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TETSQUA IKACHI(私の命を大地に)』長老たちのメッセージ:β版 (前半)

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2015年8月23日

人類の模範的生活観・・・ポピの文化は世界を支える

 記録映画:http://uhnungdalawva.com/tetsquaikachi.html をご覧ください。

私たちは、ホピの文化と、その生き方を記録した映画を、全ての未来の子どもたちに、そして友人のために制作しました。何故、私たちの長老達が、本来のホピの文化や生き方を保とうとしたのか、また他国の支配から逃れようとしたのか、数人しか理解しないかもしれません。長老達が、外からの圧力や規律に抵抗したのは、私たちが従っている秩序こそが、神聖であり、普遍的だったからです。

私達は、ホピという生き方が、良きものだと信じています。しかし、多くの人たちが、私たちの指導者による叡智に耳を傾けようとしなかったため、ホピという生き方が、もう失われようとしています。私たちの亡きチーフ、カチョンバが、この映画が制作されることを望みました。ようやく、私たちは、彼の願いを果たすことができます。

この映像を通して、私たちの村の長老達は、予言について、起きようとしている事に対する警告を含め、伝承されたことを語っています。特に、ホピ族の歴史において、何故、ホテビラという村が創設され、そして「バハナ」と呼ばれる白い人たちの干渉に対して、未だ私たちが抵抗しているのか、長老達が伝えています。

この影響は明らかで、すぐに、私たちの生き方が滅ぼされました。次第に、私たちは、私たちの言葉も喋らなくなりました。私たちは、儀式が持つ意味も忘れてしまっています。私たちの世界観は、異邦人の文化に基づいた考えとやみくもに混ざっていき、やがて私たちが誰であるかという事さえも分からなくなっています。私たちは、指導者による警告や叡智に対して、聞く耳を持ちませんでした。私たちは、自ら、この不幸や衰退を造りだし、招いたのです。今、私たちは幸せでなく、子ども達には、どのような人生が待ち受けているでしょうか?

大地も、どのようになってしまうのでしょうか?あなた方の、それぞれの経験が、指導者が正しかったか、そうでなかったか、物語ってくれるでしょう。よく考えてみてください。もともと、私たちは、このひとつの世界の下で、美しい生き方をしていました。しかし、私たちは、次第に注意を無くしてしまい、台無しにしてしまいました。

この世界を守る賢者マーサウは、オライビに住み、既にこの事を知っていました。彼らは、マーサウがいる地上の世界に上がって行って良いかどうか、許しを乞うため、使者である鳥に託します。マーサウは、もし彼と同じように謙虚な生き方を我々がすれば、来ても良いと言いました。私たちの長老達は、いくつかの時代を超えて、この物語を伝えてきました。私たちは、生命の維持ができないほど崩壊が起きていた地下の世界からやって来ました。私たちは、もともと従っていた秩序を、保つ事ができませんでした。自分勝手な欲望が、私たちのこのような行動へと導いたのです。私たちは、女性や指導者に対する敬意と尊重を失いました。全ての生命が、調和から投げ出されました。賢さを保った僅かな人たちが集まり、崩壊した世界から抜け出す事を決めました。彼らには、頭上で誰かが歩く音が聞こえていました。

彼らの使者である鳥は、この足音がマーサウである事を知りました。そして、私たちが行って良いか聞いたのです。マーサウは、こう答えました。「彼らが来る事は構いませんが、私は簡素に暮らしています。私が持っているのは、耕す棒と種だけです。もし彼らが、私と同じような生き方をしたいのならば、ここに来る事を歓迎します。」私たちは、草をつたって、グランドキャニオンの底から現れました。シパプニ(聖なる穴)を通じて、この地球の上にやって来たのです。マーサウは、そこで私たちの事を待っていました。私たちの叡智と真意を確かめるため、マーサウはいくつかのトウモロコシの実を前に並べ、ひとつ選ぶよう問いました。ほとんどの欲多き者が、長いトウモロコシの実を選びました。最後まで待つ事を選択した、私たちの指導者には、短いトウモロコシの実しか残されていませんでした。

指導者と、彼に従った人たちは、ホピと名付けられました。そしてマーサウは、私たちに対して、あらゆる方向に移住し、家を建てるよう指示しました。
そして彼はこう言いました。「次の旅立ちまで、必要な分だけ食料を育て、貯蓄し、そこに居なさい。去るときは、あなた方の陶器を壊しなさい。また、証として、岩々に目印となるものを残しなさい。そして、聖なる社を建築しなさい。これにより、地球に霊的な根が与えられ、あなた方は大地と共に、調和とバランスを保つことができます。これらを実践する事によって、真の秩序を認識し続けるでしょう。」私たちは、最終的に、オライビで、移住の旅を終えました。

