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ドラゴン : “歴史”研究の限界 [ドラゴン]

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きらきら星へようこそ...☆

ドラゴン
The Dragon

“歴史”研究の限界
Limits to Studying "History"

11 April 2016 - 9:23pm
ブライアン・ザ・ドラゴン経由
Channelled by : Brian, the dragon

わたしは龍、

This is The Dragon,

皆さんがさらに進歩する時、皆さんは、現実性に関する皆さんの認知のことに関して言うとしばしば“正しいも間違いも”ないことを学び始めます。

わたし達は過去において、歴史がどれほど可鍛性を持つかということについて、ついでに話をしておきました。

わたし達は、この短い交信を、その話題に捧げたいと思います。

全体的に見れば、ただ永遠の今だけがあり、それがあらゆる物事、存在するすべてを象徴します。

唯一の“真実”は、皆さんがあらゆる物事を一緒に受け止める時のことです。

しかしその一方で、さらに大いなる“真実”の範囲には、沢山の矛盾した半面の真理があります。

こうした半面の真理のほとんどは、様々な存在達や文化によって真実として受け取られます。

もしも正しいという意味で何かを偽としなければならない排他的な性質を持つ何らかの真実があるなら、その結果それは真実ではありません。

以上。それは、わたし達が保証できる絶対的な物事のひとつです。

 

それで強調すると:もしも何某かの有名な歴史的な人物が3,000年前に存在したとするなら、次にその真実がその人物は存在しなかった過去のひとつの型と矛盾します。

これは単なるひとつの具体例です。

この人物がどちらなのかについて気にしないでください。

わたし達は相方に任意の大きな数を選択させます。

わたし達は、ひとりの具体的な個人を指している訳ではありません。

そういった2つの具体例が全存在を網羅します。

その歴史的な人物がまさに存在した無限の全存在と、その歴史的な人物が存在しなかった無限の全存在です。

確かに、わたし達はそれをもう少し深く限定して、“何処で生きた?”と“何をした?”と言うことができます。

しかしわたし達は基本そのものを話しています。

彼女は存在したか、あるいは存在しなかったかの、どちらかです。

起り得るあらゆる宇宙を存在したか存在しなかったかに分けるためにそれを使うことができる、2つの可能性です。

もしも皆さんがわたし達の直前の交信を参照するなら、皆さんはこれがおそらくひとつの振動の観点からのひとつの明確な分割ではないことを理解することになるでしょう。

しかしわたし達は、現時点ではそれを気にしていません。

一般的に両極性はひとつの問題ですが、しかし例えばそれは便利です。

存在することと存在しないことを超えたものが他に何かありますか?ありません。

それでもしも歴史の中で彼女が存在したとすれば、それは真実ではなかたことを意味するのでしょうか?

いいえ、その真実は彼女が存在した場合と存在しなかった場合の両方であることが明確に必要になります。

次に、皆さんは全存在を網羅します。

何故なら、ひとりの充分に賢明な存在である皆さんは、歴史の中に地球を持たなかった何処か他の場所で地球のひとつの代替型があるかもしれないことを、完全に理解します。

おそらくそれは正確です。

 

それで、既にわたし達は沢山の時代の基礎を網羅しています。

ここで、そのメッセージの核心に踏み込むことにしましょう。

 

皆さんはひとつの直線的な時系列の認知のなかで生きますが、しかし時間は、皆さんがそれを経験する時でさえ、直線的なものではありません。

もう一度それを伝えましょう。

皆さん自身の経験の範囲でさえ、時間は直線的なものではありません。

そして既に非直線的な時間を経験しています。

そして皆さんの人生の長さはこれほど短いため、皆さんはすべてそれに気付きません。

さてもしもそれが同じ数の3,000年だったとすると、皆さんは非直線的な経験によって引き起こされた数々の奇妙な異様性を確認するかもしれません。

皆さんがその足下の土を経験できるほど時間は現実的ですが、しかしそれは絶対的なものではありません。

実際に、時間はむしろ、幻影の流れを備えた数々の映像を持つひとつの映画のようなものです。

非直線的な時間は、映画の映像が過ぎ行く時に、以前の映像が切り替えられることがあることを意味します。

それで皆さんが振り返る時に、皆さんは実際にその画面上で一時的な現れたものとは違う物事を確認します。

 

それは気狂い染みていませんか?

皆さんが何かが起ったことを確認して、次に皆さんはその映像の中で実際に何ひとつ起らなかったと言われたひとつの映像を思い描いてください。

しかしながら、もしも皆さんがそこで演じる人類を注視するなら、それは実際に日常的なことです。

皆さんが何かをして、それを忘れ、次にそれを変え、次にそれに関する集団健忘症に陥る理由は、皆さんが非直線的な時間の中の直線的な時間という幻影の内部で生きているからです。

 

次に皆さんは、百代遡る皆さんの祖先達が実際に以前は決して経験しなかった何かに関する証拠を掘り起こします!

 

歴史は非常に可塑性があります。

集団的認知による可塑性であり、人間の精神も可塑性を持ちます。

社会的存在の範囲内のひとつの反響があります。

皆さんは、10年前に起った物事を人々が覚えている状況に自信を持つことさえできません。

 

3,000年となると尚更です。

 

物事をさらに入り組んだものにするなら、数多くの皆さんは、皆さんの現在の時間の中で生きている人々に言わせると決して起らなかった歴史の数々の代替型の中に転生しました。

しかしそういった代替型は非常に現実的であり、そしてそれは依然としてアーカーシュの中に存在します。

 

それでわたし達は、皆さんが“歴史”と呼ぶものに関するさらに多くの物事を皆さんすべてが発見し始める時、数々の出来事のひとつの型に偏向しないことが重要になる、と伝えます。

それは成長を制限します。

わたし達は、是非“そのすべてを提供するだけ”と伝えたいと思いますが、しかしその時皆さんは、おそらくその数々の課題を忘れています。

そのため時には、教えを受けて他は却下することが最も簡単です。

しかし、そのために皆さんが利用するものを見付け出すのは、皆さんの責任です。

今後皆さんは、それを見付け出すことになるでしょう。

 

愛を込めて、

ドラゴン

 

With Love,

The Dragon


Channelled by : Brian, the dragon

http://lightworkers.org/channeling/220106/limits-studying-history

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。

転載される場合には、出典を明記してください。

 


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