2015年8月28日
目の前に見る光景は、同時に存在する一瞬一瞬の無数ホログラフィを時間軸で見ている世界だと言うことが宇宙物理の世界で証明されてきました。これを人類の存在の意義に照らして表現すると"迷い”であり"幻想“ともいいます。一瞬一瞬の無限のホログラフィが予定してきた経験のために、突然変化が起こり同時に無限のタイムラインを一瞬にして選択し、因果律からくるめまぐるしい脅迫観念が心の分散をさらに醸成します。
迷いや幻想は一時的な逃避行動では何も解決しないばかりか、逃避した空洞意識に瞬時に陰のエネルギーが充満します。人間の意識が天に反映され、人類にどれほど大きな影響を与えてきたか、常日頃の何気ない思いやしぐさがこの大宇宙にどう轟き渡ったのか、まのあたりにしている災害や戦争、人類の悲惨な歴史の現実が私たちに即下の課題を突きつけています。
このようなめまぐるしいエネルギーの移動や変化の行き着くところは、執着心が生む限界、心を破壊しようとする狂信、人類の消滅と言うホログラフィです。何十万年もあるいは何億年も繰り返してきたこの宇宙の歴史(地球の歴史は宇宙の歴史と重なる)、シリウス・プレアデス・アヌンナキと言う宇宙の高度の科学をして人類種と交配し、実験しゲームしてきた彼らの目的はその使命はどのようなものだったのでしょうか。
今、宇宙における地球表面の人類の真実が明かされようとしています。イベントがあり宇宙の同胞と人類がハグし肩をたたき合う時期は間もないことですが、私たちも彼らもそのようなショーイベントに参加することが終着点ではなく、人類の転生や宇宙の生命の営みに関し重要な分岐点に至ったこと、今までの事を整理整頓して、新しいスタート台に立つことを確認するに過ぎません。
もうすでに始まっているのは、カンボジア、インドネシア、ナイジェリアなどの虐殺についての戦後処理などの問題です。加害者は、名分を信じ国や家族のために行為に及びました。心がとがめないはずがありません。しかし殺なければ殺られる。巧みな恐怖の操作によってこの人智を超えた行為に拍車がかかります。家族を殺されたもの、殺したもの、誰もがまさか因果の清算が行われているとは現実には思えません。
争いが終わって、何十万・何百万と言う人々の憎悪の後始末は、今まで行われてきた戦争犯罪人に対する勝者の裁きは通用しません。加害者も被害者も歴史的支配者階級の利権争いのために利用された犠牲者に過ぎないと言うことが明白だからです。UNなど国際機関の判断もそれ以上でもなくそれ以下でもなく人類の歴然とした歩みなのです。
物質世界は、もともと何も無いところから生じました。はじめは光(実際は光の概念を超えた一点)の一点から始まります。もう多くの方が知っているようにその一点は音から生じます。“ああ、おなかがすいた”と言った“あ”の瞬間に、食べ物、そしてそれが出来る過程、そこに至るまでの背景、すべての無限のホログラフィがその一瞬に生じます。勿論その一瞬一瞬に無限のタイムラインが発生します。もしかして“原罪”と言う概念は、物が生じた瞬間自体で、この状態がテストコースのように見える幻想を言うのかもしれません。
そして私たちは実は“おなかがすいた”と言う目的と違う真実の目的のため何千回も輪廻して今日まで来ました。(同じ人類でも輪廻の回数が少ない生命もあります)その目的は“真理”すなわち“道”を得ることでした。日本史で学んだのは太古から縄文時代・弥生時代・・・と言う人類史のほんの一部でした。シリウス・プレアデス・アヌンナキと言う宇宙の高度の科学を携えた先駆者は、本来の使命と物質文明の崩壊をもたらした科学的宿命によって“真理”を求めながら今日までその役割を果たし続けてきました。
シリウス・プレアデス・アヌンナキは私たちであり、時には皇帝として時には修道者として天命に従いながら、この崇高で精巧な聖霊世界を伝え導いてきました。古代からプロピンデンスの目、十字架、鍵十字…多くの形象として遺し伝えられてきた“真理”の形象が物質文明の略奪・搾取の時代になってその威力を恐れた忌わしいものたちによって封印されていましたが、この金融経済の崩壊と共に時を知らせるがごとく公開が始まっています。
長かった人類の歴史、今世においても思いがけない艱難辛苦に見舞われ人々は忘れていた大切なものを求め始めています。迷いを払拭し、幻想を生かす、すべてが一つ、すべてが帰着するもの、始まりであり終わりであるもの、あなた方の存在のように一人であるもの、すべてであるもの、一なるもの、シンプルなもの、すべてを明らかにし、新たな時代の軌道になるものです。
Deshi A
Blog: 道 より転載