人間にはその兆候すら認識できないでいるが、それは必ず起こるのである。このようなリズムが無数に関わりあって人類社会は進展する。
 現代人は今、16/1リズムである1611年の転換と、4/1リズムの転換が重なった、人類最大規模の転換期に差しかかっている。かつての6444年(1611×4)の人類文明とはまったく異なる世界が、すでに胎動を始めているのである。

「ガイアの法則」/ 千賀一生 徳間書店
シュメールの人生学では、死とは進歩への絶対条件-------------------------------------------------

 人類の文明は(1611年の内、昼に当たる)800年の寿命を持つが、それは今の文明はいったん破局を迎え、そこに住む人たちが消滅するという意味ではなく、その文明の権威や固有のカラーが消失することを指している。具体的には、ロンドンを拠点として誕生した文明の権威とカラーの消失である。
 死といえば、人間は恐怖を感じるが、シュメール人はそれを成長のステップと考えていた。魂は小さな死や大きな死を繰り返しながら進歩する。冬至や夏至、満月や新月が来るたびに、魂は小さな死を迎え、古い何かを捨てて、新しい何かを誕生させる。現代人はこのような魂の躍動に鈍感になってしまったが、しかし依然として人間の魂にはそのリズムが確実に脈打っている。
 聖なるリズムの節目の前には、シュメール人は古いものを捨てることを心がけてきた。死と生の象徴が意味することは、古い自分自身を捨てることである。古い思い、古い観念、執着心、うまくゆかなくなった出来事、マンネリ化したと感じられる対象や物、滞ってしまった心や体の状態、それらを潔く捨てることを、これらの時期に人間の魂は望んでいるのである。
 それらを捨てれば捨てるほど、魂はその節目に新しいものを得る。人間の中で目を見張るような進歩をする人がいれば、その人を観察してみるとわかるであろうが、彼らは例外なくこれを無意識に実行しているはずである。
 現代人は今までの文明の古い要素を、いさぎよく捨てなければならない。捨てれば捨てるほど(つまり小さな死を重ねれば重ねるほど)、人間は新しい躍動を手に入れることができる。シュメールの人生学では、死とは進歩への絶対条件なのである。

「ガイアの法則」/ 千賀一生 徳間書店
与えられる思念に対するシュメールの神官の認識----------------------------------------------------

 シュメールの叡智を保つ者たちは、「聖なるリズム」を自分の利益のために用いることをしなかった。なぜならそれは必ず、反作用を引き起こすことを知っていたからである。
 日本人がする「年末の大掃除」の習慣は、シュメールの習慣に近いものがある。これを10日早く行なえば、自然のリズムに重ねることができる。この期間に不要な物を捨てると同時に、心における過去も捨て、澄み切った魂になることは自然のリズムにかなっている。このことをもっと大きなリズムで行なうべき時に、今、現代人はいるのである。

 人間の努力には、本筋から外れた努力というものがある。現代人の中には、そうした努力によって自分を見失っている人が大勢いる。現代の文明にしがみついている人々もそうである。一度頂点に達した文明が死期へと至るとき、なおもそれにしがみつこうとした人々は、過去の文明でもたくさんいた。一度握った権力を手放さず何とか維持しようとする人々、死期にあることに気づかず、今からそれを追いかけようとする人々は、そうした生き方によって結局、過去においても自らを失うことになった。つまり、その努力そのものが、彼らを宇宙のリズムから引きはがすのである。
 宇宙のリズムに合致した努力には必ず、あふれ出るような使命感や躍動感、爽快感を伴うものである。それらが感じられない努力は、いかなる努力であろうとも、宇宙のリズムから外れている。
 シュメールでは、人間の思いである思念は神から与えられるものと考えられていた。与えられた思念である以上、それは必ず宇宙のリズムに合致する。つまりそれを受け取るためには、受け取るための魂の空間を用意しなくてはならないというのが、シュメールの神官の思考に対する認識であった。
 そのようにして用意された空間に、節目(ふしめ)の時には必要な思念が舞い降りる。そしてその思念は、次のサイクルに向けて強い創造力を発揮するのである。自ら作り上げた思念によっても物事は成就することができるが、しかしそれらは長期的には宇宙のリズムを壊すのである。
 思念というものは、心が空白でありさえすれば、必ず各人にもっとも必要なものが与えられるようにできている。それは自ら作り出すものではないことを現代人は知らなければならない。それを受け取るべき「時の中心点」が、「節目の時」である。
 宇宙の星々は自らの主張のためにスピンするのではない。星々は中心の力にうながされ、その力に自らをゆだねることによって行なわれるスピンという自己完成の悦びに打ち震える。宇宙の存在は、波に自らをゆだねるサーファーのようなものであり、いかにゆだねられるかですべてが決まるのである。
 宇宙は、必要なところに、必要なだけの、必要な配置を与える。その計算に狂いはない。しかしながら、個人の意志で何かを目指し、個人的な思いの力でそれを実現しようとする者であふれる時、それはすでに、思念の次元に摩擦と闘争を生み出しているのである。

「ガイアの法則」/ 千賀一生 徳間書店
マンモス------------------------------------------------------------------------------------------------------

 また、この頃まで地球でマンモスが生きていた。ロシアの北極海のランゲル島で化石が見つかっている。

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