2016年10月28日
神の幕屋が地上に降りる時を告げるため、ソロモン王が遺した旧約聖書の歴史メッセージ。その後頽廃した王を離れ、真実はの伝承は日本長野県諏訪の地、守屋山と御柱祭や御頭祭に根をおろし、3000年の時を超えて、一指相伝の秘儀を伝える時を待った。
1A 幕屋にならって 6
1B 構造 1-13
1C 脇屋 1-10
2C 主の約束 11-13
2B 内部 14-37
1C 内堂 14-30
2C 入口 31-38
2A ソロモンの心 7
1B 宮殿 1-12
2B 青銅の細工 13-47
1C ヤキンとボアズ 13-22
2C 海の鋳物 23-26
3C 台 27-47
3B 金の用具、完成 48-51
本文
列王記第一6章を開いてください。今日は6章と7章を学びます、ここでのテーマは「主の家」です。私たちは前回、王ソロモンが、ツロの王ヒラムに材木とその加工を頼み、契約を結んだところを学びました。そして今日は、その材料を使って実際の神殿建設に取りかかる箇所を読んでいきます。建築士の設計図のような箇所ですので、図を見ながら読んでいかれると良いと思います。
1A 幕屋にならって 6
1B 構造 1-13
1C 脇屋 1-10
6:1 イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジブの月、すなわち第二の月に、ソロモンは主の家の建設に取りかかった。
ここは、聖書の年代設定をするときに非常に大事な箇所となります。ソロモンの治世は、紀元前971年から931年であることは分かっています。神殿建設は紀元前966年であり、その480年前が、出エジプトが起こった年ということになります。計算すると紀元前1446年です。そして興味深いことに、出エジプト記を読みますと、出エジプトが、ヤコブがエジプトに移住してから430年経った時と書いてありますから、ヤコブのエジプト移住は紀元前1876年ということになります。そうすると、アブラハムが主から召し出されたときは、大体紀元前二千年ということになります。つまり、聖書の歴史は、紀元前二千年ごろにアブラハム、千年頃にダビデ、そしてもちろん紀元が始まるときにキリスト、イエスがお生まれになりました。
そしてソロモンは治世の第四年目に建設に取りかかった、とあります。ツロの王からの資材の調達を考えますと、彼は王になってからすぐに建設事業に取りかかった、神殿が彼にとって最優先事項の一つであった、と考えられます。
(http://www.geocities.jp/gaironweb/picmatop.htmlより転載)
6:2 ソロモン王が主のために建設した神殿は、長さ六十キュビト、幅二十キュビト、高さ三十キュビトであった。
これは、神殿の建物そのものの寸法です。長さは約27メートル、幅は9メートル、高さは13.5メートルぐらいです。(1キュビト45センチとして計算しています。)そしてこの大きさは、ちょうど荒野でモーセに示された幕屋の型、聖所の型の二倍です。これから神殿の中身を読むと分かりますが、ソロモンは幕屋の型にならって神殿を造っていることが分かります。相違している部分はありますが、それでも基本的な構造は変わりません。
6:3 神殿の本堂の前につく玄関は、長さが神殿の幅と同じ二十キュビト、幅が神殿の前方に十キュビトであった。
神殿の本堂というのは、幕屋の聖所に当たる部分です。幕屋と違って、その聖所の前に玄関があります。
6:4 神殿には格子を取りつけた窓を作った。
聖所の上のほうですね、窓を取りつけました。
6:5 さらに、神殿の壁の回り、つまり、本堂と内堂の回りの神殿の壁に脇屋を建て増しし、こうして階段式の脇間を造りめぐらした。6:6 脇屋の一階は幅五キュビト、二階は幅六キュビト、三階は幅七キュビトであった。それは、神殿の外側の回りの壁に段を作り、神殿の壁を梁でささえないようにするためであった。
図にある神殿の周りを見てください、脇屋があります。おそらくは、祭司らが奉仕のために使う用具がそこに保管されていたと考えられます。三階建てになっており、各階がいくつかの部屋で仕切られています。
6:7 神殿は、建てるとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、いっさい神殿の中では聞かれなかった。
前回話しましたように、神殿建設の現場では材木、石材などはすでに加工されているものを、組み立てるだけでした。
6:8 二階の脇間に通ずる入口は神殿の右側にあり、らせん階段で、二階に上り、二階から三階に上るようになっていた。
