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・内なる世界に豊かな「王国」を築く

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   あなたは奴隷状態にいる。不自由でいる。
   「あの人は嫌い、この人はこうだ、日本の政治はこうで、世界はこんなふうにひどいことになっていて、これまでの歴史はこうだった」と、あなたが意識においてやっていることはすべてそのまま、あなたの内なる王国を創っていることなのです。それがこの世界に反映されているのです。つまりあなたのイメージが、あなたの捉えている世界観があなたに反映されて、世界に反映されて、互いに共有し合っており、その世界が現実になっているわけです。

   この建物を創った人も、こういう発想をしたからこんな風に創ったわけで、今自分の着ている服だって、このテーブルも、マイクも、全部が誰かが発想して創ったものなのです。そこには、創った人とそれに関わった人の波動なんかも全部入っていてそのように見えてくるわけです。

   この部屋でこのワークを受けて、皆さんが帰った後、それぞれが「あのワークこんなで、木盛さんてこんな人だったよね」「こんなこと言ってたよ」「エーッ、そうだった?」「そんなこといってたー?」、とそれぞれが違う捉え方をしている。だから全く違うんです。そして違うということが素晴らしいのです。違う者同士が出会うから、新しいものが生まれる。それぞれが違う楽器同士が集まって演奏するから、素晴らしいハーモニーが生まれ、シンフォニーが起こるのです。

   お互いをリスペクト(尊重)し合うというのはそういうことです。
   自分がそうであるように、目の前にいる相手も完璧にユニークな宇宙なんです。お互いにそのように見ることができるから、初めて尊重ということが起きる。ですから翻(ひるがえ)って、自分のことをそのように見ることができない自分は、、また人のこともそのように見ることができない。

   よく聞くような話ですが、誰かが自分にひどいことをした。
   だからあの人はこういう人なんだと思う。それは家族間でも夫婦の間でも、仕事関係においてでも起こることで、「あいつはこういうヤツだ」と思ってしまう。ですがあなたが「あいつはこういうやつだ」と思っている限り、その人がそのようにあり続けることにあなたは投資しているのです。つまりあなたの中では、その人はそのように生きているから。でもそれは、あなたの中の住人でしかない。別の人にとっては全然違う人なのです。

   たとえばあなたが、人からそのイメージを持たれ続けているとき、いかに理不尽でしょうか。あの瞬間、たまたまそうだっただけなのに。相手は自分の状況や背景を何も知らないのに、なぜ自分のことをそうだと決め付けて、思い続けているのか。夫婦で、親子で、「あの人はこういう人だからしょうがない。もう諦めている。あの人は一生変わらない」と思っていようものなら、その人はその牢獄に閉じ込められるのです。

   つまり、被害者がずっと被害者でいる間、加害者は変わることが出来ないのです。
   加害者だって、そんなことをしたくてしたのかどうかわからないし、うまく出来なかった。あるいはその時、そういう気持ちになってしてしまった。でも誰だって、一生そうしていたいとは思っているわけではない。みんな成長したいし、みんな良くなりたい。最初に言ったように、個人のカルマなんてないんですよ。

   誰もがこの地球の歴史を、太陽系の、銀河系の歴史を担っていて、自分が超えるためにそれを体験した。その配役としてそういうことが起こっただけなのに、あなたが被害者として居続けるから、相手は変われないまま、世界を固定して、そのような世界が展開され続けているわけで、この貧しい、惨めな、楽しくない世界がずと進行し続けているのです。

   だから出来ることは、あなたはそういう人のために、「この人は今はこうだけど、どうしてそんなになっちゃったんだろう? どんな家庭環境で、どんなところで傷ついて、どんな歪み方をして、こんなふうに捉えて、考えてしまうんだろう?」と観ていくことなのです。

   そしてこの人が、「自分のところだけじゃなく、何か素晴らしい縁に出会ってそれをきっかけに気づいて、目覚めて、新しくなって、自分自身をより良く活かして、周りと仲良く出来て、よりいい方法を選んで幸せになってもらえたらな。神様、どうぞよろしくお願いします」、というところまで面倒を見ることなのです。

