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観音菩薩伝~第26話 老人、大師に神鴉嶺の危険を説く、 第27話 大師、乾飯を神鴉に与えて難を免れる

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2016年 8月 19日

第26話 老人、大師に神鴉嶺の危険を説く

食後、老人は三人を見ながら

「見掛けない人達だが、どこから来たのですか」

と訊ねました。大師は、越えてきた高い山を指差しながら

「これから須弥山へ行くところです」

と答えました。これを聞いた老人は、驚いた顔で三人を見回しながら言いました。

「これは、奇蹟と言うべき事です。よくもここまで、無事に来られました。御尼僧方は何も知らずに通って来たのでしょうが、彼の山は戒首山(かいしゅざん)といって虎狼が棲み、とても人の通れる所ではありません。その上に、あの山の洞窟で一夜を過ごされたとは驚きました。ところで、御尼僧達の道が間違っていました。あの戒首山の麓に南北に分かれた二つの谷があり、南谷は少し険しいが、その道を辿って行くとやがて大きな道路に出ます。その道を真っ直ぐに行けば須弥山に行けましたのに。間違って北に来たために、二百里余り回り道をしてしまいました」

三人は驚きましたが大師は、無事に越嶺出来たのも弥陀・仏陀による庇護の賜であると、胸に掌を合わせて心から感謝しました。永蓮は、落胆したような声で老人に訊ねました。

「また引き返して彼の山を越えなければ、須弥山に行けないのでしょうか」

老人は、暫く考え込んでから

「ここからでも、行けることは行けます。この部落から西南に通じる道路があり、それを三十里ほど行った所に神鴉嶺(しんあれい)という山があります。これを越えて更に百里ほど南に進めば南東に通じる道路に出ますから、その道を進めば須弥山へ行き着くことが出来ます」

ここで老人は言葉を止め、顔を引き締めながら三人を見回して

「しかし、この神鴉嶺という所が難所です。なかなか容易に越せる所ではありません。何故ならこの山中に三千羽以上の大鴉(カラス)が群がっておりますが、図体は鷹(タカ)よりも大きく、性格も獰猛で肉食を好み、人を見たら襲い掛かり食い殺してしまうと言われております。この鴉が人を襲うようになったのは、遠い昔、山麓に住んでいた住民の中に鴉を天地神明や仙仏のように尊敬信仰する迷信があって、鴉に肉や魚を与えて吉凶を占う行事があったのが原因です。この占いというのは、毎年の祭礼に肉・魚を供え、その日の内に鴉がこれを食いに来ればその年は大吉と言い、翌日になれば中吉、三日経っても来なければ大凶と言われるものです。大凶の年は旱魃や洪水、あるいは疫病が流行(はや)るなど大難が来ると恐れられていました。このような事から鴉に肉食の習慣が付き、飢えているときには人を襲うようになってしまいました。神鴉嶺はこのように危険な所ですが、戒首山のように道が長く猛獣が棲むという所ではありません。昼間の中に越せば鴉に出会わないこともあり、道も僅か十里余りです」

ここまで話した老人は、ふと思い出したように膝を叩きました。

「そうだ。もう直ぐお祭りになります。祭りになれば大鴉の群れが魚肉を食いに集まりますから、その時機を見計らって越したら大丈夫でしょう。それまでの間、この部落に滞在されては如何でしょうか」

保母は、大師の気持ちを察して言いました。

「急いでおりますので、他に道はありませんか」

「もう一本小道はありますが、もっと危険です。猛獣だけでなく、悪魔や妖怪が出没すると聞いています。敢えて危険を冒さず、ここに滞っては如何ですか」

黙って聞いていた大師は、ここで初めて声を出しました。

「いろいろとご親切に、有り難うございました。お引き留め下さるお気持ちに感謝しますが、私達は明朝にも神鴉嶺に向けて発ちたいと思います」

大師は、老人に向かって叮嚀に頭を下げてから、側の二人に言いました。

「そなた達、怖れの心を生じてはなりません。私達は、出家人です。仏に仕える身の私達に、神鴉と呼ばれる鴉が襲い掛かる筈はありません。雑念に囚われず、進むことです。これからの前途には、まだ多々難所がありましょう。仏を信じ、真心をもって修行すれば、きっと須弥山へ行けます。さあ、元気を出しなさい」

 三人は、老人の歓待を快く受け、静かな山村で身体を休めました。

 

第27話 大師、乾飯を神鴉に与えて難を免れる

翌朝三人は、老人から心尽くしの食事を頂き、身支度を整え、厚く感謝の礼を述べて出発しました。夕方までには神鴉嶺を越す予定で道を急ぎ、悪路を克服し、昼近い頃には山の中腹に辿り着きました。この辺りは森林が連なり、様々な形の嵯峨石巌(さがせきがん)が屹立(きつりつ)していました。

不気味なまでの静けさに永蓮は、不安が高まり、突然鴉に襲われはしないかと怖れながら、大師の後に従って山道を登り続けました。幸い何事も起こらず、一行はようやく頂上に達しました。

下りの山道をゆっくりと中腹まで下ってきたところで、遙か彼方の麓に大きな部落が見えてきました。大師は、その方を指差して二人に言いました。

「見てご覧、麓の方に部落が見えるでしょう。さあ、早く行って休みましょう」

三人は、これでほっとしました。今までは不安と緊張のため歩調も早くなって夢中で歩いたので、両足が棒のようになりました。無理もありません。半日に五里余りを歩き、その上に山越えをしたのです。普通の人間には、真似の出来ない難行です。