図にもあるように、脇間への入口は神殿の右側にあり、そこから他の脇間の部屋に入ります。
6:9 彼は神殿を建て、これを完成するにあたって、神殿の天井を杉材のたるきと厚板でおおった。6:10 神殿の側面に脇屋を建てめぐらし、その各階の高さは五キュビトにして、これを杉材で神殿に固着させた。
天井の骨格は杉材でした。そして脇屋と杉材で固定します。
2C 主の約束 11-13
こうしてソロモンが神殿の骨格を造っているときに、主が彼にお語りになりました。6:11 そのとき、ソロモンに次のような主のことばがあった。6:12 「あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行ない、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。6:13 わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」
主は、以前にも同じようにして、ダビデをとおしてソロモンにお語りになりましたが、今、神殿を建築しているときにも同じように語ってくださっています。私たちも、主のお働きの中にいるときに、前に語られた約束を同じようにして、聖霊が思い起こさせてくださり、私たちを力づけさせてくださいます。
ソロモンへの言葉の内容は、わたしの命令を守れば、ダビデに約束したこと、つまり王座が永遠にあなたから離れないという約束をはたそう、というものです。条件つきでした。そして、主が、「わたしはイスラエルのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない」というすばらしい約束を残してくださいました。主がともにおられる、主が決して見捨てられない、という確証ほどすばらしい慰めはないと思います。モーセはかつて、主の臨在がなければ荒野の旅を続けても、約束の地に導かれてもまったく意味がない、と言って、イスラエルのために執り成しをしました。その通りです、私たちの生活に主の臨在がなければ、他に何が残るでしょうか?主は、キリストの弟子たちにも、「世の終わりまで、わたしはあなたがたとともにいます。(マタイ伝の最後)」と約束してくださいました。
2B 内部 14-37
1C 内堂 14-30
6:14 こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成した。6:15 彼は神殿の内側の壁を杉の板で張り、神殿の床から天井の壁に至るまで、内側を板で張った。なお神殿の床はもみの木の板で張った。
今度は神殿内部の建築です。内面の壁は杉材、床はもみの木です。幕屋の時は板がアカシヤ材でした。
6:16 ついで、彼は神殿の奥の部分二十キュビトを、床から天井の壁に至るまで、杉の板で張った。このようにして、彼は神殿に内堂、すなわち、至聖所を造り上げた。6:17 神殿、すなわち、前面の本堂の長さは四十キュビトであった。
内堂あるいは至聖所は、二十キュビトです。これで長さと幅、高さがそれぞれ二十キュビトの立方体になります。以前も何度か話しましたが、黙示録の最後に啓示されている新しいエルサレムは、立方体です。主ご自身がおられるところです。本堂は二対一の長方形になります。
6:18 神殿内部の杉の板には、ひょうたん模様と花模様が浮き彫りにされており、全部、杉の板で、石は見えなかった。
神殿の外は石が使われていますが、内部は杉の板で囲まれています。そして、ソロモンの神殿に特徴的なのは、植物や花の模様や型がたくさん使われていることです。美を追求しているのでしょう。
6:19 それから、彼は神殿内部の奥に内堂を設け、そこに主の契約の箱を置くことにした。
これは新たに造りません。モーセのときに造った契約の箱であり、今は、ダビデの町に安置されている契約の箱です。
6:20 内堂の内部は、長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、純金をこれに着せた。さらに杉材の祭壇にも純金を着せた。6:21 ソロモンは神殿の内側を純金でおおい、内堂の前に金の鎖を渡し、これを金でおおった。6:22 神殿全体を、隅々まで金で張り、内堂にある祭壇もすっかり金をかぶせた。
内部はすべて金です。そして、香壇があります。これも金でおおわれます。
6:23 内堂の中に二つのオリーブ材のケルビムを作った。その高さは十キュビトであった。6:24 そのケルブの一方の翼は五キュビト、もう一方の翼も五キュビト。一方の翼の端からもう一方の翼の端まで十キュビトあった。6:25 他のケルブも十キュビトあり、両方のケルビムは全く同じ寸法、同じ形であった。6:26 一方のケルブは高さ十キュビト、他方のケルブも同じであった。
