2016-10-15 05:13:17NEW !
紙幣の不思議2http://blog.livedoor.jp/zabu2233/ より転載
にわかには信じがたい話ですが、海水で昏睡状態の腸チフスの末期患者が回復し、死の淵から生還したそうですが、海水にこんな素晴らしい作用がある事が分かれば医療マフィアはオマンマの食い上げです。
海水には他にも病魔を倒す素晴らしい作用があるようです。
海水からエネルギーも取れます、飲料水にもなります、豊富な食を支える、正に人類の母の役割を果たしています。
まだまだ解明されていない事が沢山ありますが、それを一つづつ紐解いていけば人類はとんでもないお宝を手に入れる可能性がありそうです。
「しかし、近代医学は、「儲からない」カントンを黙殺」この文言に全て集約されているように思います。
先人たちの発見は枠(常識)に囚われず、自由な発想の元に新たな発見がある事を我々に教えてくれているようです。
常識とは既成概念であり、決められた枠の中で物事を考えていては新たな発見・知恵は浮かばないでしょう。
時には常識を疑う事も必要です。
カントンの犬 金の亡者にWikipediaから消された学者
1897年、フランスの科学者ルネ・カントンは「カントンの犬」という実験をした。飼っていた犬が病気になったことからその犬の血液を3分の2ほど抜き取り、血液と同程度に調整した塩分濃度の海水を注入。犬は瀕死の状態だったが、次第に減少していた赤血球が増え実験前よりも元気になりその後五年間も生存したという。
①チフス→昏睡状態の腸チフスの末期患者に海水を静脈注射すると、患者はみるみる回復し、死の淵から生還した。
②自殺未遂→服毒自殺を図った若者も海水を大量静脈注射で見事回復した。
④遺伝病 → 遺伝病を持つ母親たちに出生前治療として「海水療法」を施すと、遺伝疾患を持って生まれる子はゼロになった。「海水療法」の原理は、体質改善なので適応も驚くほど広い。
⑤小児疾患→コレラ様腸炎、乳幼児中毒症、胃腸病、乳糖不耐症、栄養障害、梅毒、湿疹
⑥成人→肺結核、消化不良、皮膚病、婦人病、精神障害、神経症、急性中毒、筋無力症、うつ病、不眠症、老化、拒食症、貧血症、骨粗そう症
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●「海水で病気が治っては儲からない」(EJ第4120号)
人類のために役立つ貴重な発見をしながら、既得権団体の利益
を損うということで、貴重な発見がそのまま闇に葬られようとし
ているSTAP細胞のようなケースは、千島学説をはじめとして
まだたくさんあるのです。
1907年にはじめてのクリニックをオープンし、1910年
までにフランスに70ものクリニックを開き、50万人以上の命
を救ったフランスの偉大な医師兼生理学者がいます。
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ルネ・カントン/1866~1925
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カントンは「海水は生命を生かす源ではないか」と考えていた
のです。そこでカントンは、1897年に、とんでもない実験を
行っています。それは、愛犬の血液を海水に入れ替えるという途
方もない実験です。この実験の記事は、『ザ・フナイ』の中で、
船瀬俊介氏が連載している記事を要約したものです。
そんな「残酷なことを!」と誰だって考えます。そんなことを
すれば、愛犬は死んでしまうに決まっています。海水注入は輸血
ではないのです。海水で、水分とミネラル(塩分)を補給しても
肝心の血球成分──血球がないから生きてはいけないはずです。
しかし、カントンは実験を敢行したのです。
愛犬の体重は5キログラム。その愛犬に同量の海水を犬の血管
に注入を開始したのです。そして90分かけて、約3・5リット
ルの海水を犬に注入したのです。
実験の結果はどうだったのでしょうか。
海水の注入中犬は、腹部が膨張し、グッタリして体温も下がり
腎臓排泄機能も弱まって、生命活動が低下していったのです。と
ころが、注入が終わるとすぐに体温が上がり、生理作用は回復、
実験5日後には、体力はすっかり回復して元気を取り戻し、体重
も元に戻ったのです。そして、むしろ以前よりも元気に、跳ねま
わったといいます。海水によって、細胞生命は完全な状態で生き
ることをカントンは証明したのです。
続いてカントンは第2の実験を行ったのです。今度は、体重が
10キログラムの犬の血液を瀉血法で抜き取り、極限まで血を抜
いた後に、前回同様、海水を注入するという実験です。つまり、
極限まで血液を抜き取り、次に同量の海水を注入すると、どのよ
うになるかという実験です。これは、大量に出血した患者に、海
水で輸血したのと同じです。カントンは、この実験をなんと公開
で行ったのです。
それでも犬は死亡しなかったのです。実験の結果、次の4つの
ことが観察されたのです。
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1.白血球の増加傾向