部落が見えた途端、気が緩み、疲れが一度にどっと出て、三人は立ち止まってしまいました。体力のない保母は苦痛に耐えかねヨロヨロと倒れそうになり、見かねた大師は保母の腕を取って抱き寄せ

「鴉にも出会わず山を越えてきたのですから、ここらで暫く休息しましょう」

と言われましたが永蓮は、保母の疲れた様子を知りながらも鴉の恐怖感に取り憑かれ、オドオドしながら言いました。

「大師、昨日の老人は私達に、出来るだけ昼間の内に早く越すように言われたではありませんか。それに、少しでも休むと、更に疲れが出て歩けなくなります。もう一息ですから、道を急ぎましょう」

しかし保母は

「此処まで来ても何事もなかったのですから、暫く休んでも差し支えないでしょう。少し足を休ませれば、今度歩くときは大変楽になります」

保母の余りにも疲れた声に永蓮も反対できず、とうとう三人は、腰を下ろしてしまいました。暫くしてから三人が腰を上げ荷物を背負って歩き始めようとしたとき、突如けたたましい鴉の鳴き声が耳を打ちました。

声のするほうを見ると、森の向こうから鴉の大群が迫って来ます。けたたましく騒ぐ声は草木を揺さぶり、群れは空を覆って陽を遮り、その勢いは見る人をして恐怖の底に落とし入れてしまいます。三人の頭上で旋回する鴉の群れは、だんだんと輪を縮め、今にも三人に掴み掛からんばかりです。保母と永蓮は、生きた心地もなく、ただ大師に取り縋るばかりです。

大師は、少しも慌てず騒がず落ち着き払ってその場に坐り、二人に言いました。

「私に妙案があります。二人とも坐って、心神を落ち着けなさい」

大師の力強い語調の指図に従って二人は背中合わせに坐りましたが、心神は落ち着くどころか何処かに飛んで行ってしまって、ただ大師に寄り添うばかりでした。人は誰しも、突然の恐怖に襲われれば取り乱してしまうものです。

鴉の旋回は半時の間も続きましたが、不思議な事に、未だ三人を襲う気配がありません。あれほどの勢いで迫ってきた鴉が、襲いもせず去ろうともしないのは何故でしょうか。鴉の目にも霊気の明暗が映るのか、大師の持つ威厳が鴉の獰猛性を圧したのか。

すると大師は、ゆっくりと袋の中から乾飯を取り出すと、思い切り遠くの平地に撒き散らしました。これを見た鴉の群れは、一斉に舞い降り、その乾飯を争って啄み始めました。袋の半分を撒いた頃には、空中に一羽の鴉もいなくなっていました。大師は急いで二人を促し、この隙に逃げ出しました。鴉は乾飯を食べるのに夢中で、三人の動きには全く関心を示すことなく追ってくる様子もありません。

陽がすでに西に沈んだ頃三人は、やっとの思いで部落に辿り着きました。夢中で駆け下りるとき石に躓いて切ったのか永蓮の左足の親指から血が流れ、保母の右足も傷付いて痛々しい姿でした。大師は、自分の手拭を割いて二人の手当をしてやりました。

三人の姿を見た者が注進したのか、部落の長老と思われる人物を中心に大勢の村人がやって来ました。皆は、不思議そうに三人を見回しています。やがて長老が、進み出て言いました。

「お見受けしたところ尼僧達はこの近郷の方ではないようだが、どちらからお出でですか」

「私は妙善と申し、興林国耶摩山にある金光明寺に住む者でございます。実は発願をして二人の従者と共に須弥山に行く途中で神鴉嶺を越え、只今この地に到着したところです」

群衆は、声にならない声を出してどよめきました。それが止むと、一斉に

「無事に神鴉嶺を越えた者は居ない。嘘ではないのか」

「神鴉の害を受けずに越せる筈がない」

「この尼僧達は、きっと何か魔力を備えているに違いない」

口々に言う村人を制して、長老は言いました。

「私が見たところ、この尼僧方は只者ではない。まして修行中の方は、上は三十三天から下は三十六道に至るまでの仙仏から尊敬されている。神鴉は霊鳥であるから、仙仏が尊敬する方には加害しなかったに違いない。折角わが村に来られたのだ。これも何かのご縁に由るものであろう。今夜は、村にお泊めしようではないか」

村人達には、もちろん異議はありません。

「ご好意に甘えて、お世話になります。私達に、簡単な素食を与えて下されば幸いです。明朝は早く発ちますので、よろしくお願いいたします」

このとき、気品のある婦人が進み出ました。

「幸い、私の家に空き部屋があります。よろしければ、私どもの所でゆっくりおくつろぎ下さい」

大師一行は、揖礼(ゆうれい。両掌を胸の前に合わせて行う礼)して感謝し、婦人の家に案内されました。大師らは、身を清めてから家人に挨拶しました。貴相が具っている気高い大師を見て、家人は心から歓迎しました。とりわけ十歳になる娘は、忽ち大師に懐いて側から離れようとしません。

その内に村人達が次々と訪れ、それぞれに我が家で持て成しをしたいから是非一日来て欲しいと大師に望みましたが、大師は皆の好意に感謝しながらもこれを断り、その代わりとして説法会を催すことにしました。この話が村中に広まり、夜になると村人達がこの家に続々と詰めかけ、座敷に入り切れない人達は庭に座って大師の説法に熱心に耳を傾けました。今までこの村では、このような深遠な法義を聞いたことがなかったのです。

大師は、人間本来の真諦を求めて永生を願うことの必要を諄々と説き明かしました。説法を終えた大師は、清潔な居間で坐行を組んで静かに休まれました。

続く


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