テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 19
今日の 破・常識!
今までの歴史認識を180°変えてみよう!
弥生時代はいつ始まったのか?
いろんな説があり、学者のみなさんも混乱しているようです!
また 縄文時代 と 弥生時代 の差を
何に求めるべきか・・という
本質的な論争が研究者の間で 現在 展開されています。
なぜ 論争が起きるのか?
それは 古い時代から新しい時代に代わることは、
文明が進化、発展しているという、思い込みがあるからなんです!
しかし このブログの読者であるあなたは、
真・・実に気づいてしまいました。
縄文時代から 弥生時代への移り変わりは、
文明が衰退していってしまったこと!
そんなぁ~~~!
そんな認識 教えられてないもん・・・ですよねぇ~~(笑)
私は まだまだ ぶっ飛んだ情報、あなたにお伝えしますからね。
ここでしっかり いままでの歴史認識を 捨てておかないと
超アルレロ~~の連続で ヒストリーショックで失神しちゃうかも(笑)
とにかく 先へ進む準備をしっかり、よろしくで~~す!
と、いうことで・・・論争なんですが、
まず、土器について!
縄文土器 と 弥生土器、
よく教科書に写真が出ていて、学校のテストで
どっちが縄文で どっちが弥生、
時代の古い順に並べなさい・・・みたいな問題ありましたよねぇ。
私の場合 どう見ても
縄文土器のほうが 重厚で インパクトがあったので、
こっちが新しい時代に作られた・・みたいな感覚があったんです!
そう 歴史認識に違和感を感じてたんです!
でも やっぱり その感覚は間違っていなかった。
縄文土器のほうが 確実に上質なのです。
縄文土器は 素焼きなんですが、
実際かなりの高温で焼かれたもので
普通の焚火の火力では 焼けない物なのです。
縄文人が 土の中に特殊な鉱物を入れ
特殊な窯を作って焼いたものなんですって!
だから 素焼きなのに 水漏れもせず 煮炊きもできたんです。
相当 高度な技術で作られたんですって!
弥生土器は 渡来人が縄文土器を真似して作ったもので・・・
何回チャレンジしても 同じものは作れず
仕方なく薄くして焼いたのです。
でも 歴史的に縄文土器より
弥生土器のほうが優れていると思わせなければいけなかったので、
縄文土器は呪術や祭祀に利用していたもので実用性はなく
弥生式土器ができて実用的に作られ生活が豊かになったと
刷り込もうとしているのですね。
前回 渡来人が増えたために 比較・対立がうまれ
分離がはじまり そして 所有する意識が生まれた・・と。
イメージしてみてください。
テラ(地球)は、地球上の生き物すべてに
平等にすべての物を与えているんです。
しかし 渡来人は まず土地を分割して所有し 農作物を作って
貯蔵し そのために労働力を集め 生産能力を上げ・・・
多くを所有するもの、争いに強いものが支配者となり
その他の人間たち支配し 身分の差別を作った。
これが 文明の進歩なんでしょうかね??
その所有する意識が生まれたために、集落の形態が変わり
竪穴式住居で家族で生活するという分離がはじまり
もともと 自然に出来ていた米を
彼らは 人工的に水田を作り稲作を始めたのです。
また 縄文人は ”死”という意味をちゃんと理解していたので
お墓は 必要ありませんでした。
魂は 元の世界へ戻り 肉体は自然に帰る・・それでよかったのです。
渡来人は お墓を作ることで 権力・存在を誇示しようとしたのです。
文字を使っていた縄文人は 渡来人に文字を教えました。
文字を教えてもらった渡来人の中に 大陸に帰ったものがいました。
それが 大陸で変換され 漢字というものができたのです。
縄文人は 文字で記録を残す・・という意識はありません。
だから 日本列島の縄文時代の真実の歴史の記録はありません。
記録・・というのも権力・存在の誇示なのです。
この意識を持つ ナーガ系の大陸の人間たちによって作られた漢字で
日本の縄文 弥生時代の歴史が
彼らの都合のいいように記録されたのです!
テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 20
今日の 破・常識!
参考資料が 真実でなかったら
歴史の真実にたどり着けない!
