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神聖で荘厳な歴史ドラマが始まる~アガルタとの出会いは釈迦の法華経に伝えられていた。

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2016年11月1日

地底の情報が活発になって歴史的なできごとや内部の様子などがだんだん明らかになってきましたが、実際はもう始まっていて、特に日本でそのことがとても重要になって来るように思います。

今日は、2400年前の仏教の法華経でこの重大な時期のことが説かれていたことをご紹介します。

地底のアガルタ人がなぜ地上に出てくるのか、宇宙からも多くの宇宙人種が何万年も前から地球に降り立って輪廻してきたのか、これから先の課題が見えてきます。 

8月12日のSheldan Nidle Updateで「金本位制度の世界的な展開に備えられるように膨大な量の金が用意されています。この世界の古代からのファミリーはこの黄金をある場所に隠していました。これらのファミリーは光に貢献し、光と自由の新時代との繋がりがある世界の繁栄をもたらす、クアン・イン(観音)とセント・ジャーメイン(サンジェルマン)に対する支援のみを願っています。今起きつつあることは平和、繁栄、及び全ての者の当然の尊厳をもたらす為の大きく複雑な戦略の最終段階なのです。」

このメッセージに登場する観音菩薩は弥勒菩薩とともに世界に平和をもたらすアジアの象徴的存在です。そして老子以来の中国の古代眷属がその財宝と英知を以て切に人類への支援を願っている、とされています。

中国古代の眷属が「切実に願う」その意味は、すべての人類の尊厳を復活させることが創造主の考えですから、人々が自ら完全意識に目覚めそのための崇高なるプログラムを自ら実行するのでなければ、支援したくとも支援できないことになります。

そのプログラムがどのように行われてゆくのか、文殊・観音・普賢菩薩の継承にも一つの流れがあります。過去にそれぞれの菩薩の弟子で今日本で生をうけている方々などが徐々に目覚め、地底の人々と交流(修行)しながら、コアを築いて人類の尊厳を体現してゆきます。

あなたの身近に迫ってる新しい時代は神聖で荘厳な歴史ドラマです。

あなたは、この経典をどう読みますか? 

 

【要約法華経 従地涌出品第十五】

従地涌出品(じゅうじゆじゅつほん)第十五

そのとき他の世界から来た、八つのガンジス川の砂の数ほどの菩薩たちは、起立し、合掌し、礼拝して釈尊に言った。
「世尊よ、もしわれらに、世尊の入滅ののち、この娑婆世界でこの経を護 (まも)り、読み、誦し、書写して供養することをお許し願えれば、 われらは広くこの経を説いて廻りましょう」
釈尊は諸々の菩薩たちに告げた。
「いや、その必要はない。わたしには六十のガンジス川の砂の数に等しい菩薩たちがいる。さらに一人一人の菩薩に 六十のガンジス川の砂の数に等しい随行者がついている。このものたちが、わたしの入滅ののちにこの経を護り、読み、誦して広くこの経を説くだろう」
そのとき、娑婆世界の三千大千世界のすべての国土が激しく揺れ、地が割れ、その中から幾千万億の菩薩たちが一気に 湧き出てきた。身は金色に輝き、如来の相を有し、光明を放っていた。みな娑婆世界の下の虚空に住んでいて、釈尊の声を聞いて現われてきたのである。菩薩たちは湧き上がって、虚空に浮かび、七法の塔の多宝如来と釈迦牟尼仏に向かって頭面に足を礼し、また諸々の宝樹に座している諸仏にもそれぞれ礼拝し、二仏を仰ぎ見てまたそれぞれの菩薩が仏を賛嘆した。こうして五十小劫が経ったが、その間、釈迦牟尼仏は黙然として座していた。会衆には半日に思われた。
この菩薩たちのなかに、四人の導師がいた。それぞれ上行 (じょうぎょう)、無辺行 (むへんぎょう)、浄行 (じょうぎょう)、安立行 (あんりつぎょう)といった。一同は釈尊に挨拶の言葉を述べた。
「世尊よ、つつがなきや。救うべきものたちは、教えを信受しておりますでしょうか。世尊にご面倒をかけて おりませんでしょうか」
「おお、その通りだ。面倒なことは少しもない。この衆生は過去世において諸仏に仕え善根を植えているので、わたしの所説 を聴いて、容易に如来の智慧を得るに至っている」

そのとき弥勒(みろく)菩薩は不思議に思い、また八つのガンジス川の砂の数に等しい菩薩たちもみな同じ思いをもっているのを察して、 弥勒菩薩は詩句をもってその思いを釈尊に問うた。
「世尊よ、この大量の菩薩たちはどこから来たのでしょうか、またどうして来たのでしょうか。菩薩の数は無量であり、 菩薩たちが率いる随行者たちの数もまた無量である。ある菩薩たちは六十のガンジス川の砂の数に等しい随行者を連れており、それより多くの菩薩たちが 五十ガンジス川の砂の数に等しい随行者を率い、さらに多くの菩薩たちがあるいは四十の、あるいは三十の、あるいは二十の、 また十の、また五の、四の、三の、二の、一のガンジス川の砂の数に等しい随行者を連れている。その数は幾千万億かかっても 数えることができない。さらに多くの菩薩たちが、百万、一万、百、五十、十、三、二、一の随行者を従えており、 またただ独りを楽しむものもあり、それらの菩薩たちはさらに多数います。これらガンジス川の砂の数に等しい劫の間数えても、その数を知ることはできないでしょう。誰が、これらの菩薩や随行者たちに法を説き、彼らは、どのような仏法を称揚し、 どのような経を信じ、どんな仏道を修行したのでしょうか。世尊よ、われらは未だかってこのようなことを見たことがなく、わたしはこの中の誰一人として知りません。どうかわれらの疑問に答えてください」

釈尊は弥勒菩薩に答えた。
「世尊よ、実にいい質問をしてくれた。わたしは今お前たちに告げよう。この無量阿僧祇の菩薩たちは、わたしが娑婆世界で、 の近く尼連禅河のほとりの菩提樹下でを得てから、わたしが教え導いたものたちである。 この菩薩たちは、娑婆世界の下の虚空に住し、衆のなかにいることを願わず、静かな処を好み、精進を重ねて休むことを知らず、深い智慧を求めたのである。今、真実を告げよう。わたしは久しい昔からこれらのものを教え導いて来たのである」
弥勒菩薩は釈尊に問うた。
「世尊よ、世尊は太子であったときに釈迦族の宮殿を出て、伽耶城の近くに座し、阿耨多羅三藐三菩提を得られました。それから 四十年余の年月しか経っておりません。その間にこのような無量の菩薩たちを無上道に導かれたのですか。この菩薩たちの数は、千万億劫をかけて数えたとしても数え切れません。またこの菩薩たちは久しい昔から、幾千万億劫のあいだ、諸々の善根を植え、菩薩道を修して来たものたちであるとします。このような有り得べからざることは、世間の人は信じられないでしょう。たとえば、 二十五歳の人が百歳に人を指して、これはわたしの息子であると言い、百歳の人が年少の人を指して、これはわたしの父である、と言うようなものです。わたしたちは信じたとしても、世尊の入滅ののちの人びとは信じないでしょう。 そしてこの経に疑いをもつでしょう。どうかこの疑惑をとり除いてください」

弥勒菩薩はこれらのことを、重ねて詩句をもって唱えた。

 

Blog「道」より転載


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