契約の箱の上にある贖いの蓋にケルビムがありますが、ここで書かれているのは、それ以外に巨大なケルビムを二つ造ることです。身長が十キュビトつまり、4・5メートルあります。そして翼は2・25メートルほど、両方で4・5メートルです。他の箇所に、ケルビムはちょうど本堂のほうを向いているようになっていますので、図でもそうなっています。
6:27 そのケルビムは奥の神殿の中に置かれた。ケルビムの翼は広がって、一つのケルブの翼は一方の壁に届き、もう一つのケルブの翼はもう一方の壁に届き、また彼らの翼は神殿の真中に届いて翼と翼が触れ合っていた。6:28 彼はこのケルビムに金をかぶせた。
贖いの蓋にあるように、翼と翼が触れ合っています。これは、主を礼拝する姿であると考えられます。ケルビムは、幕屋の説明で話しましたが、主の御座のすぐそばにいる天使であり、絶えず主を賛美し、礼拝しています。またエデンの園では、いのちの木を守るために炎の剣を持っていました。
6:29 神殿の周囲の壁には、すべて、奥の間も外の間も、ケルビムの彫刻、なつめやしの木と花模様の彫り物を彫った。6:30 神殿の床には、奥の間も外の間も、金をかぶせた。
先の説明のとおり、壁には花や植物の模様が彫られています。また、幕屋でもそうであったようにケルビムも壁に彫られます。
2C 入口 31-38
6:31 彼は内堂の入口を、オリーブ材のとびらと五角形の戸口の柱で作った。6:32 二つのオリーブ材のとびらである。彼はその上に、ケルビムの彫刻となつめやしの木と花模様を彫り、金をかぶせた。ケルビムと、なつめやしの木の上に金を延ばしつけたのである。6:33 同じように、本堂の入口にも四角形のオリーブ材の戸口の柱を作った。6:34 もみの木の二つのとびらである。一方のとびらの二枚の戸は折りたたみ戸、片方のとびらの二枚の戸も折りたたみ戸であった。6:35 彼はケルビムと、なつめやしの木と花模様を彫りつけ、その彫り物の上に、ぴったりと金を張りつけた。
内堂と本堂の仕切りになっている戸と、本堂の入口の戸の説明です。幕屋のときは幕でしたが、神殿の場合は戸になっています。いや、内堂と本堂の間には垂れ幕があったでしょうが、その他に戸もありました。
6:36 それから、彼は、切り石三段、杉角材一段の仕切りで内庭を造った。
本堂の周りに庭があります。そして庭は、ここに書かれているとおり切り石と杉角材による仕切りで囲まれています。内庭とありますから、外庭もあります。内庭は祭司たちが奉仕するところであり、一般のイスラエル人は中に自由に出入りすることはできませんが、外庭は違います。
6:37 第四年目のジブの月に、主の神殿の礎を据え、6:38 第十一年目のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が、その明細どおりに完成した。これを建てるのに七年かかった。
正確に言うと、七年半かかりました。ジブは現在の月ですと4月から5月、ブルは10月から11月だからです。
2A ソロモンの心 7
そして7章に入ります。次に出てくる月日が、今日学ぶところで鍵となります。
(http://www.geocities.jp/gaironweb/picmatop.htmlより転載)
1B 宮殿 1-12
7:1 ソロモンは自分の宮殿を建て、十三年かかって宮殿全部を完成した。
神殿には七年半かけましたが、自分のための宮殿には十三年かけています。今から読むところに宮殿の説明がありますが、神殿よりもはるかに大きく、その使われている素材も神殿と同じものです。実はここに、ソロモンの霊性が現われています。
それは、ソロモンは主を心から愛していたけれども、その富によって思い煩っていたという事実です。町や都市の建造物から、私たちは何を人々が価値観を置いているのかを知ることができますが、昔は偶像の宮などが、もっとも装飾がこらされて、きわだった建造物だったでしょうが、それはその偶像を大事にしていたからです。今は何かと言いますが、あらゆるものにまして、ショッピングセンター、オフィス街など、商業がもっとも大事にされている、つまりお金と物質が神になっていることが分かります。
