THE PAGE 12/10(土) 15:00配信
新型がん治療薬「オプジーボ」の薬価が半額になる――。こんなニュースが先月、衝撃を持って伝えられました。オプジーボは画期的な新薬である一方、非常に高額でもあり、厳しい医療保険財政を背景に「国を滅ぼしかねない」とまで憂える報道もありました。いったいどんな薬で、なぜ緊急的に薬価が引き下げられたのか。薬価が決められる流れと合わせてみてみましょう。
1人あたり“1年間で約3500万円”
オプジーボとは、身体の免疫システムに働きかける、新しいタイプのがん治療薬のこと。通常は免疫システムががん細胞を攻撃し、排除してくれるのですが、がん細胞の中にはに免疫システムをだまして、攻撃を受けずに生き延び、増殖するものが存在するのです。オプジーボは、がんのそういった『だましの手口』を妨害し、免疫システムに働きかけて、がん細胞への攻撃を続けさせることで効果を発揮します。ノーベル賞候補としてもたびたび名前の挙がる、京都大学の本庶佑客員教授らの研究が開発の出発点となりました。(詳しくは)
効果のあらわれ方は人によりますが、がんの免疫療法としては初めてと言っていいほど高い効果が期待でき、手術もできない、末期の患者さんの助けとなる可能性を秘めたオプジーボ。すごく画期的で、有望な薬なのですが、オプジーボは薬価(薬の値段)が高いことでも有名です。オプジーボを使った治療を、1人が1年間続けると、約3500万円かかります(2016年12月現在。薬の使用量は体重などによって変わるので、この値段は目安です)。「高額療養費制度」のおかげで、患者さんは医療費がどれだけ高額になっても、収入に応じた一定の負担で済みますが、残りを負担する国や地方、健康保険組合は大変です。
その高額な薬が半額になるなんて、驚きです。この報道に希望を見いだした患者さんも多いのではないでしょうか。しかし、そもそもなぜ、そんなに高くなってしまったのでしょう? 製薬会社がお金儲けしたくて値段をつり上げたのでしょうか?
いいえ。実は、日本で保険適用される薬の値段を決めているのは製薬会社ではありません。
では、誰が、どうやって決めているのでしょうか? そして、今回の値下げの背景は何なのでしょうか? 薬の値段について、考えていきましょう。
新しい薬が私たちのもとに届くまでには、長い道のりがあります。実験動物や実験室で育てている細胞を使った非臨床試験、健康な人や患者さんを対象にした3段階の臨床試験で効果や安全性を何年もかけて確認し、専門機関による審査を受けなければなりません。 それに合格してようやく、日本での製造・販売が許可されます。一般的に、非臨床試験から承認・発売までにかかる期間は、9~17年。研究を始めた化合物が薬として世に出られる確率は、2万分の1とも言われています。 薬価が決まるのは、その最後の段階です。
薬価は、厚生労働省の中央社会保健医療協議会(中医協)が、一般にも公開されている基準(「薬価算定基準」という)に沿って決めています。中医協は、健康保険に関わる人々(保険料や診療報酬を支払う側)、医療関係者(診療側)、その分野に詳しい「有識者や学識経験者」などと言われる方々(公益側)からなる組織です。
オプジーボの薬価はどんな根拠で決まったのでしょう。オプジーボが承認されたとき、似たような仕組みでがんに効く薬(類似薬)はありませんでした。このような場合、薬価は「原価計算方式」という方法で決められます。これは、実費をもとに計算した原材料費に、いろいろな調査・統計から計算できるその他の費用を足し算する方法です。
オプジーボの場合、チャイニーズハムスターの遺伝子組み換えをした細胞が作り出すタンパク質が有効成分となっています。培養皿の中の細胞自体が「工場」となり 、できあがった有効成分を取り出して薬にしているのです。原料の化学物質を大きな工場のラインであれこれして作るのとはだいぶ異なります。そのため、製品をつくるためにかかる費用は、一般的な薬に比べかなり高額になります。
また、注目したいのは研究開発費。オプジーボの開発には15年という長い年月がかかっており、具体的な金額は公表されていませんが、少なくとも1,000億円以上の費用がかかっていると考えられます。しかし、承認当時、オプジーボによる治療の対象になったのは、「悪性黒色腫(メラノーマ)」という、患者さんの数が少ない、珍しい皮膚がんの一種だけでした。つまり、お金をかけてつくったのに少ししか売れない。それだと製薬会社は困ってしまうし、あえて患者さんの少ない難病の薬を開発する意欲が失われてしまいます。そのため、オプジーボの薬価には研究開発費と、その革新性や治療における意義(悪性黒色腫に使える薬は非常に限られている)を考慮した利益も多めに含まれています。