   なぜなら、あなたが関わった人はすべて、あなたの中の住人だからです。
   そうなると、あなたのやり方ひとつに希望があります。そういう構造になっているのです。あなたの中の住人全員に対して、それをやるべき人があなたなのです。出会ってしまったら、あなたが味わって、現実を認識してしまったなら、それらの人々は今やあなたの内なる王国の住人です。それが事実であり、そこまで面倒を見るべきなのです。そうやって、あなたは物語を創るのです。

   (自分の内なる王国の、住人になってしまった人々の)面倒を見るのです。
   出来るか、出来ないかではない。「あの人は人のいうことを聞かないし、しょうがないから放っておけばいい」という話ではない。そうすると、あなたの中にはそういう人だらけだから、あなたもいつもそんなことばかり思っている。

   だから、がっかりしたり、嫌な思いをしてばかりいる自分の妄想だけど、自分がそれを生きなければいけないわけで、自分の創った内なる物語がまた一つの世界として展開されていってしまう。そういうふうにあなたが責任をとっているというのは、実は現実なのです。

   昔からの教えはどんなものも、「人を憎んではいけない」、「人を嫌ってはいけない」というのはそういうことなのです。ただ嫌いなだけでは、何も変わらないのです。人というのは、あなたも知っているように、知れば知るほど愛するようになるのです。本当に知って、相手のことをわかっていくほど愛してしまうのです。

   家を引っ越した時もそうじゃないですか。
   最初は違和感があって落ち着かないけれども、1年経ち、2年経つと居心地が良くなり好きになる。「住めば都」というのはそういう意味です。知るから愛しくなるのです。そのくらいこの機能は素晴らしいのです。知ったものは愛しい。だから一方的な思い込みで誰かを断罪したり、批判して固定したりしているうちは、自分自身が辛いのです。なぜなら自分の世界にそういう人がどんどん増えていって、決め付けて固定し、抜けられないし変われないようにと投資しているから、当然そういう配当が来るのです。

   本音(ほんね)は話せない。
   でも誰かを生け贄にしておけば、安心していられる。私たち友達だよねと言い合っている。会社でも学校でもそうだけど、何人かのグループがあって、その中の誰かが、いない人の悪口を言い始めると、「そうそう、ほんと嫌だよね」「よかった。同じ考えで」と言って安心する。これが地獄です。

   あなたがそのグループにいない時、自分も同じように言われていることを知っている。だから二度と本音など言えないし、誰とも心を分かち合えない。本当はみんな、そんなことを超えたいのに、みんな成長したいのに。だけどみんなでグルになって誰かを貶めて檻に閉じ込めてしまうから、誰もがそこから出られない。まんまと地獄にはまっている。そういうダサイ安心は本当にやめたほうがいい。

   みんな同じ。誰もが成長する途中だし、みんな今の自分を越えたいんだよね。
   「あの人、何であんなこと言うんだろうね。何か辛いことでもあるんじゃないの」そういう話になるように成長する必要があるのです。なぜならそれは取りも直さず、その嫌な人も「あなたの世界」の住人だからです。

   逆バージョンだけど、仲のいい友達のグループの誰かが、何だか問題を抱えているようだ。ある日その人がきて、「今までああでこうで、こんなことがあったけど、でも解決したの」と言った瞬間に、自分の中がふっと楽になる。実はそういうふうにできていて、すべて繋がっている。全員、自分の中に住んでいるのです。心というのは、意識というのは、そういう仕組みになっている。

   だから自分の中にいるみんなの面倒を見てやるのです。
   全員をより良い眼差しで見てやり、慈愛の目で見てやる。みんなが幸せになるように自分の世界でその人を理解したり、その人にとっていいことになるように願ってやり、現実を動かせるようにストーリーを創れるようになるということが、自分のハートを育てるということ、自分の慈愛を育むということです。

   それは表面的なところで何かを上げたり、手助けするということだけではなく、自分の意識の中にいるその人への思いのほうが重要なわけで、心においてそれを願っていれば、勝手に動いていくのです。

   すべての存在を源に還す王が即位するというのが本当に起こっているので、皆さんもその源に還るのです。源というのは、あなたの内なる王国の中心の座であり、王座、玉座なのです。あなたには、自分自身の内なる王国を素晴らしいものにしていく責任があるのです。そうする中で、あなたの心が豊かに膨らんでいきます。


              トータル・ヒューマン・チューニング
        book『 王の帰還 』 木盛龍彦著  ヒカルランド

                          抜粋


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