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シンプルライフ~「上善は水の如し」 老子・道徳経・易性第八の「水」の道理

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真理の探求は、古代から引き継がれる人類のライフワーク

2015年12月30日

かごめかごめの童歌に“鶴と亀がすべった”と言う歌詞があります。その“ツル・カメ・スーベシダ”のヘブライ語の意味は「未開の砂漠にたくさんの水を曳き」だそうです。(乾ききった人心の心を潤す)

参照:人類の夢“かごめかごめ”の童謡は真理を運んでくる

http://blog.goo.ne.jp/adachi4176/c/d35cce47e9b66ac116a5c6f82a4e4623

確かに「砂漠に水を曳く」の喩えは分かりやすく心に残ります。

今の歴史的な節目の時、「水瓶座」への移行、と「上善若水」の「水」が人類を物語ってきたのでは、という直感から、老子・道徳経・易性第八を改めて解釈することを通じて、歴史のシンクロニシティから古の聖人の苦心と伝えたかった真実を証したいと思います。

以下参照:老子(道徳経)(徳経) http://www.1-em.net/sampo/sisyogokyo/Laozi/index.htm   

【原文】

上善若水。水善利萬物而不爭、處衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。

【書き下し文】

上善は水のごとし。水は善く万物を利し争わず、衆人の悪(にく)む所に処る。故に道(真理)に幾(ちか:ほぼ等しい)し。居善地、心善は淵、與善は仁、言善は信、正善は治、事善は能、動善は時。それただ争わず、故に尤(とが)なし。

【口語訳】

「最高の善は水のようなものだ。水はよく万物を助けて争わず、みなが嫌がるような低地にとどまる。この点は「道」に近いといえる。住居は低地?に設け、心は淵のように深く、人との交流は水のように親しく、言葉は誠実で、政治は筋道を大切に、ものごとの処理は流水のように滑らかに、行動は時にかなう。そして争わず,これだからこそ災難は起きないのだ」

Deshi A 解釈

上善若水 : 最上の善というのは水のようである。

水善利萬物而不爭:水は万物を利し、争わない。

*利:厚生利用(暮らしをよくする、健康を増進させる)

*争:両方が奪い合いをする、(動)あやまちを改めるように言う

處衆人之所惡:そこは衆人の悪(にく)む所

*處: 居善地(道:真理に近いところ)、清浄なところ

*衆人:清浄な所を生活しやすい所と思わない大衆。

*所惡:そこに違和感をもつ(モーゼが奴隷を解放しようとした時、黄金の牛の偶像をつくり拝物信仰のその日暮らしの奴隷生活にもどった)人々。悪と言う字は、亜細亜の「亜:中心・十字」と言う字の下に「心」と言う字を添えています。人として中心的な心、十字(真理の形象)にちかい所「巷:ちまた」に居るとも言いますが、この「所」は「水」の意義を強調しています。

故幾於道:故に道(真理)に幾(ちか)し

*道:勿論この「道」は「道路」ではありません。一般的には「道理・道徳」をさしますが、この後の「居善地」でその違いを明確にします。

居善地:道(真理)にほとんど近いところ、のことをいいます。上善は道理・道徳そのものですから、道理・道徳に近いという表現は的確ではありません。

*居善地を「至善地」や「天淵」とも言います。

心善淵:善の心は淵

*淵:水の深く溜まったところ、奥深く静まりかえるさま、その中心に、印をつけて水の溜まったことを示す会意文字、(地球の淵:四海の砂漠の地下水源)

與善仁:善を與えるは仁心

*與:力をあわせる。広く一緒に物事をするために仲間になる。

言善信:善を言うは信頼

正善治:善を正すは治政

事善能:善を事(扱う)は能力

動善時:善が動くは時(佳期)

夫唯不爭:それ唯、爭わず

*爭:両方が奪い合いをする、(動詞)あやまちを改めるように言う

故無尤:故に尤(とが)なし

*尤:曲線を描いて曲がる、そうではないそれは“真っ直ぐに的を射る”と言う弓矢という神器が人間に与えられた真義、つまり「真理の的を射る」の意味。

【口語訳】

最上の善は水の働きのようです。あらゆる生命を潤して、しかも決して争はない。 衆人の悪(にく)む所に居るが、居善地という、最も道に近く深い淵(ふち)にある。仁に交わり、言葉には信があり、能力を発揮し、その時に行動する。争うことがないため達成することができる。

この文章で「爭」という字が二度使われています。魚座の時代を象徴した言葉です。

 

