球にぶつかる前に束ねて彗星にぶつけてしまおう、それで爆発させようという計画を立てたのです。最初、太陽に持っていって爆発させようという意見もありました。
太陽というのはものすごい放射能を出しています。
ですから地球上の核兵器を持っていって爆発さたところで何の影響もない。そんなものは太陽から出ている放射能の何億分の1なので、ほとんどまったく影響がないです。それで彗星の通り道に持っていって、地球にぶつからないように、わずかに軌道をそらそう、というのが始まりだったのです。
地球と太陽くらい離れた彗星の通り道で、彗星が来たらそこで爆発させる。
これは一か八かですが、失敗すればえらいことですが、私が見てきた未来では彗星は地球にぶつかっていなかったので、多分うまくいったと思うんです。でも、やらなきゃダメです。やらなかったら何にもならないので、だから多分やったのでしょう。
それでどのくらい軌道がずれたかというと、分度器の1度という角度はわかりますね。
あれの60分の1、つまり1度を60等分するわけで、その1を1分と言います。それの60分の1を1秒といいます。それが2秒ずれるだけなんです。人間のつくったエネルギーでやったところで、彗星の軌道はわずかにそれだけしか、ずらすことができないというのも情けないのですが、それだけずれるだけで、二度とどこの星にもぶつからないで、太陽系の周りを回るだろうという計算が成り立つのです。
それが、私が見つけた彗星のことなのです。
そういう天体が、まだまだこれからも見つかるかもしれませんが、いずれにしても、地球はある程度は守られていくはずです。ですがそれと同時に、地球環境をどうやって守るかについて、考えていかなければならないわけです。
私たちは、地球で生きることを前提としていかねばならない。
地球に彗星が降り注ぐのは当たり前のことだし、星が落ちるのも当たり前です。この私が見つけた彗星は、毎年8月になると流れ星を流します。それがペルセウス座流星群です。そしてあの母天体は私が発見した彗星です。大きさは直径20キロぐらいで、それが地球に近づいて来ると、かなり大きくなる。そのときには直径が約40万キロのガスの塊になるようです。
ちょうど地球と月ぐらいの大きさのコマができる。
それが地球の中心から7万キロぐらい離れたところを通過していくことになりますが、そのコマには細かい塵がいっぱいあって、その濃度の一番濃いところがちょうど地球を通過します。その塵が大気圏内に入ってくると、流れ星がいっぱい流れるどころの話ではなく、雲仙普賢岳の火砕流のように全部が熱に変わり、下手をすると、大気が1500度から2000度近くになる。それが2時間にわたって通過します。これはぶつかるかどうかではなく、そばを通っただけでそうなります。
というわけで、1994年の京都で行なわれたフォーラムに世界中の有識者に集まってもらい、その彗星からどうやって地球を守ろうかという話し合いを持ちました。彗星が次にやって来るのは、2126年8月14日という計算です。この計算は、今回来たことで彗星がどれだけ消耗したかによって違ってきます。ちょっと時間がずれてくれると助かるのですが、ですが計算上は次に帰ってくるときに危ない。
映画『ディープ・インパクト』の主人公のモデルは木内さん
私は、こういうことが起きるということをしきりに言いました。
そのことを映画にして多くの人々に知ってもらったらどうかということになり、それで作られたのがスピルバーグさんが監督した『ディープ・インパクト』という映画です。私は今はおじさんですけど、あの映画に出てくる少年は、一応、私なんです。
最初、彗星が来る前に地球の環境が破壊されて人類は滅亡する。だから彗星が来たとしても関係ないという話があり、それを聞いて私は頭にきたので、「地球の環境を守ることをしましょう」ということで環境問題になりました。京都でのそういう話し合いの場から始まり、次は翌年の1995年にブラジルで行なわれる会議に送られました。
そのとき私はアメリカの代表に、「こういう大変なものは世界中の有識者と常に相談してやる必要がある。アメリカの軍事システムの中にはバッジ・システムがあるので、そのラインを一般に開放したらどうなのか」と言って、もの凄い喧嘩をしました。それが、今のインターネットの解放になりました。私が騒がなかったらこうはならなかったかどうかわかりませんが、そのように言ったことは事実です。
解放されたての時期には、変なものがいろいろ出て来るだろうと思っていましたが、やはりそうでした。インターネットはちゃんと使わないと意味がありません。それも今みたいな遊び半分のおもちゃのような使い方ではなくて、もっと真剣に世の中の役に立てるように使っていかなければいけない。未来ではそのことに目覚める時期が来ます。今は子どもにおもちゃを与えているようなものですが、そのうちに飽きが来て変わることになっています。
このブラジルでの地球環境についての話は、それから1年後の1997年にCOP3という形で京都に戻ってきて、今に続いています。そのとき私は、二酸化炭素の排出量を軽減できない企業にペナルティーを科し、改善するまで企業に努力してもらおう。科されたペナルティーは、たとえば植物を植えたりすることに使おうと提案しました。
ところがそれが、緑に戻すということでカーボン・オフセットという形の投資グループになってしまった。投資にしてしまうと、CO₂を抑制できなくてもカネで解決できるので、企業が努力しなくなる。目的はそうではなかったのに、私の想定とは全く違う話になってしまった。その辺まで来ると私も参加できなくなりました。
ですが、そういう場を与えてもらったことで、私が臨死体験をして地球の未来を見て来たことは必然だったと気づきました。私はそこで見て来たものを、提案して出さなければならないと思った。だから今でも提案しています。
これがあの世飛行士の真骨頂!
『臨死体験3回で見た<<2つの未来>>』 木内鶴彦著 ヒカルランド
↧
・人のためになると思うことを実行し、表現しよう
↧