さらに、オプジーボは世界で最初に日本で承認されたため、他の国と薬価値段を比較し、調整することができませんでした。もし他の国の薬価を参考にできていれば、もう少し安くなっていたかもしれません。実際、日本でのオプジーボの薬価値段は100mgで約73万円ですが、アメリカでは約30万円、イギリスでは約14万円です。
ちなみに、つい最近、「キイトルーダ」というオプジーボと全く同じ仕組みでがんと闘う薬が日本でも承認されました。この場合は、すでに類似薬(オプジーボ)が存在するので、「類似薬効比較方式」という、先ほどとは別の方法で値段が決まります。オプジーボの薬価を基準にして、キイトルーダの方が薬として優れているところがあれば値段を上乗せしていく方式です。海外の薬価も参考にしつつ、日本での薬価も近いうちに決まるものと思われます。
さて、オプジーボの話に戻りましょう。冒頭で紹介したように、オプジーボの薬価が2017年2月1日から半額になります。半額、と聞くと、消費者としての私たちは無条件に嬉しくなりますが、患者さんが少ない病気の薬でも、きちんと利益がでるようにするための価格設定だったはず。いきなり半額にして本当に大丈夫なのでしょうか。
実は、オプジーボによる治療の対象は拡大しています。手術をしても完全にとりきれない悪性黒色腫に加え、15年12月に「非小細胞肺がん」、16年8月に「腎細胞がん」に対しても使用が認められました。さらに、「ホジキンリンパ腫」と「頭頸部がん」ではすでに臨床試験を終え、適応拡大の申請済み。その他8種類のがんでも、臨床試験が最終段階の第III相まで進んでいます。「これだけたくさんの患者さんに使ってもらえるようになったのだから、今まで上乗せしていた分をカットしてもいいよね?」という理屈で、薬価が見直されることになったのです。さらに、海外での薬価と比べ高すぎることへの批判や、キイトルーダという類似薬の登場も念頭にあったと考えられます(キイトルーダの薬価は改訂後のオプジーボの薬価を基準に検討される見込みです)。
通常、薬価の見直しは2年に一度まとめて行われており、次回の予定は2018年4月です。なぜ、こんな中途半端な時期にオプジーボの薬価が見直されたのでしょう?それには、次回の見直しタイミングをのんびり待っていられないほど危機的な状況にある、日本の医療財政が関係しています。
医学が発達し、先進的な治療がたくさん出てきた一方で、がんに限らず、病気の治療にかかる費用はどんどん上がっています。さらに、高齢化が進み、医療を必要とする人の数も増えています。安全で良く効く、新しい治療の登場も、みんなが長生きできるようになったことも、それ自体はとても喜ばしいことです。しかし、個人や会社が負担する健康保険料と、国や地方からの支出で費用をまかなう日本の医療制度は、膨らみ続ける医療費をすでに支えられなくなってきています。
今から25年前、1991年の国民医療費は21.8兆円。一方、昨年は41.5兆円です。ほぼ倍増しています。「治療法はあるのに、お金がなくて治療を受けられない」。人の命はお金で買えないはずなのに、そんな悲しい未来が私たちを待ち受けているかもしれないのです。
何とか制度の破綻を避けようと、今回のように例外的な薬価見直しを行ったり、定期的な見直しを2年に1回から1年に1回に変更することも検討されたりしています。ただ、適応となる疾患が増えたことを理由に大幅な薬価引き下げが頻繁に行われれば、「いっそ適応疾患は少ない方がいいや」と、製薬会社が新たに臨床試験をして、適応拡大を申請することに消極的になってしまうことも考えられます。そうなると、患者さんの治療の可能性が狭まることになってしまう……難しい問題です。
課題もたくさんあるけれど、みんながわずかな負担で、いつでも病院で高度な治療を受けることができる日本の医療制度はありがたいものです。しかし、その財源には無限ではありません。限りがあります。これからもずっと、本当に必要な人が安心して治療を受け続けるために、私たちはそれを支える仕組みについて知り、自分と医療との関わり方を改めて考えてみる必要があるのではないでしょうか。
◎日本科学未来館 科学コミュニケーター 浜口友加里(はまぐち・ゆかり)
1985年、北海道生まれ。2015年より現職。人の心と神経系の発達に興味を持ち、文系と理系の間をさまよう。趣味はウーパールーパーの観察