そこでまた、マーサウに出会いました。マーサウは、ホピとしての生き方について、私たちに警告や予言、そしてその教えを授けました。様々な氏族が、あらゆる方向からたどり着きました。それぞれが、村に受け入れてもらうために、既にいた人々が幸せに育むことができるよう、彼らが貢献できる事を説明する必要がありました。もし、威張りながら話すような人がいれば、彼らは受け入れてもらえず、「あなた方と同じような生き方をしている人たちがいる、次のメサ(高台)に行きなさい」と言われました。謙虚な人たちだけが、オライビに定住する事を許されたのです。そして、彼らは、様々な氏族に属し、独自の知恵と叡智を保有していました。私たちは一緒に、母なる村、オライビを設立しました。

そして、聖なる社の中で、年間を通じて、儀式を開始させました。儀式の周期は、全ての生命がこの大地で育まれるよう祈りを捧げ、そのための羽根を作るところから始まります。これが人生を豊かにするのです。私たちは、充分な食糧を蓄え、協力しながら、幸せに暮らしていました。その時は、全てにバランスと調和が保たれていました。私たちは、雨、そして花に恵まれました。私たちは、お互いを愛し、平和の中で暮らしていました。大地を失うことに対して、懸念を抱いている者はいませんでした。バハナ達が、まだ渡来していなかったため、誰も彼らが問題を持ち込むとは考えていませんでした。しかし、スペインの宣教師が来た時、状況が一変しました。宣教師は、オライビに落ち着き、私たちを入信させようとしました。彼は、私たちを支配し、奴隷のように扱いました。そして、周期的に行われていた儀式を禁じたのです。

すると、雨が降らなくなりました。飢餓が、私たちに、もともとあった生き方について考えさせました。私たちは、このスペイン人たちを排除することに決めました。ある氏族が、彼を殺す役割を引き受けました。そして私たちの祈りと共に、雨がまた降り始めました。これで、ホピの生き方に対する信仰を取り戻せたのです。そして、私たちは、二度と道に迷うことがないよう願いました。しかし、またバハナ達が、アメリカ合衆国政府として、私たちの平和を壊しにやって来ました。政府は、洗脳するために、彼らの学校に通うことを私たちの子供達に望みました。最初は、全ての村が協力しあい、「私たちには、私たちの子供達への教育の仕方がある」と拒否しました。すると、政府は、私たちの男の人を逮捕するため、警察を送りこみました。オライビのチーフ、ロロマを含む、全ての村のチーフが、この圧力に屈服しました。

彼らと、従っていた人たちは、「親善者」という名前がつけられました。
そして、拒んだ私たちは、「敵者」と呼ばれました。私たちが、創造主に与えられた秩序の放棄を|拒む生き方を選択した結果、私たちの人々の間に、深刻な対立を生み出し、調和を破壊したのです。1906年に私たちが、オライビを追放された時、私の身長はこのくらいでした。私は、自分自身の経験を語っています。私たちは、政府と協力関係にあった私たちの人々によって、立ち退きを強いられたのです。彼らは、私たちの村の人たちでありましたが、家に入り込み、私たちを外へ投げ出したのです。彼らは、私たちの指導者を既に知っていたため、最初に捉えました。彼らには、全く敬意や尊重はなく、とても乱暴でした。

私たちの仲間の一人は、地面にべったりはりつくように、横たわっていました。彼らは、彼を動かす事ができませんでした。彼らは、私たちを村の北側に追いこんだのです。チーフのカチョンバを、気絶させた戦いもありました。彼らは、指導者であった、ユキウマのお父さんのような老人でさえ殴り、衣服を引き裂きました。「敵者」として認知されていた全ての人が、追いやられたのです。彼らは、私たちの髪を掴み、道の土埃を立てながら、村の端まで引きずりました。そして、「親善者」なる女性にバカにされました。「ざまあみなさい!ここから出て行きなさい!西のほうに向かい、定住しないナバホ族と同じように居なさい。そして、二度と戻って来ないでくださいね!バハナの物を何も望まないなら、このショールを着る必要もないでしょう。」そして、彼女達は、白人が持ち込んだ服を、我々から取り上げました。