ソロモンも同じでした。彼は主を愛していました。幕屋にそって神殿を造りました。また今学んでいる列王記第一の前半には、ソロモンが主を愛していて、いけにえをささげ、また祈りをささげている部分がたくさん出てきます。彼の問題は主を愛していない、ということではなかったのです。主を愛しながら、なおかつ富や繁栄の中にいた、その中で主にあって富を管理し、支配する立場にとどまらずに、いつの間にか富の中に埋没するようになっていきました。そして最後には、偶像を拝むような晩年を送ってしまったのです。これを、イエスさまの四種類の土のたとえに当てはめると、いばらが土に生えて、ふさいでしまった、実が結ばれなかった例です。良い肥えた地に落ちたのは良かったのですが、いばらも生えていました。ソロモンの心はそのようであり、しだいに富と力が彼の心をむしばんでいったのです。とくに、外国人の女が命とりとなります。
7:2 彼はレバノンの森の宮殿を建てた。その長さは百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトで、それは四列の杉材の柱の上にあり、その柱の上には杉材の梁があった。7:3 また四十五本の柱・・一列に十五本ずつ・・の上の階段式脇間の屋根は杉材でふかれていた。7:4 戸口は三列、三階になって、向かい合っていた。7:5 戸口のとびらと戸口の柱とはすべて四辺形で、三階になって向かい合っていた。
「レバノンの森」と言われている理由は、レバノンからの木をたくさん使われていたからです。また、柱が数多くあるので、それも森と呼ばれた理由でしょう。大きさは、長さ45メートル、幅22.5メートル、高さ13.5メートルです。面積は神殿本堂の四倍以上です。
この宮殿の使用目的は、10章17節を見ると武器貯蔵だったようです。お手持ちの図をご覧ください、神殿敷地の入り口に、門から入って一番手前にあるのが、この宮殿だと考えられます。護衛的な役割を話していたのでしょう。
7:6 彼はまた、柱の広間を造った。その長さは五十キュビト、その幅は三十キュビトであった。その前に玄関があり、その前に柱とひさしとがあった。
レバノンの森のさらに奥に、柱の広間があると考えられます。レバノンの宮殿より多少小さめですが高さは同じようです。
7:7 彼はまた、さばきをするための王座の広間、さばきの広間を造り、床の隅々から天井まで杉材を張りつめた。
このさばきの座において、王は実務を行っていたのでしょう。彼のオフィスです。
7:8 彼の住む家は、その広間のうしろの庭にあり、同じ造作であった。また、ソロモンは、彼がめとったパロの娘のためにも、この広間と同じような家を建てた。
ソロモンの住まいです。そして見てください、パロの娘のためにも別宮殿を設けてあげています。彼がいかに、この外国人との妻の関係を大事にしていたかが分かります。
7:9 これらはすべて、内側も外側も、寸法どおりにのこぎりで切りそろえた切り石、高価な石で造られていた。礎から頂上に至るまで、さらに外庭から大庭に至るまでそうであった。7:10 礎は高価な石、大きな石で、十キュビトも八キュビトもあった。
石の大きさは、4・5メートルから3・5メートルぐらいあります。
7:11 その上には寸法どおりの切り石、高価な石と杉材が使われていた。7:12 大庭の周囲には、三段の切り石と一段の杉角材とが使われ、主の宮の内庭や、神殿の玄関広間と同じであった。
大庭のところで、神殿と一体化されていたことがわかります。再びここに彼の霊性が出ていますが、彼は主を礼拝する心を持っていたと同時に、自分の住まいを神殿と同じ高価な石で作り上げていることによって、果たして栄光が主のみに帰されているのかどうかがわかりません。
2B 青銅の細工 13-47
そして次に、神殿における建築物や用具に戻ります。
1C ヤキンとボアズ 13-22
7:13 ソロモン王は人をやって、ツロからヒラムを呼んで来た。7:14 彼はナフタリ族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。それでヒラムは青銅の細工物全般に関する知恵と、英知と、知識とに満ちていた。彼はソロモン王のもとにやって来て、そのいっさいの細工を行なった。
このヒラムは、ツロの王ヒラムとは違います。彼は半分イスラエル人でした。そして青銅の細工の職人であり、神殿の中における青銅でできた細工物を担当しました。
7:15 彼は青銅で二本の柱を鋳造した。その一本の柱の高さは十八キュビト。周囲は他の柱といっしょに、ひもで測って十二キュビトであった。
図をご覧ください。二本の柱は本堂の外、玄関広間の手前左右に立ちます。高さは約8メートルです。
