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パリ同時多発テロ事件:どうしてフランスにおいて「13日の金曜日」だったのか?

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解説:1307年10月13日金曜日 2015/11/17 16:34 転載元:Kazumoto Iguchi's blogさんより
”13日の金曜日”=テンプル騎士団の厄日:
フリーメーソンvsイスラムの図式か!?
(前略)
なんと「13日の金曜日」の日にフランスのパリで「無差別同時多発テロ」が起こされた。
さて、どうしてフランスにおいて「13日の金曜日」だったのか?
まあ、陰謀論を多少知らないとこのことについては理解不能であろう。
実は、今有名になっているフリーメーソンはNWOの指導層が所属している組織である。

そのフリーメーソンの祖先となる組織は

「テンプル騎士団」
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と呼ばれるものだった。

このテンプル騎士団が「十字軍の遠征」と呼ばれる大遠征をして、アラブの地で蛮勇を誇ったのである。テンプル騎士団のメンバーはアラブの当時の最先端の科学技術、例えば、数学や錬金術やインド数字などを西洋社会に持ち込むきっかけとなったのである。

そのせいで、テンプル騎士団のメンバーは西洋に帰ると当時の最先端の科学技術者集団となり、非常に金銭的にも政治的にも大掛かりなリッチな層に変わっていった。

その「テンプル騎士団」の政治力権力の増大に驚異を感じた当時の

フランス王フィリップ4世(美男王)
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が、フランス全土を虱潰しにテンプル騎士団メンバーを探し、逮捕収監して、拷問したのである。
そして大半は殺害された。

その最大の犠牲者の出た日が、なんと

1307年10月13日金曜日
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だったのである。

それ以来、西洋人にとって「13日の金曜日」は不吉な日を代表する日となったのである。メーソンにとって「1013」は禁句なのであるらしい。日本人にとっての「49」に対応するだろう。

なんとか生き延びたテンプル騎士団の団員たちは、北方に逃げ延びた。その地がいまのスコットランドのある場所である。そこで、息を吹き返したテンプル騎士団は、この名前のままでは何をされるかわかったものではないから、その名を「スコティッシュ・ライト」、後に「フリーメーソン」と変えて現在に至る。

そのフリーメーソンのメンバーたちが、今現在の金融業を席巻し、世界政治における権力を再び取り戻している。

これが現状というわけだ。

そこで、だれかが「その日」すなわち「13日の金曜日」に合わせてテロを演出したというわけである。

まあ、アラブ人の立場からすれば、西欧からやってきていきなり戦争を仕掛けて来たわけだから、かつての我が国の対米国と同様に応戦するほかなかったのだろう。

おそらく、そういう歴史的事情に詳しいものが、わざわざメーソンにとっての「血の金曜日」である「13日の金曜日」に無差別テロを起こしたのである。

ということは、一般のテロというよりは、フリーメーソンに対する警告ないしは報復の意味を込めていると見るべきだろう。

なぜなら、今現在アラブを爆撃して大混乱に落とし入れているものが、かつてのテンプル騎士団と同じようなメンタルのNWOの面々だからである。   以下詳細は、新・ほんとうがいちばん http://mizu8882.blog.fc2.com/blog-entry-1140.html をご覧ください。

また、対立の原点について シリウスのティアランからの励ましのメッセージ(拡散希望) を参照ください。


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