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観音菩薩伝~第2話 王妃、第三王女を御出産される、 第3話 老翁、妙荘王に姫のご来歴を告げる

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2016年8月7日

第2話  王妃、第三王女を御出産される

 王妃は、その日から身籠もられました。二・三ヶ月すると、お体は元気であるのに、肉や魚などは喉を通らず、平生の好物でも腥物だけは見ただけで胸が悪くなりました。無理して食べれば、全部嘔吐してしまう有様。精進の菜食以外は、一切の食物を受け付けなくなりました。群臣はこの事を聞いて不思議に思い、この噂は瞬く間に国中に伝わっていきました。
 一日一日と月日が経ち、冬が過ぎて暖かい春がやってきました。妃の産褥の期は日一日と迫り、人々は今度生まれる御子は太子か姫かの予想で持ちきりでした。妙荘王は必ず太子が誕生すると確信し、今度の出産に非常な期待を掛けて、毎日が楽しく胸躍る希望に満ちた生活が続きました。群臣は各々、慶賀の祝典の準備で忙しくしていました。
 その日は二月十九日で少し肌寒い日でしたが、妙荘王が花園で百花を鑑賞していたとき、宮女が面前に跪いて
「申し上げます」
「何事であるか」
 妙荘王の胸は、思わず高鳴りました。

「王妃様には今朝卯の刻(午前五時から七時までの間)に姫君を御出産なさいました。どうか、御命名を賜りますようお願い申し上げます」
 一瞬、妙荘王の顔は曇ってしまいました。予期に反して、また王女が生まれた。一体、どうした事だ。期待していた事が根こそぎ裏切られた妙荘王の心は、黒い雲に包まれました。しばらくは失望の余り言葉も出ない有様でしたが、漸く自分を取り戻して宮女に
「王妃の身体はどうであったか」

 真っ先に気になるのは、やはり妃の身体であります。
「はい。王妃様が御分娩なさる時には、色とりどりの美しく珍しい鳥がたくさん庭園の樹に集まり、それらの囀りはあたかも仙楽を奏でるようでございました。御部屋には芳香が漂い、並み居る人に匂って何時までも消えません。暫くして、苦もなく姫君が御誕生遊ばされました。王妃様も姫様も、お健やかでございます。殊に姫様の産声は、冴えて大きく響きました」

 妙荘王は、密かに思いました。宮女の話によると、珍鳥が樹に集まって仙楽を奏で芳香が部屋に満ちていた事と、前に妃が見た懐胎の夢とを結び合わせて考えてみると、この子には何らかの来歴があるかも知れない。或いは、夙世に善根が深かったのかも分からない。そう思い至った妙荘王の心は、幾分穏やかになってきました。すると急に今度生まれた姫に愛着を感じ出した様子で、居室に入って朱筆を取り金箋に「妙善」と端麗に認め、宮女に渡しました。

 朝野の郡民は、第三の王女が生誕した事を聞き歓喜で上を下への大騒ぎとなり、城内城外で慶祝の行事が幾日か続きました。妙荘王は宮中に宴席を設けて群臣を招き、三日三晩踊り狂いました。至る所に篝火が焚かれ、寺院の鐘は一斉に鳴り響き、慶びの気は天に沖し、歓声は雷のごとく国中に轟き渡りました。百姓農民は豊作に加えて喜びはなお一入で、家々には祭壇を設けて灯明が点され、供え物を献じ、天帝に謝し、姫君の将来に幸多かれと心から祝福しました。




第3話 老翁、妙荘王に姫の御来歴を告げる

  宮中での祝宴の第三日目のこと妙荘王は、宮女に姫を殿上に抱かせ、初見の儀を執り行うことを命じました。ところが宮内に酒宴と肉香の空気が充満していたため、その場に入って来てこの空気に触れた途端、姫は急に火が点いたように泣き出しました。宮女を始め随いてきた乳母が一生懸命にあやしましたが、とても泣きやむ様子がありません。群臣は、一斉に酒杯を置いて、眼を姫のほうに注ぎました。妙荘王は、心中不快気に顔を顰めました。このとき忽然と門官が登殿して妙荘王の前に跪き、
「申し上げます。只今、朝門に一方の老翁が参り、姫に宝物を献上したいと言って謁見を申し込まれました。如何いたしましょう」

