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サナンダ : 物質的な身体の幻影と真の現実性 [サナンダ・クマラ]

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きらきら星へようこそ...☆

サナンダ  
Sananda 

物質的な身体の幻影と真の現実性
Illusion and Reality of the Physical Body

May 12, 2016
サル・ラケーレ経由
Via Sal Rachele 

質問:サナンダ、わたしは混乱しています。

あなたは“奇跡の講座”の中で、身体はひとつの幻影であり、皆さんは、実際に認知に対するひとつの障壁としての機能を果たすように意図的に考案された状態にさらに一段と踏み込む、さらに遠くまで進む、と話します。

次にわたしは、別の教えが身体は神の一部であり、不死の状態まで高められることもある、と話す言葉を聞きます。

これを明確にしてもらえないでしょうか?

サナンダ:大切な最愛なる者、あなたの幻影と現実性の定義次第で、両方の認識が妥当です。説明します。

 

その身体はひとつの道具または手段であり、コンピューターが連絡のために利用されるひとつの道具であるように、3次元の現実性を把握するために用いられます。

身体は、それが創造全体の不可欠な部分であるという意味で、実在します。

しかしその一方で、身体はその身体に宿る者から離れて霊または魂を持たないという意味で、身体は幻影的なものです。

 

身体はひとつの内蔵された知性を持ちますが、しかしそれは、ちょうどコンピューターがソフトとひとりの操作担当を持たなければ使い道がないように、ひとつの霊または魂によって活性化されなければならないものです。

身体は、知性的な存在(魂)あるいは知性的なエネルギー(霊)の姿として神によって身体に与えられた生命から離れて、生命を持つことはできません。

あなたは、それは中立的であり、良くも悪くもない、と言うことができるかもしれません。

皆さんのコンピューターは中立的であり、利用者の意識次第で、建設的にまたは破壊的にも使うことができます。

わたしは、“奇跡の講座”の中で提供された幾つかの情報を明確にする必要があります。

わたしが身体は幻影だと話した時、わたしは、自分が身体のレンズを通して外部の世界を単純に把握している永遠の霊的存在であることを忘れてしまった人々によって身体に割り当てられたその役割について言及していました。

その講座の中でわたしがそう呼んでいる魂は、身体にその魂自信のひとつの生命を与えようと試みてきました。

そして魂は、特に身体が病気になる時に、魂がその身体の指示に依存すると考えます。

身体の内部には、そこに宿る魂の意識に反対している力はありません。

身体は単純に、その魂の意識の内部の物事に反応しているだけです。

これが、わたしが認識させようとした要点でした。

わたしが身体は神の意識を制限するために作られたと話した時、わたしは、神は存在しないこと、神は神の子供達が苦しむことを望むということを正当化するために身体を利用しようとする人々に言及していました。

内面の奥深くで、こうした魂達は、当初は神とひとつであるという漠然としたひとつの記憶を持ち、その結果より低次の密度への分離に苦悩しています。

この闇への転落の辛い記憶を拭い去るために、そういった魂達は、底に横たわるものを隠すために身体を利用しようとします。

その創造主を奪われたと感じて、苦悶する孤独なひとつの精神です。

今後そういった魂達は、二元性の楽しみと苦痛に逃げ込んで、ひとつの虚しい試みの中で内面の渇望を満足させようとして、身体を使うことになるでしょう。

その魂達は、倒錯した楽しみ、薬物、絶叫型遊具、虚栄心、そして内在する悲しみを取り繕う他の手段に対して、身体を支配します。

身体はエネルギーのマトリクス、つまり電磁束の幾何学的パターンから構成され、そしてこのマトリクスは精神と情緒によって制御されます。

ひとつの魂がその意識の充分な純化を終えた時、その魂は、その魂の意識のどのような特徴も実質的に身に着けるために、物質的な身体を修正することができます。

従ってその身体は、その魂のひとつの延長になり、その魂が神の力と存在感と同調する時、その身体は神の愛に溢れる存在感を発散させます。

そのため神の存在感を外部の物質的な次元領域に向けて拡張することによって、身体は精霊に満ち溢れて、純化され高貴になり、聖霊に喩えられるようになり、明らかにされた不死で輝く完璧性の具体例になります。

 