全ての私たちの女性、そして子供達も家から追い出され、ドアにかんぬきをかけられました。私たちが、食べ物を摂る事さえ、許してくれませんでした。物資がない事を懸念し、私たちが何か確保しようとすると、追いやられたのです。いつのまにか、私たち全ての人が、村の端に余儀なく追いやられていました。指導者であったユキウマは、彼の足で、砂の上に線を引きました。そして、彼はこう言いました。「この時点から、全ての大地は私の保護にあります。あなた方、オライビにいる人たちは、村しか持つことができないでしょう。」さらに、ユキウマは線をまたがり、言いました。「ありがとうございます。私たちは今から、恐れを抱かずに済みます。この大地が、私たちに食料を与えてくれます。」彼らは、私たちを羊のように、丘の向こう側に追いやりました。

そこで、私たちの指導者達は、集まりました。「どこに、私たちの新しい村を見つけようか?」「すぐそこにある、フッコビはどうだろう?」「いや駄目だ。これは報復を意味してしまう。」なので、私たちはより遠く、まだ何もなかったホテビラに移動することにしました。杉の木しかなく、食料も家も何もありませんでした。時期は9月で、次第に寒くなっていました。指導者達は、そこに留まる事を決め、私たちは寒さを凌ぐための家を造り始めました。ホテビラに、定住することにしたのです。私たちは、地盤が強かった場所に穴を掘りました。そして、杉の木を、壁や屋根のために使用し、これを冬を凌ぐための家としました。扉はなく、ブランケットしかありませんでした。その年の冬は、大変厳しいものでした。この時の私たちの経験を、この歌を通じて覚えています。「悲しき可愛そうな私たちは、村の家から追い出されました。私たちは、ここで何もなく、歌を唄っています。オライビにいる人たちは、とても明るく陽気でいます。私たちを取り除くことが、彼らを幸せにするのです。

十字架を選択する事で、これが彼らの支えの根源となり、私たちの事をバカにしたのです。私たちは、起きたことの真実しか唄っていません。彼らが、この話しをするときは、ねじ曲げて語るでしょう。彼らは、私たちをのけ者にして、笑ったのです。」今もなお、オライビにいる人たちは、自分達「親善者」が、ホピの生き方を裏切ったと、認める者は誰一人いません。私たちは、ホピの生き方として、大地や私たちの生命が守られることを願った、ユキウマに従いました。しかし、彼は「敵者」のリーダーとして見なされました。ホテビラの村が設立されたときに、ユキウマは私たちの村のチーフとして認識されました。彼は、本当にホピの生き方とその秩序について、忠実でした。他の全ての村々はバハナの文化を受け入れ、私たちをオライビから迫害することに関係しました。その時、私は12才だったので、全てがどのように起こったか、よく覚えています。

ここでも、軍隊がやって来て、私たちは追いやられました。彼らは、私たちの父親を逮捕し、どこか遠くに連れていきました。政府は、私たちの抵抗を蹴散らそうとしました。彼らは、私たちの指導者を、インディアンの政府機関が存在したキームズキャニオンの刑務所、フォートウィンゲイトやフォートファッチュカ、最も遠い所では、カルフォルニアにあるアルカトラズ刑務所に入れました。ある者は、カーリスルにある学校に通わされ、バハナの考え方になるよう洗脳され、彼らのシステムとしての価値観を叩き込まれました。私たちは、皆とても苦しみました。私自身、この出来事の目撃者であり、経験者でもあります。私の父親は、アイロンを押し当てられたのです!そこにいた、ナシウィシマは、このように語っています。

「私たちがキームズキャニオンに到着するなり、彼らは、6人いた我々を地下に投げ出し、鎖でつなぎました。彼らは5日もの間、食糧を分け与えてくれませんでした。私たちは、とても衰弱し、次第に幻覚が現れました。最終的に、彼らは、食糧を私たちに、分け与えてくれました。しかし、私たちは、病にかかり、誰かが外に急いで出なくてはならない事があれば、私たち6人全員が付き合わなければいけませんでした。私たちが、活力を取り戻すと、彼らは、高速道路建設のために、岩を砕く重労働を我々に強いました。誰も怪我をしなかったのが、不幸中の幸いでした。彼らは、毎日契約書を持ってきて「署名をすれば家に帰してやる」と言ってきました。しかし、私たちは、彼らに我々の子どもを奪われるような事はさせませんでした。

