2016年 8月18日
第24話 大師、保母と永蓮を従えて須彌山へ発つ
「光陰矢の如し」月日の去るのは早いもので、大師が金光明寺に晋山されて早くも三年が経ってしまいました。金光明寺に集まる在家の信者は、三年もの間大師の感化を受けたため佛陀大乗の真旨を理解し、ますます信を深めました。ある初春の夜、大師が坐行をしていると、誰かの対話が耳に入りました。
「霊台上の蓮華は、咲き開いたか」
「咲いたことは咲いたが、只一方の菩薩が足りないだけだ」
大師は色声に侵されていたのです。これはいけない、と強く打ち消して心神を無我に収束しようとしました。するとその心神が一朶の半開きの無垢の白蓮に変わり、その白蓮の上には安らかな菩薩の法身が眼を軽く閉ざして入坐しています。眼を凝らしてよく彼の菩薩を見れば、それが自分に重なって見え、更に良く見ますとそれは全く自分の化身でありました。
大師は、驚いて両目を見開きました。それは、実に鮮やかな神々しい姿でした。これは一体どうした訳だろう。今まで全然このような現象を見たことがないし、想像したこともありません。それなのに一体これは魔の入境か、はたまた自分の識神の顕れであろうか。あるいは、何かの啓示であろうか。大師は、坐房で考え込みました。考えを繞らせている内に、突然あることが閃きました。これは須彌山の雪蓮峰へ行けという啓示に違いない、美しい純無垢な白蓮、神秘荘厳な化身、これは正に時機が熟したことをお示しになられたのだ。大師は、心中に深い喜びを感じ、強い決意を胸に秘めるのでした。
翌日、大師は保母、永蓮、多利・舎利尼の四人を招いて、胸の裡を打ち明けました。
「永年心願の須彌山求法の時機に至りました。今までそなた達と修行してきましたが、暫くお別れして独り旅立ちたいと思います。今後の事を四人に託しますから、仲良く修行を続けて下さい」
四人は大師のこのような突然の言葉を聞いて驚き、声を揃えて言いました。
「私達も連れて行って下さい」
是非とも大師に随いて行きたい気持ちと、大師と別れる辛さと、大師の一人旅の不安が複雑に交差して、四人は異口同音に大師に縋り、随行を乞いました。大師は眼を閉じて四人の求望を聞いていたが、暫く考えてから強い口調で、
「皆を連れて行けば、後の説法や管理については一体誰が責任を持ちましょう。衆生を失望させることは、行者の為すべき事ではありません。是非私と同行したいのなら、保母と永蓮の二人だけにして貰いましょう。しかし女の行ですから、大変な苦難があることを覚悟すべきです。多利と舎利尼は、この三年間の修磨に相当の進歩を見たから、寺院と説法の負責者を務めながら修行して下さい」
多利と舎利尼は、大師の言葉がよく分かりながらも、大師に随いて行けないことに不服そうな顔を見せました。これを見て大師は、静かに諭されました。
「多利と舎利尼よ。いずれも同じ、重大な職務です。大衆に佛道の大乗を知らしめ、真なる信仰に導くことは容易な業ではありません。よく心得ておきなさい。私は、雪蓮峰へ正法と白蓮を求めに参ります。何時まで掛かるか分かりませんが、長くて一年、早ければ半年で弘願が達成できると思います。それが達成できましたら、直ぐに帰って参ります。それまでの間、そなた達二人でしっかりと留守役を務め、一切事を処していただきます。そなた達二人の先覚に頼む以外、誰に頼めましょう」
大師の強い要望に二人は断ることも出来ず、それに大師には保母様と永蓮様がお付きだから大丈夫と思い、意を決して承諾しました。保母と永蓮は、多利尼と舎利尼に対して済まないと思ったが、大師のこの度の大行は大師の生涯の最終目的地に到達したような緊張を全身で感じ取りました。そしてお供の出来る喜びよりも、大変な難行になるに違いないと覚悟を深くしました。早速、保母と永蓮は修房に戻り、衣服・頭巾・食糧などの準備に取りかかりました。
大師は、修行中毎夜編み続けて貯めておいた沢山の草鞋を持って行くように命じられました。保母と永蓮は草鞋の山を見て、大師は今日の日のために長い年月を掛けて編まれていたのかと、その遠大なお考えと深い弘願に胸が一杯になりました。その中から詰め込められるだけ沢山の草鞋を黄色い厚布で造った三つの袋に入れ、乾飯(ほしいい)を各々に分けて背負うことにしました。二人は、白雀寺時代からの大師の御苦労の連続を思い、感慨無量になりました。