2.感染に対する抵抗
3.急速な活力の回復
4.赤血球の急速回復
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この公開実験の成功によってカントンは、次の結論を発表して
います。それは自身の仮説を裏づける結果だったのです。
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海水は生体内部の機能に働きかける優れた性質を持っている
──ルネ・カントン
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この公開実験は、世界上のメディアで取り上げられ、「カント
ンの犬」として、大反響を巻き起こしたのです。自信を深めたカ
ントンは、第3の実験を行ったのです。それは「白血球が海水中
でも生きるかどうか」の証明です。
実験に使われたのは、哺乳類(犬、人、ウサギ)、両生類(カ
エル)、爬虫類(トカゲ)、魚類(テンチ)、鳥類(ハト)で、
多岐にわたっています。
実験のポイントは、「最も過激な細胞の一つである白血球が海
中の中でも機能を保てるか」にあったのです。実験はすべて成功
し、カントンは次の結論を得たのです。
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海水こそ生命を生かす源である
http://bit.ly/1KbPcCr
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このカントンの実験は、千島学説によって十分説明できるので
す。「食は血となり肉となる」です。生体のなかから血液がなく
なり、海水で水分とミネラルが補給されたものの、肝心の血球成
分がないのに体力が急速に回復したのは、生体の危機的状況に反
応して、体細胞(肉)が血球細胞に戻ったのです。
しかし、カントンの実験は当時話題にこそなりましたが、その
後、報道が封印され、いまではルネ・カントンの名前を知る人は
ほとんどいなくなっています。それは、やはり、ロックフェラー
医学研究所からの圧力です。初代のジョン・ロックフェラーは、
こういったそうです。
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海水だけで病気が治ってしまったら、儲からないじゃないか
──ジョン・ロックフェラー
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もうひとつ、カントンは、同時代のフランスの生化学者、ルイ
・パスツールと医学の考え方が合わなかったのです。パスツール
は、ロックフェラー医学研究所と同じ「対症療法」を主張したの
に対し、カントンは「多くの病気の原因は人体の内部環境のバラ
ンスの乱れにある」と主張し、対立したのです。パスツールの主
張はカントンのそれを圧倒し、カントンは葬り去られたのです。
聞くところによると、ロックフェラーは、自身の医学研究所の
薬品は一切使用せず、ロックフェラーが信頼する主治医は、カン
トンの「海水療法」を取り入れたそうです。商売のことしか考え
ない身勝手な人物です。 ── [STAP細胞事件/093]
≪画像および関連情報≫
●現代医学は大きな嘘に基づいている
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この嘘は少なくとも150年前に遡る。ルイ・パスツール
が死の床にあった、1895年あたりまで歴史を遡ってみよ
う。彼の死に立ち会った人々は、パスツールの最後の言葉を
詳しく語った。「私の細菌理論は間違っていた。細菌を取り
巻く環境が病気を左右するのだ」と。
もし巨大な権力を持つものがこの嘘を利用して巨万の富を
築く可能性を見いださなければ、このとき世界観がかわって
いたかもしれない。現実には製薬産業の医療に対する強い締
め付けによって、この嘘は現在に至るまで膨らみ続けた。
それはすべてルイ・パスツールとアントワーヌ・ベシャン
から始まった。一方は有名で称賛を浴びた偽物、他方は変わ
り者扱いされた、真実を追求する科学者であった。彼らの周
りに起こった論争は医学者を2つの陣営に分割するこ
とになった。
一つは monomorphistsであり、他方はpleomorphists (多
形態性)である。Pleomorphism は1800年代初頭に発見
された概念である。多形性の微生物は形を変える(多形、変
形)微生物のことである。ウイルスは細菌、そして菌類へと
形状を変え、またその逆にも戻る。すべての細菌は形を変え
る。病院の研究室などで、条件を全く変えずに微生物を培養
した場合、その微生物の形状は変わらないが、例えば成長を
媒介する pH などを変えた場合、細菌は別のもの、別の微生
物に変化する。 http://bit.ly/1KbZcf6
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ルネ・カントン
“海水”だけで病気を治した男がWikipediaにいない理由