 妙荘王は、即座に引見を命じました。暫くすると、長い廊下を通って一人の老翁が登殿してきました。一座の群臣は、視線を老翁の方に向けました。総髪は真っ白で長く背中まで下がり、胸まで垂れる白髯は爽やかに風に靡き、眼光は炯々として鋭く、風貌は威厳に満ちていました。その空気に群臣は息を呑み、正に仙風道骨とはこの姿であろう、と思って見守りました。妙荘王は、静寂を破り、
「老人よ。姓と名を申してみよ。何処の者で、何の宝物を献ずる所存なのか」
 老翁は妙荘王に一礼し、頭を挙げて、
「拙老の来歴を申す前に、本日此処に参上した理由を申し上げましょう」
 老翁は側の姫を暖かい眼差しで見てから、再び妙荘王に向かい、
「承る所によりますと、この度吾が王には姫君を御出産され、大小群臣の慶賀を受けておられるとの事を伺い、拙老も吾が王に謹んで慶賀申し上げると共に、姫君の御来歴をお告げ申し上げたく馳せ参じました。実は、姫君の先天は慈航尊者でございます」

 妙荘王は、可笑しさの余り笑い出して
「老人よ。汝は子どもでもあるまいに、そのような根拠もない偽りを申すな。慈航尊者は極楽世界の楽を享けずに、何故この俗塵に墜ちて一人の凡婦に生まれくる理由があろうか。戯けた事を申すでない」

 すると老翁は、大きく頷いて言葉を続け、
「近来は人心大いに腐敗し、各地で殺・盗・淫を行う乱賊が跋扈し道徳・正教が廃れたため、至る所で災難が生じ、戦禍は止まず、良民は塗炭の苦しみを受けております。この時に尊者は世を憐れみ、衆生の苦を悲しまれて天帝に降世を請われ、世人の苦難を救うことを誓って此の世に降生されたのでございます。姫にはこの人王の世界を仏国の世界と化し、新しく入られた仏道の覚者として永遠に仏法を顕し、大乗の真旨を明らかにし、菩薩道の極を致して衆生を地獄の輪廻から救おうとなされるのでございます」

 老人の目は一層焔のように輝き、神々しく見えてきました。妙荘王は、
「汝は姫に来歴があると申すが、もし慈航尊者が発願して入世するならば当然男に転生する筈である。如何して何かと煩悩の多い女に生まれる理由があろうか」
 妙荘王は、不興気にこのように宣べました。

「これには、理由がございます。古来、男は戒を受け専心出家して修道し、仏仙に成道することも比較的容易に適います。また倫理礼教を知り、教典の義を悟るのも早いものであります。一方婦女子のほうは、仏法から遠く離れ天理の循環を恐れず、世の禁戒も守り難いために堕落した者は数知れません。故に女人に五濁(註1)の災いを解脱させ、後世の模範となり、婦人に広く菩提の道を得させるため特に降生されました」

  老翁は一息吐いて
「婦女子でも西天極楽に成道が得られ、菩薩道を全うできます。将来姫君は、万世婦女にこの事を示す警鐘となるために降生されたのでございます。この重責は、姫以外の人には担うことができません」

  老翁は確信に満ちて、万感の表情を妙荘王に示しました。妙荘王は首を横に振り、
「汝の説く事はとても信じられない」
 と、もう一度大きく首を振りました。
「已むを得ません。将来、自然とお分かりになられましょう。拙老も、これ以上申し上げません」
 老翁は、諦めて妙荘王に一礼して引き下がろうとしました。そのとき乳母に抱かれていた姫が、一層激しく泣き出しました。妙荘王は何を思ったか、老翁を呼び止め、
「もし汝が姫の宿世の因縁を知っているなら、定めし汝は高徳の方に相違あるまい。しかし先刻から姫が狂うように泣いて止みそうもないが、これは果たして如何なる訳か説いてみるがよい」

