2016年11月10日
「道」は、絶対不変の真理です。
宇宙や天地は、開闢(天地創造の始まり)以来一刻も休まず運行し、人や世の中も時々刻々と変化しています。この道だけは千年万年を経ても永遠に変わることはありません。大昔の修行者も道を得て聖人・仙仏になっています。現在も同じ道を得て、同じように修道すれば聖人・仙仏となることができます。
道を知る人は、本源(創造主の懐)に帰ることができ、迷い彷徨う人は、輪廻の世界で気づくまで縁を求めて生まれ変わり続けることになります。道こそがふるさとに帰る不二(二つとない)の法門といわれ、陰陽界から脱して崇高な使命を全うし、もと来た永遠の極楽浄土(7次元以上)に帰るには、この道を求める以外にありません。
釈迦略伝
大英博物館所蔵 釈迦画像
(三)出家
悉達多太子が降臨されたときのことですが、父君浄飯王は阿私陀(あしだ)という一人の仙人を招いて太子の相を見てもらいました。 阿私陀仙人は太子の相を見て歎きながら「太子の尊容は偉大です。その実には三十二相が具わり凡人ではありません。もし出家しなければ、必ず転輪聖王となり、五つの天竺(てんじく)を統括することでしょう。五天竺というのは東・西・南・北・中央の五印度(全印度)を指します。
もし出家すれば、必ず三界(天・地・人)の導師となられるでしょう。悲しいかな私はすでに老いてしまい太子の説法を拝聞することができないのが残念です。 浄飯王は阿私陀仙人の言葉を一通り聞かれ、大変喜ばれる一方、また悲しまれました。そして〝どうか、太子が私を離れて出家することなく、転輪聖王となるように“ と心ひそかに願い、あらゆる方法を考えて太子の出家を妨げました。
太子には世間のあらゆる楽しみを与え満足させようと思い、それ以外のことには目もくれないよう三殿を建てて太子に与え、多くの宮女と召使をはべらせました。 浄飯王は太子を一種の真情で愛し養育して、一国の富が傾くほどのことがあっても惜しみませんでした。 太子が17歳になったとき、浄飯王は善覚王(ぜんかくおう)の王女耶輪陀羅(あしゅだら)を妃に迎え入れ多くの美姫をよんで毎日歌舞や管弦をして人間の快楽を尽くさせました。
しかし、太子の心中は人間の生・老・病・死の無常を深く悟り、求道の念は日とともに増し、このような宮中の楽しみも太子の心を動かすことは不可能でした。ある日、太子が父君の面前に参って、出家しようとする強い志を詳しく申し上げました。するとこの話を聞いた浄飯王は驚きながら「汝がもし成し、一切の衆生を救おうとするなら、まず父のこの苦悩を救うべきではないか、一刻も早く位を汝に譲って梵行を修めることに勤しみたいと思う、それが父の宿願である。」と申しました。しかし、父君のこのような話は太子の出家の志を動かすことはできませんでした。
太子が19歳になったときに、耶輪陀羅妃が一子を生みました。羅喉羅(らごら)と名づけられました。一般国民はみな王孫の誕生を喜びました.しかし太子はひそかに〝一子が生まれたので父王の命にそむいて出家しても、多少ながら父君の憂いを減らすことができるであろう”と考えました。そして遂に決心し二月八日の夜ふけ人が寝静まったころ、宮中を出て馬車に乗り迦比羅城を離れ去ってゆきました。
苦行(四)
悉達多太子は迦比羅城を離れて17里あまりを走り、藍摩市(らんまし)につきました。そしてさらにこれより東に進み、阿跋彌河(あばみがわ)の深い森林の中に入り、四方静寂なところを一箇所選んで修道の場所に当てました。
この時は、髪や髭をそり、袈裟を着て宝服を脱ぎ、車夫に持たせ馬車と共に城に帰らせ父王に奉還することにしました。そうして「人生は早かれ遅かれ離別するものであって、いずこに一緒に居住することができましょうか」との口信をお伝えしました。
それからまた東に向かって進み、跋迦仙(ばがやせん)を訪ねました。跋迦仙は婆羅門(ばらもん)の一人の苦行者であって、苦行しなければ解脱できないと説いていました。
太子が跋迦仙が苦行されるのを見て、跋迦仙に[汝はなぜこのように苦修するのですか」と問いました。すると跋迦仙は[欲によって天に生是利、来世天上の楽果[楽が]を得んと欲すれば、苦修せざるを得ざるを得ない、それのみなり」と答えました。
太子は「汝の求むるところの天上の楽果は亦、究竟にあらず、諸天は楽といえども、福報限りあり、福業尽きれば、また六道輪廻の苦報受けるを知るべし、汝の楽と説くところのものは、究竟苦しみのみなり」と告げて、遂に跋迦仙のところから離れてゆきました。
さて、太子が迦比羅城を離れて後、まもなく父王はことの詳細を知り万分の驚きをなして、直ちに臣下を派遣し四方を探させました。ちょうど慌しく探し回っている時、車夫が馬車を率いて王城に帰ってきました。
車夫は出城の経過と太子の口信をいちいち浄飯王に申し上げました。そこで浄飯王は二人の大臣と師夫を派遣し、太子を迎えて帰るようにしました。この一行が跋迦仙のところに着きますと、跋迦仙は「太子はすでにここを離れて北の方にいかれました。」と申しました。一行はまた北の方に向かって追っていきますと、樹下に座しておられる太子を発見しました。一同は大喜びして、父君が如何に太子を思って心配しておられるかを告げて速やかに城に帰るようにすすめました。
続く