7:16 彼は青銅で鋳造した二つの柱頭を作り、柱の頂に載せた。一つの柱頭の高さは五キュビト、もう一つの柱頭の高さも五キュビトであった。7:17 柱の頂の柱頭に取りつけて、鎖で編んだ、ふさになった格子細工の網を、一方の柱頭に七つ、他の柱頭に七つ作った。7:18 こうして彼は柱を作り、柱の頂にある柱頭をおおうために、青銅のざくろが格子網の上を二段に取り巻くようにし、他の柱頭にも同じようにした。7:19 この玄関広間にある柱の頂の上の柱頭は、ゆりの花の細工であって、それは四キュビトであった。7:20 二本の柱の上にある柱頭の格子網のあたりで丸い突出部の回りには、二百個のざくろが、両方の柱頭に段をなして並んでいた。
柱の上に柱頭の細工物があります。この細工についての描写は読解力不足でよく分かりません。インターネットで考えられる形状を調べましたが、いろいろあります。けれども、ゆりの花のようなかたちをしていることだけは確かです。先ほど話しましたように、神殿では花の飾りが数多く使われています。
7:21 この柱を本堂の玄関広間の前に立てた。彼は右側に立てた柱にヤキンという名をつけ、左側に立てた柱にボアズという名をつけた。
この柱の名前には意味があります。右側のヤキンは、「彼は設立する」という意味です。左側のボアズは、「力をもって」という意味です。つまり、主なる神がご自分の力をもって設立する、ということであり、神殿にふさわしい象徴です。
8章にはいれば明らかになりますが、ソロモンが建てた神殿は、その中に神がはいってもらうためのものではありませんでした。ソロモンは祈りの中で、「天の天も、あなたをお入れすることはできません。」と謙虚に告白しています。そうではなく、そこで主がともにいてくださり、御名を置いてくださり、祈りに答えてくださるために存在します。
新約聖書において、奥義が啓示されました。それは、キリストが私たちのうちに住まれて、私たちが御霊が住まわれる神の宮であることです。パウロは、「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられるのを知らないのですか。(1コリント3:16)」と言いました。したがって、ソロモンの神殿はそのまま私たち自身に当てはめることができます。つまり、私たちも、神の力によって設立している、ということです。自分ではなく、神の力です。
7:22 この柱の頂の上には、ゆりの花の細工があり、このようにして、柱の造作を完成した。
先に話したように、ゆりの花の細工があります。
2C 海の鋳物 23-26
7:23 それから、鋳物の海を作った。縁から縁まで十キュビト。円形で、その高さは五キュビト。その周囲は測りなわで巻いて三十キュビトであった。7:24 その縁の下に沿って、ひょうたん模様が回りを取り巻いていた。すなわち、一キュビトにつき十ずつの割りでその海の周囲を取り巻いていた。このひょうたん模様は二段になっており、海を鋳たときに鋳込んだものである。
鋳物の海とは、祭司らが手足を洗うための洗盤のことです。幕屋においても洗盤が聖所の前にありましたね。けれども、こちらのものはすごく大きいです。直径4・5メートルあります。そして、縁の下あたりにひょうたん模様があります。
7:25 これは十二頭の牛の上に据えられていた。三頭は北を向き、三頭は西を向き、三頭は南を向き、三頭は東を向いていた。この海は、これらの牛の上に載せられており、牛の後部はすべて内側に向いていた。
鋳物の海でもうひとつ特徴的なのは、牛が据えられていることです。東西南北に三頭ずつあります。いけにえで汚れた手足を洗うのですから、この細工はふさわしいでしょう。
7:26 その海の厚さは一手幅あり、その縁は、杯の縁のようにゆりの花の形をしていた。その容量は二千バテであった。
容量は4万6千リットルです。ものすごい量です。
3C 台 27-47
7:27 彼は青銅で十個の台を作った。おのおのの台は長さ四キュビト、幅四キュビト、高さ三キュビトであった。
ここからは、幕屋には記述がなかった、動物のいけにえを洗うところになる洗盤についてです。図をご覧ください、大きさは長さと幅が1・8メートル、高さ1・3メートルです。
7:28 この台の構造は次のとおり。台には鏡板があり、鏡板はわくにはまっていた。7:29 わくにはめられている鏡板の上には、雄獅子と牛とケルビムとがあり、雄獅子と牛の上と下にあるわくの表面には花模様が鋳込んであった。
ここにも模様が鋳込んであります。牛とライオンとケルビム、そして花模様です。
7:30 それぞれ台には青銅の車輪四つと、青銅の軸がついており、台の四隅には洗盤のささえがあり、そのささえは洗盤の下にあって、各表面が花模様に鋳られていた。
この台には車輪があります。自由に移動できるためでしょう。
7:31 洗盤の口はささえの内側にあって、一キュビト上に出ており、その口は丸く、花模様の細工があって、一キュビト半あり、また、その口の上にも彫刻がしてあり、わくの鏡板は四角で、丸くなかった。