 すると老翁は、呵々大笑して、
「存じています。その前因も後果も分からないことはありません。姫が泣くのを大悲と申します。実は今回吾が王は姫御誕生を祝って三日連続の宴席を開かれましたが、このために如何ほどの牛・羊・鶏・豚・魚類を惨殺し生命を傷付け、人々の口腹を満たしたか知れません。これを憫れむ大慈の心が姫君を悲しませ、やがてこれが皆自分に大きな罪業を加えることになる故、それを忍びず泣き止まないのでございます」

 老翁は、更に言葉を継いで
「大悲の主旨とは、人類だけに止まらず、世に生を受けている動物から一草一木に至るまで皆同じでございます」
「されば汝の話を信じるとして、今汝は即座に姫の泣き声を息ます方法でもあると申すのか」

 老翁は、キッと眉宇を強く引き締め
「拙老が止めて差し上げましょう」
 と言ったかと思うと老翁は、姫の身辺に寄り、掌で姫の頭と額を撫で、詩を吟じました。
  「哭(な)くな、哭くな、神(しん)は昏み明が閉塞(とざ)される。
  汝が入世の宏願(ぐがん)、入世の老婆心を忘れるな。
  三千の浩劫を識り、汝去(ゆ)きて度すべし。
  三千の善事は須く汝が去きて行うを待つ。
  哭くな。謹みて世音を観じ、梵音を聞け」

  すると摩訶不思議。姫はあたかも一切が解るかのように途端に泣き声を止め、眼を瞠らせてジッと老翁を見詰めニッコリと笑いました。妙荘王は、すっかり感に打たれてしまいました。一座は急にざわめき、感嘆の声が彼方此方から聞こえてきました。この老翁は由緒ある徳の高い隠士に違いない。何と不思議な業であろうと皆が思っていますと、老翁は
「姫の泣き声も止みました。拙老は、最早ここに長く留まる訳には参りません」
 と妙荘王に辞礼して踵を返すや、飄々と風のように門外に出て、止める間もなく飛ぶように立ち去ってしまいました。

 腰は軽く、歩は柔らかく、とても普通の老人の行動とは思えません。妙荘王は、自分の軽妄を悔い、もっと老翁と話をしたい気持ちに駆られてなりません。沢山聞きたい事があったのに、何故もっと鄭重に扱わなかったのだろう。妙荘王は直ぐ侍衛に後を追いかけ叮嚀にお迎えするように命令を下しましたが、朝門にはすでに影も姿も見えません。馬を四方に走らせ、六街三市を追わせましたが、とうとう何処にも老翁を見付けることはできませんでした。

 宰相アナーラは王を慰め、
「先ほど耳にした種々の話の模様から推察するに、あの老人は定めし仙仏の権化でございましょう。老翁は自分から留まらない限り、尋ねられても無益と思われます。時が来ればまた、お会いできることでございましょう」
「卿の言われる事は、本当かも知れない。ああ、惜しい事をした」
 妙荘王は、何時までも老翁の事が忘れられませんでした。

(1) 五濁(ごじょく)とは、この世に起こるけがれで、次の五つのことです。
 一、 劫濁(ごうじょく):人の寿命が二万歳以下に減ずるに至って、見濁等の四濁が起こる時をいう。
 二、 見濁(けんじょく):身見、辺見等の見惑をいう。
 三、 煩悩濁(ぼんのうじょく):貪、瞋、痴等の一切修惑の煩悩をいう。
 四、 衆生濁(しゅじょうじょく):劫濁時の衆生は、見濁・煩悩濁の結果として、人間  の果報漸く衰え、心鈍く、体弱く、苦多く、福少なきをいう。
 五、 命濁(みょうじょく):これまた前の二濁の結果として、寿命漸く縮小すること。

次回 第4話  姫、機知を働かせて蟻の闘いを止められる

 


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