邪馬台国・・・
中国の魏志倭人伝に記された 日本の古代の国をめぐり
江戸時代以降、様々な論争が繰り広げられているみたいですねぇ~~
学会の関心事が、現在では 多くの人々に注目されるようになり
新たな説が出るたび 世間でも そりゃ大騒ぎさぁ~~(笑)
しかし 今なお 解決を見ていないのです。
はたして 邪馬台国はどこにあり その女王 卑弥呼は
どのような人物だったのでしょう?
興味のある方は ちょっと古いですけど・・こちらをご覧ください。
邪馬台国論争
・・ということで さくやさんに教えてもらいましたぁ~~~!
まず この年表を見てください.
日本と中国の歴史年表
日本の歴史が 資料に記録され年表に最初に登場するのが
紀元前後「漢書地理志」にあった・・・
倭国百余国に分かれ その一部は
漢の楽浪郡(現在のピョンヤン付近)と
交渉を持っていた…ということ。
57年とはじめて年代が記録されていたのは、
「後漢書 東夷伝」
そして 卑弥呼について 年表に登場するのは
「魏志倭人伝」からの記録によるものです。
いやいや 弥生時代あたりの日本の歴史は
大陸の国の記録の中から 引っ張ってきたものなのですねぇ~~
その資料は 渡来人がわたってくる前にいた大陸の国の本なんです。
前にも書きましたが 渡来人が来る前の縄文時代の真実の記録は
すべて消されました。
渡来人が増え 弥生時代が
渡来人によって進んだ文明が取り入れられ
日本が進歩したことを 印象付けるため
支配者である渡来人(弥生人と呼びます)に
都合のいいように作られた記録なのです。
だから これらの資料は 日本の歴史の真実を知る上においては
意味がないんです~~よ!
ただ 違う意味で 参考にはなりますけどね(笑)
卑弥呼とは?
神官として 神のお告げを聴ける少女のことなんですって。
大陸の国の意図で 日本列島を自分たちの属国にするために
その少女を支配者が利用したんです。
縄文人は ドラコニアン(水棲龍族)と
普通にテレパシーで話してたんですが
純粋な縄文人が長い間に少なくなって 弥生人が増えていきました。
弥生時代の後半になると
弥生人のほとんどが超感覚を忘れてしまっていました。
それらの人々を 支配するために
卑弥呼という 少女の神官を作り上げたのです。
日本列島は 龍の形をしていて その背骨や手足に当たる地域に
最初に来た縄文人は 百か所くらいに集落を作りましたよね。
その縄文人の それぞれの集落の中に 渡来人が入ってきて
弥生人の集落になったのです。
その集落が 弥生時代の後半には 村ではなく 邑と呼ばれるくらいの
大きな地方都市のようなものになっていました。
そこで 日本列島のすべての邑を支配しようとしたのです。
実は、卑弥呼は 一人じゃないんです!!
卑弥呼は 8人くらい存在したのです!!
超アルレロ~~! 8人もいたの~~~???
日本列島を 8分割くらいにして その一地域にひとり、
卑弥呼を作り上げ 支配しようとしたのです。
それぞれの 卑弥呼には マネージャー的存在がいました。
当然 男性です。
大陸の国の命令を受け 裏で卑弥呼を操っていました。
神のお告げに従わないと 大変なことになる・・と
人々に恐怖を与え 支配していったのです。
が、思ったほどうまくいかなかったんですねぇ~~。
弥生人が増えたといっても 邑によっては 縄文人のDNAが残る人々が
大勢いたのです。
しかし 一か所 うまく思い通りにいった邑がありました。
それが 邪馬台国です。
現在の説では 邪馬台国の候補地は 60以上あり
遠くは海外に求める説まであるんですって。
(畿内)大和説 と 九州説が 代表みたいですね。
では 邪馬台国は どこなのか?
じゃ~~~ん! 現在の和歌山で~~す。
そんなぁ~~、論争に終止符 うっちゃったあ~~!
ま、信じる人が何人いるかですけど~~~(笑)
現在の和歌山あたりの邑に存在した 卑弥呼とそのマネージャーは、
結構 長けてたみたいです。
思うように 人々を支配していき 勢力を拡大していきました。
その邑を 日本列島の支配の足掛かりにして 勢力を広げ
この後 国家(大和政権)が 成立することになるんです。