台の上に洗盤がはめ込むのですが、洗盤の形状は円形です。
7:32 鏡板の下には四つの車輪があり、車軸は台に取りつけられ、一つの車輪の高さは一キュビト半であった。7:33 その車輪の作りは戦車の車輪の作りと同じで、車軸も、輪縁も、輻も、こしきもみな、鋳物であった。7:34 それぞれ台の四隅には四本のささえがあり、ささえと台とは一体をなしていた。7:35 台の上部には高さ半キュビトの丸い部分が取り巻いており、その台の上のささえと鏡板とは一体をなしていた。
車輪とそれを支える台についての説明です。
7:36 そのささえの表面と鏡板には、それぞれの場所に、ケルビムと、雄獅子と、なつめやしの木を刻み、その周囲には花模様を刻んだ。7:37 彼は、以上のように、十個の台を作った。それらは全部、同じ鋳方、同じ寸法、同じ形であった。
この台を十作ります。
7:38 ついで、彼は青銅で十個の洗盤を作った。洗盤の容量はそれぞれ四十バテ、それぞれ直径四キュビトであった。洗盤は、一つの台の上に一つずつ、十個の台の上にあった。
台の上に載せる洗盤です。
7:39 彼はその台の五個を神殿の右側に、五個を神殿の左側に置き、海を神殿の右側、すなわち、東南の方角に置いた。
図をご覧ください、台はそれぞれ五台ずつ、神殿の左右に並べられます。
7:40 さらに、ヒラムは灰つぼと十能と鉢を作った。こうして、ヒラムは主の宮のためにソロモン王が注文したすべての仕事を完成した。7:41 すなわち、二本の柱と、二本の柱の頂にある丸い柱頭、および、柱の頂にある丸い二つの柱頭をおおう二つの格子網、7:42 また、二つの格子網に取りつけた四百のざくろ、すなわち、柱の先端にある丸い二つの柱頭をおおうそれぞれの格子網のための二段のざくろ。7:43 また、十個の台と、その台の上の十個の洗盤、7:44 一つの海と、その海の下の十二頭の牛、7:45 また、灰つぼと十能と鉢であった。ヒラムがソロモン王の注文により主の宮のために作ったすべての用具は、みがきをかけた青銅であった。
この他、青銅の用具としては祭壇があります。歴代誌第二4章1節に書いてあります。けれども、これは木に青銅をはりつけたものなので、ヒラムの細工技術を必要としなかったのでしょう。
7:46 王は、ヨルダンの低地、スコテとツァレタンとの間の粘土の地で、これらを鋳造した。
ヨルダン川の東岸です。
7:47 ソロモンは、この用具があまりにも多かったので、みなそれを量らないままにしておいた。青銅の重さは量られなかった。
とてつもない量が使われたことがわかります。
3B 金の用具、完成 48-51
7:48 ついで、ソロモンは主の宮にあるすべての用具を作った。すなわち、金の祭壇と供えのパンを載せる金の机、7:49 純金の燭台・・内堂の右側に五つ、左側に五つ・・、金の花模様、ともしび皿、心切りばさみを作った。7:50 また、純金の皿と、心取りばさみ、鉢、平皿、火皿を純金で作った。また、至聖所に通じる神殿のとびらのちょうつがい、神殿の本堂に通じるとびらのちょうつがいも金で作った。
金による用具です。純金の燭台ですが、幕屋の時はひとつだけでした。けれども神殿では十、用意されます。本堂の左右にそれぞれ五つおきます。この他、もちろん供えのパンの机もありました。これも十あったと考えられます。
7:51 こうして、ソロモン王が主の宮のためにしたすべての工事が完成した。そこで、ソロモンは父ダビデが聖別した物、すなわち、銀、金、各種の器具類を運び入れ、主の宮の宝物倉に納めた。
こうやってソロモンの神殿を見ましたが、私が気づいたのは、このような栄華にも及ばなかった美しさを持つ存在が身近にあることです。イエスさまが言われました。「しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花のひとつほどにも着飾ってはいけませんでした。(マタイ6:29)」ソロモンは花模様を神殿の中に多用しましたが、本物の花の美しさを彼は真似することはできませんでした。
私たちに求められているのは、イエスさまが言われているシンプル・ライフです。素朴な生活、一本の花に神の栄光を見る、そのような心です。そしてどんなに富があっても、それを支配しても決して埋没するようなことのない、神への献身です。神の栄光が私たちの間で現れているでしょうか?イエスさまが注目の的になっているでしょうか、それとも他の余計なものがたくさん贅肉のように付いてしまっていますか?
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