私の父は、学校そのものに反対でした。「あなたは、異なった意味合いを持つ言語を学ぶ事になります。彼らの生き方や習慣を、しつけられ、次第に、あなたにとって、私たちの文化が変に映るようになるでしょう。そして、あなたは、ホピを二度と理解する事なく、あなたが何者であるか分からなくなるのです。」ある朝、兵士が私を捕まえました。彼らは、私の逃げ道であった、裏の扉を封鎖しました。このように、私は誘拐されたのです。私は、どこに連れられて行くのか、分かりませんでした。そこは、フェニックスにあった全寮制の学校でした。私は、英語を知りませんでした。私たちが、独自の言語を喋った時は、彼らによって、罰が与えられました。全てこれらの出来事は、政府が仕組んだ事で、私たちは大変な苦難を強いられました。彼らは、色々な意味で、私たちを、崩壊させようとしたのです。

バハナは、私たちに、返すべき借りがあります。私たちを抑えようと、暴力的に制圧しなければ、問題ありませんでした。私たちは、大地と生命のために立ち上がったので、収監されていた期間、苦しみが伴いました。しかし、今となっては、全てが変わり果ててしまいました。我々の人たちは、バハナのような考えのもとに生活しています。彼らは、ホピ的生き方を、良きものとして、見ているのでしょうか?この大地は、私たちに託されたのです。バハナが所有するものではありません。私たちは、家を建てるため、お金は必要ありません。
誰でも、畑を世話し、家族を養って良いのです。私たちは、既に自給出来ていて、経済的支援は、必要ありません。バッカビを設立した人々は、始めは私たちと共に、ホテビラに来ました。きっと彼らは、より政府の圧力を恐れたのでしょう。

一度、彼らは、オライビに戻ろうとしましたが、拒まれました。なので、彼らは、定住できる場所を探しました。最初に、ナバホ族が侵入していた、グレースプリングに行きました。しかし、オニオンスプリングとも呼ばれる場所で、同じ事が起きました。最終的には、私たちの村に程近かったレッドスプリング、または、バッカビと呼ばれる場所に落ち着きました。彼らは、コウモリのように、キームズキャニオンの政府機関であるBIAに飛び込んで行き、ミラー管理人に、自分たちの村を設立するための助けを求めました。管理人は、こう言いました。「ホテビラは、あなた方がそんなに近く暮らす事について、賛成しているのでしょうか?つい最近、あなた方は、彼らを見捨てました。なぜ、あなた方は、彼らと、目と鼻の先にある場所で暮らしたいのですか?もし、ユキウマが、この事に反対であれば、これがきっかけで、問題に発展してしまいます。」

バッカビの指導者であった、ケワニンプテワは、こう答えました。「なぜ私が、彼らに聞く必要があるのでしょうか?どこで村を構えたいか、私の一存で決まります。」ミラー氏はそれに対し、「近すぎますし、このやり方は正しくありません。あなたは、あえて問題を引き起こし、それに対して、私の後ろだてが欲しいと言うのですか?私は、協力しません。」「私は、ただ材料と道具が欲しいだけで、学校を建設しても、構いません。また、私たちの人々が、私の事を尊敬するよう、拳銃と制服をください。」「これは、私にとって、問題以外、何にもなりません。」とミラー氏は言いました。「私は、あなたの権力に対する欲望に、協力しません。」しかし、ミラー氏の上司、クレーン氏は、彼に、学校を含む、全てを与えました。さらに、ケワニンプテワは、カスティーリャ(キリスト教勢力)が大好きな、教会が建設されることを望みました。

学校と教会が、彼の権力の基盤となりました。政府機関と同盟関係を作ることで、彼の村の人々に、近代的な発展をもたらしました。教会は、彼の計画上、特に重要な位置付けにありました。彼は、建設が終わった際に、屋根の上からこう訴えかけると、約束しました。「さぁ、私の人たちよ、準備は良いでしょうか?着替えを済ませ、私に従いなさい。私たちは皆、教会に参加し、洗礼を受け、天に祈りたいはずです。」しかし建設が終わっても、彼は教会に参加しませんでした。ある日、女性が彼にこう言いました。「ケワニンプテワさんよ。教会を持つ事で、全てが成る、という考え方は、あなたのものであったはずです。私はあなたを信じ、洗礼を受けました。今度はあなたの番である事を、私は期待します。」彼が、洗礼を受けるような事は、あったでしょうか?いいえ。誰も従わない事を、既に彼は知っていたからです。宗教的指導者は、キバ(地下の祈祷施設)を建設し、再びホピのサイクルを祀りました。ケワニンプテワは、バッカビが大地を失った事を、認めざるを得ませんでした。それは、彼を含む全てのホピが知っていた事でした。彼らは、大地と繋がることなく、近代文明の建物が建設される事を許しました。

前半


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