身体が貴くなることを目的として、身体を褒め称える必要も、身体を神の不可欠な部分として理解する必要もありません。

しかしその一方で、神の聖なる子供の精神から、すべての判断を取り除くことが必要になります。

もしも人が依然として物質的な姿の中にいる間に完璧性に向けて次元上昇しようとするなら、身体が行い表現するどのような物事も、決して判断することはできません。

身体は、ひとりの真の神の生きている神殿です。

今後この単純な事実が、肉体の誘惑を超えて他の具体化された魂達との聖なる統合へと皆さんを運ぶことになるでしょう。

わたしは決して、皆さんが身体的な愛が悪いまたは罪深いという信念を身に着けることを意図した訳ではありませんでした。

物質的な世界の中の他のあらゆる物事のように、純化して内面に向かう必要性を免れるひとつの手段としての物性の崇拝がその問題であり、身体それ自体または楽しみを感じる身体の能力のことではありません。

物質的な楽しみへの執着は、痛みと苦悩を引き起こします。

何故なら、物質的な楽しみに執着した状態で、人は人の全存在との結び付きを忘れるからです。

物質的な世界の中で神の存在感を確認し、自己と他の人々の内部の同じ完璧さを確認することは、皆さんと神の息子達の間の分離を終りにします。

次にそれぞれの人間関係は神に関わる神になり、愛のそれぞれの表現は、物質的な楽しみの表現も含めて、最大限になります。

皆さんが住むこの世界は、皆さんのそれに関する認知次第で、ひとつの楽園またはひとつの牢獄になる可能性があります。

それぞれの水準つまり次元は、ひとつの認知の仕組みを持ちます。

身体は、3次元のための主要な認知の仕組みです。

精神と想像力は、4次元の認知の仕組みです。

愛に溢れたこころと結晶質の光の身体は、5次元の認知の仕組みです。

存在のそれぞれの水準は、その認知と魂の経験の方法を持ちます。

身体はこの世界の中のその経験を促進します。

その経験の質は、その魂の意識の状態に依存します。

 

人がさらに高い数々の次元へと進化する時、まさに人が目覚める時に夢がひとつの幻影のようにみえる場合と同じように、身体はひとつの幻影であるように見えるかもしれません。

それにもかかわらず、夢の次元の内部では、夢は極めて現実的に見えます。

この世界の内部では、身体は極めて現実的に見え、そしてまるで物質的な姿がひとつの幻影であるかのように自分達の人生を生きることは、ほとんどの魂に役立ちません。

生きている神の聖なる神殿に対する名誉と敬意は、神が皆さんの器を通して明確にそして歓びに溢れて交信できることを保証します。

 

身体は、ひとつの知的な様式を持ちます。

創造主は、物質的な次元の中でそれ自体を表現するために、最も絶妙な認知の手段を造り上げました。

従って、たとえわたしによって交信された一冊の本またはたのどのような参考書の中であろうと、身体は神に属さないと述べるどのような発言も、間違ったものになるしかありません。

もしかするとひとつまたは2つの解釈は、無傷で伝わらなかったのかもしれません。

もしかすると、ひとつの文節が間違って解釈されたのかもしれません。

奇跡の講座は、罪悪感と罪がその読者の内部に宿るとことを自覚することによって、その罪悪感と罪を克服する方法における、ひとつの美しい教えです。

その講座は、わたし達はひとりの愛に溢れる神の産物であり、わたし達の純潔は永遠に確立されていることを、絶えずわたし達に気付かせます。

その講座は、内面の神に意識を集中して、物質的な姿に対するわたし達の執着を取り除く方法を、わたし達に教えます。

 

それは重要な内面の真実のことであり、その言葉自体ではありません。

言葉はただ言葉を超えたものを指摘できるだけです。

その言葉を利用して、皆さんの聖なる精神とこころの中に宿るその永遠の存在感に対する発想と描写を超えて進んでください。

あらゆる物質的な身体が、その安らぎのひとつの手段になるようにしてください。

あらゆる魂の経験をその安らぎにしてください。

わたしは今日、皆さんにわたしの安らぎを与えます。

わたしはサナンダ、永久に永遠の一体性の光の中にいます。


Channel: Sal Rachele
http://sananda.website/sananda-via-sal-rachele-may-12th/

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。

転載される場合には、出典を明記してください。


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