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諏訪大社と御柱祭りの歴史

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諏訪神社の歴史

 諏訪大社は、二社四宮からなり、諏訪湖をはさんで、南に建御名方命(たけみなかたのみこと)を祭神する上社、北に后神八刀売名(ちさかとめのみこと)を祭る下社が対座しています。上社には本宮と前宮があり、下社には春宮と秋宮があります。
 上社の本宮には諏訪市神宮寺にあり、前宮は本宮から1キロ余り東南の茅野市宮川安国寺にあります。いずれも守谷山を背景に西山の山麓や小扇状地上にあり、諏訪湖や盆地平野を眼下に東に神々が天下るにふさわしい八ヶ岳連峰とその裾野、神々が群あそぶ霧ヶ峰の溶岩台地を一望におさめる地です。
 下社の春宮と秋宮は、盆地を形成する東の山麓にあり、下諏訪町場之町に居並び、山麓台地突端部に鎮座し諏訪湖の向こうに上社の深淵な原始林を望んでいます。
 ちなみに諏訪の七不思議の一つの「御神渡り」は、厳寒の朝、結氷が南北に裂け目を生じる現象で、上社の男神が下社の女神のもとに通う道と信仰されています。
 諏訪大社は「諏訪神社」「諏訪明神」「お諏訪神社」とあがめられる。“お諏訪様信仰”の総本社です。その信仰圏は全国に広がり、分社は数千とも一万ともいわれています。藤森栄一著『諏訪大社』によれば新潟県の1,522社、長野県の1,112社を筆頭に、群馬、山梨、富山の各県では諏訪神社数が全神社数の20%を占めている。遠い南九州鹿児島県でも全神社数の7%118社を数えるはどです。
 諏訪大社は信濃の一の宮、大戦前は宮幣大社で、古く平安時代から朝廷の神名帳に記載されて高い格式を持っていました。
 『古事記』の出雲の国ゆずりの神話によると、大国主命(おおくにぬしのみこと)とその子八重事代主命(やえことしろにしのみこと)・建御名方命が経営していた大八州に天照大神(あまてらすおおみかみ)の使建御雷神(たけみかずちのかみ)がやってきて「この国は天孫族の統治すべき国だから、お前はどけ」と言う。父と長子はそれで畏待ったが、建御名宝命は承知しない。さんざん抵抗したが、とうとうかなわず、追われて科野国州羽海(しなののくにすわのうみ)にいたって降参、この地を出ないことで許されたといいます。
 また諏訪には洩矢神(もれやのかみ)という土地神がいて、建御名宝命と戦って負け、諏訪明神(建御名方命)の協力者となって開拓の仕事に尽くしたと上社の縁起にあります。
 これらの伝説は、諏訪大社上社の祭神建御名宝命がもろもろの神々の中でも激しい性格であり、レジスタンスの英雄とも見えます。
 一般にこれは諏訪地方に大和政権に従わぬ地方政権が根強く存続したことを反映しているとみられる。奈良時代、短期間とはいえ諏訪の国は信濃の国から独立していたほどでした。そして平安時代には最高位の昇叙を受け、信濃の国の一の宮となりました。『梁塵秘抄』には「関東より東の軍神、鹿島、香取、諏訪のみや・・・」と記され、鎌倉時代以降は武士の守護神として広く尊崇され、甲斐の武将武田信玄も大変尊崇しました。一方諏訪大社には狩猟、農業、開拓の神としても信仰が厚く現在も「筒粥神事」「御作田」などの神事が行われています。また、諏訪神は大和の大神神社と同じく、本殿が無く、自然物に神がかりする神です。上社の神体は守谷山で、神が降臨する依代は盤座と古木です。
 御柱の祭事「御柱祭」(みはしらさい)は、7年に一度行われる勇壮豪大な祭りで、日本三大奇祭の一つに数えられています。籾の大木を、上社は八ヶ岳山麓から、下社は霧ケ峰山中から人力だけで十数キロある諏訪大社の四つの宮に曳き付け、宮の周囲に建てられます。大変な費用と労力がかかるため、7年稼せいで1年ではたく、御柱年は嫁を取らない、死にも出来ない、とタブーがあるほど盛大です。

御柱祭の歴史

 古代人が神を祭るには二つの形があり、一つは岩に出現させる岩座(いわくら)信仰であり、一つは木に神を下らせる神離(ひもろぎ)信仰があります。特に主流として神離信仰が発展し、人々は森の中の大きな木を神祭りの社として神社の原形をつくりました。
 諏訪の御柱を特殊神事とする見方がありますが、古代には日本中で御柱祭が行われていました。日本三大御柱として出雲の大黒柱、伊勢の心の御柱、そして諏訪のおんばしらがあります。この三つの中で諏訪のおんばしらだけが古代のままの姿で伝えられていると思われます。
 御柱祭は寅年と申年の七年目ごとに、諏訪地方を祭一色に染め上げて勇壮に展開されます。諏訪大社の社殿を新しく造り替える祭、つまり、式年造営のことです。
 御柱祭の中心になる行事が御柱と呼ばれる大木を切り出し、運び、社殿の四隅に建てる一連の作業です。諏訪大社上社、下社合わせて16本の御柱が必要です。諏訪大社上社本宮、前宮の御柱8本は八ヶ岳山麓の御小屋の山のもみの大木から選ばれます。本宮一之御柱は樹齢200年の大木です。切り倒された御柱は山出し3日、里曳き3日の計6日がかりで約20km先の上社まで御柱街道を曳いていきます。
 「御小屋の山のもみの木は、里へ下りて神となる」木遣り(きやり)唄を唄いながら曳き子が力を合わせて大きな8本の柱を曳きつづけます。途中では、段差30mの崖の上から御柱を曳き落とす豪快な「木落とし」があります。人と御柱は一体となり激しい興奮に包まれながら8本の御柱が次々と木落としされます。木落としを終えた「御柱は御柱洗い」と呼ばれる宮川の川越しです。清流に清められた御柱は、およそ1ヶ月の問御柱屋敷で休息をした後、上社境内に曳かれていきます。到着した御柱は先端を三角の錘状に作りあげる冠落としの儀を受けた後、若者たちを乗せ御柱が垂直に立てられ御柱祭が終了します。御柱は太さ約1m、良さ約17m、重さ約10tで本宮、前宮とも一の柱が一番大きく、二、三、四となるにつれて、長さが約1.5mずっ短くなっていきます。太さについても順序は同じです。
 上社は男神で「ツノ」があり、下社は女神で「ツノ」がありません。この「ツノ」のことを「めどでこ」と呼び、太い丸太を二本角の様にさします。山出しの八ヶ岳山麓は平坦ですが、雨が降ると火山灰土のため、また曳行の安定を図るために工夫された曳子の知恵であると思われます。
 昔は女人禁制、女性は手も触れることもできませんでしたが、戦後は老若男女、観光客も自由に参加できるようになりました。参加して初めてすばらしさがわかる祭りでもあります。


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