大師も部屋の中で、金縁紫色の托鉢を取り出して卓に置きました。これは、三年前金光明寺に晋山した日に妙荘王から送られた、たった一つの記念物です。大師は、終生これを自分の身辺に持参することにしました。
旬日後、いよいよ出発の日が来ました。全寺の尼僧は大師の一行を見送るべく金光明寺の庭に静かに整然と並んでいたが、見送る人々の瞳は別れの悲しみの涙を浮かべていました。これからの苦行難行を思い、また幾多の猛獣や色々な障害を考えると、か細い女身でありながらこの壮途に向かわれる健気さに泣けてくるのでした。大師も菩薩行の厳しさに、一際身も引き締まる思いでした。
耶摩山麓の信者達は、大師の突然の御出立の報せに驚き慌てましたが、お引き留めする術もなく、只早朝から沿道に香を焚いて一路平安を念じ、彌陀尊に礼讃・祈願をするだけでした。心の中で、大師様御無事で衆生のために求法を円満に達成して下さいと祈りました。
何時までも別れを惜しんで附いてくる民衆を押し止めて、大師は保母と永蓮を従え一路須彌山へと向かいました。
第25話 大師の一行、道に迷う 須彌山は興林国の遙か南の方角に位置していますので、三人は山並みの麓沿いから西回りの道筋を選んで求法行の第一歩を踏み出しました。高山の峰ですので、出来るだけ山谷の細道を辿るようにして進みました。一日の行程は、思うほどには進みません。
大師は、この度の行に並々ならぬ決意を秘めていますので、保母と永蓮に対して大師の出身一切の名を出さないように命じ、一介の行者として旅をすることにしていました。このように大師は名を秘して夜は部落などの寺院に泊まり、寺院のない所では農家に宿を求め、あるいは野に寝、山に伏して行脚を続けました。
朝は早く発ち、夜は無理をせずに出来るだけ早目に宿りました。飢えを覚えれば民家の戸口に立って托鉢し、頂いた御飯は必ず三人で分け合って行脚を続けました。
永蓮は大師に従って尼僧になったとは言うものの、最初は大師の監視役として白雀寺に入り、金光明寺に移って後も寺院の財産と信者の援助が多いため別に食を乞うほどの境遇ではなく、豊かな生活の中で修行をしてきました。従って一度も托鉢の経験がなかったため、家々の門口に立つのは身を切られるような恥ずかしさと屈辱の思いに泣くに泣けない辛い気持ちでした。
未知の人の戸口に立って一宿一飯を求める行乞いの生活は、実に厳しい人情の一面を覗くことが出来ます。真実の目的が無く人世の真諦を会得していない人にとっては、過去の体面を捨てきることは大変に困難な事です。
この時代は佛教の勃興期にあり、佛陀の教法が漸く人々に認められた時でもあるので、行者に対する尊敬と冷遇は両極端で、快く食を恵む人もあれば、胡散(うさん)臭そうに門前払いをする家もあります。分けても異教徒に対する差別視は、異常なものがあります。永蓮はいつも托鉢巡業の時になると、内心の羞恥に耐えかねるような表情で家々を廻っていました。大師はこれを見て、諭すように言いました。
「永蓮よ、そなたの心は分からぬでもないが、行者は十方(じっぽう)の人の供養を受け、十方の人と縁を結び、十方の人をお救いするのです。それが修行です」
「大師様、よく伺って分かっているのですが、いざとなるとどうも気後れしてしまうのです」
「それは我執があるからで、私という意識に拘泥して無人・無我・無衆生・無寿者の四相を離れていないからです。過去の体面に執着し、現在の身分の高下に囚われ、未だ我を捨て切っていません。我を捨て切ったところに、人と我の相異が無くなります。恥ずかしいと思う念を超えて相手を憐れむようになれば、真の自己と真の相手を知ることが出来ます。未だその域に至らないのは、仮合の色体に執しているからです。諸法皆空の中に恒存性は無く、因縁性のものに実在性は有りません。小我を超えて、無我の大我に融合すべきです。そなたは未だ小さな自我の中に固執しているから、感覚(受)・表象(想)・意思(行)・意識(識)が生じるのです。全ての色象は無常であり、無常なるものは苦であり煩悩であり悲哀です。行者は世を捨てると同時に、我執も捨てなければなりません。世を捨てることは真に世を愛することであり、我を捨てることは真に自己を悟るということです。常に耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶのが修行者の心構えです」