また、本メッセージで最も重要なポイントは「水は高いところから低いところに流れる」という道理です。低いところ「處衆人之所惡:そこは衆人の悪(にく)む所」は、

Blog : 地上の先導者~今日、ガイアの集団次元上昇が起った!の中で

http://blog.goo.ne.jp/adachi4176/e/b33496daebae58d6fe73458b11c0e842

「数多くの人々がこの新しいゲームに入っていて、3次元から離れている状況と同じように、まさに熱心に物質的な3次元に入ろうとしています。」という、リーダー達の忠恕に対する特筆すべきメッセージは、時代を超えて老子・道徳経でも聖人の居る場所「居善地:道(真理)に近いところ」としてシンクロニシティしていることです。

忠恕について

Wed 漢文大系 http://kanbun.info/keibu/rongo0415.html

古来、「一」は道であり真理です。真理を求める心すなわち真心を「忠恕」といいます。

論語 里仁第四 15

04-15 子曰。參乎。吾道一以貫之。曾子曰。唯。子出。門人問曰。何謂也。曾子曰。夫子之道。忠恕而已矣。

子曰く、参や、吾が道は一以て之を貫く。曾子曰く、唯。子出ず。門人、問いて曰く、何の謂いぞや。曾子曰く、夫子の道は、忠恕のみ。

参 … 曾子の名。「しん」と読み、「さん」とは読まない。

乎 … 呼びかけに用いて「や」と読む。「~よ」と訳す。

一以貫之 … 「之」は「一」を強めるための語助の辞で、何も示さない。故事成語【一以て之を貫く】参照。皇侃本等では「一以貫之哉」に作る。

唯 … 「い」と読む。目上の人に対し、「はい」と答える丁寧な返事。

門人 … 孔子の他の門人たち。曾子の門人という説もあるが、ここではとらない。

何謂也 … 疑問の形。「どういう意味ですか」。

夫子 … 先生。ここでは孔子を呼ぶ尊称。

忠恕 … 真心と思いやり。

而已矣 … 「のみ」と読む。強い断定の意を示す。「而已」をさらに強調した言い方。「…だけだ」「他にはない、ただこれだけだ」の意。「而已焉」「而已耳」。

下村湖人(1884~1955)は「先師がいわれた。参よ、私の道はただ一つの原理で貫かれているのだ。曾先生がこたえられた。さようでございます。先師はそういって室を出て行かれた。すると、ほかの門人たちが曾先生にたずねた。今のはなんのことでしょう。曾先生はこたえていわれた。先王の道は忠恕の一語につきるのです」と訳している(現代訳論語)。

Deshi A の解説

“私の道はただ一つの原理で貫かれているのだ”という表現は、「一」すなわち「真理」を得た場合、「一なる真理で貫かれている」となります。

「原理」と「真理」は似て非なるものです。

真理に至る境地が「忠恕」です。

したがって忠恕の解釈は、過去の学問の道理では的確に解き明かすことができません。

むしろスピリチュアル世界で“大宇宙が一つになる”ことについて公開されている理解の方が、真理に至る境地の忠恕の意味を解しやすいといえます。

また、このように過去の学問を取り戻し、新たな環境ですべてをとらえなおさなければなりません。

道徳が善悪の判断規範として用いられてきたことと、老子の道徳経が「道」すなわち「真理」について語られていることとは同義ではありません。

量子力学や科学の分野もこのように過去の理論を精査し正し深める段階にはありますが、決して真理を解明することはできません。解明できるものは真理ではありません。

人類が長い間所属してきた階級性社会の歴史は、細部にわたって、肝心なところをこのように歪めてきています。それは「真理」をふさぐ社会であり、それ故にその資格のない者を遠ざけてきました。

天国が清浄であるように真理が汚れることもありえません。今日まであなた方のために大切に伝承されてきています。

「唯」の意味は、真理が人間に備わっている唯一」のものの「唯」の意味で、「絶対唯一」に通じるもの、という意味です。

「絶対唯一」に通じるために天命によって人間種(原人)の性(純然たる霊)が率いてきたのが「道:真理」です。

人類の心の浄化が進み、時が至りそれぞれの神秘の戸はその鍵によって開けられます。

それぞれが、この地上で新しい宇宙時代を創生する核となる唯一の存在であることを意味します。

お釈迦様が「天上天下唯我独尊」と言った意味です。

その存在の尊厳は極まりないものです。

 

Deshi A       Blog  より転載


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