「よく分かりました」
「これから益々大変です。世の中には善悪が入り混じっているために、私達は行をして因縁を結ぶのです。一飯を施されれば、施主に一分の佛縁が芽生えます。私達が正法を得られた暁には、その法をもって施し、衆人を救うのです。恥ずかしい、悲しいと思う心よりも、一日も早く法を求める決心を熱烈に燃やして、供養して下さった人も、乞食(こじき)のように扱った人もみな教化済度する要があります。
私達の目的は托鉢にあるのではなく、道を求め、法を求め、更に一日も早く衆生が佛門に帰依して永遠の正覚者になれることにあるのです。そのために幾多の艱難苦行を重ね、飢えには出来るだけ我慢し、耐え難い時には衆生に佛縁を求めて托鉢乞食(こつじき)を続けるのです」
大師の強い語調には、上は菩薩を求め、下は衆生を化益せんと願う菩提心が溢れていました。
「やっと、目が覚めました。心の曇りが拭われた思いです。今は、そのような考えを持ったことをむしろ恥ずかしいと思うくらいです。今日までの事は、佛陀が私の心を験されたのかも知れません。今の大師の教えで、本当に迷いが取れました」
永蓮の顔は、晴れ晴れとしました。大師も、永蓮の理解が早かったことを喜び、保母と共に永蓮を讃えました。
三人の旅は、平穏に過ぎました。種々困難もあったが三人が力を合わせて克服し平穏無事に半月を過ぎたある日、大きな山が大師一行の行く手を遮り、絶壁の岩が一行の前に立ち塞がりました。麓から仰ぎ見れば、岩壁は嶮しく高く聳えて頂上を望むことが出来ません。山腹は萬年雪に蔽われ、春とはいえ寒々としていました。南と北には大きく深い谷があり、それに沿って僅かに路らしい細い道がついているのが分かる程度で、森林が生い茂り歩行は大変に困難のようです。
南への道は見るからに険しいので、三人は北の小径を辿って行くことにしました。登って行くに従い、雑木が密生し鬱蒼として昼なお暗く、道は羊腸の如く崎嶇(きく)が激しく、三人は辺り一面に蔓延(はびこ)る蔓草に足を取られて何度も転びながらも登り続けました。
上を見れば懸崖絶壁であり、下を見れば千仞の谷です。三人はこけつまろびつ崎嶇凹凸の激しい山道を辿りながら進みましたが、やがて日が暮れてきたため大師は、保母と永蓮に適当な場所を見付けて野宿するよう命じました。幸い、石崖の縁にとある洞窟を見付けたので一行はその中に入り、大師は綿布を土の上に敷いてその上で静坐瞑想しました。永蓮は、初めて泊まる山中に身を震わせていましたが
「行者は常時、心神の法輪を転ずべきです。恐怖の念を払って、そこにお坐りなさい」
と言う大師の言葉に心の安らぎを覚え、保母と共に大師を見習って静坐しました。
翌日夜が明けると共に、また三人は山道を登り続けました。行けども行けども山また山で、通る人は一人もおりません。大師達は、道を間違っていたのです。西を向いて進んでいると信じていたのが、実は北に向かって歩いていたのです。太陽すら見えない密林の中を彷徨(さまよ)い、身の丈を超える雑草を掻き分け苦行を続けながら漸く山脈を乗り越えました。
足に肉刺(まめ)を作りながら下りの険しい坂道を歩き続けて黄昏(たそがれ)も近い頃、疎らに人家のある小さな部落に辿り着きました。大師は、一軒の家の前に立って宿を乞いました。
保母と永蓮は、疲労と空腹と寒さで今にも倒れそうになるのを必死の思いで耐えていました。幸いにも家の中から親切そうな一人の老人が出てきて、三人を家の中に迎え入れてくれました。この家は老人の一人住まいであったため、三人は張り詰めた山越えの緊張も解け、心からほっとした気分で気を楽にして休むことが出来ました。 続き