2012年8月18日
人間の情勢の責任者達が、その「神」の創造(物)から、生命を育む能力を完全に干上がらせるとき、私達は全員、一つの新しい夢に入って行きます。それは一つの物質的な夢のことではなくて、「次の世界(進化)」のことです。
「次の世界」とは、はて?
そう、「支配 対 気遣い」のドラマが終わりに近づきつつある今、「私は、私である者」が、新しくて異なる精進の挑戦を産み出すところの世界です。
夢想家達はもはや、彼らの生命/人生を長らえることが出来ません。
この夢が勝手に劇的に溶解するに際して、大白色同胞団(the Great White Brotherhood )のマスター達は、なんらかのことをするでしょうか?
はい、私達は、私達の要求を受け入れることが出来る全員に対して、住まいを出て、アセンションすることを求めるでしょう。
私はこのブログ上で、アセンションを一つのゴールとして言及したことはありません、何故ならば私達は、それがゴールであるとは考えないからです。
それは、「精進」が次のレベルだからです、新しい夢、あるいはこの夢の継続、ではありません。あなたがどんな夢でも現実であると考える限り、あなたはまだマスターにあらず、一つの夢の後にまた別の夢を見る、ただの夢想家です。マスターというのは、夢想家ではありませんー 何が本当で何が違うかを彼らは知っているからです。
ゆっくりとしかし確実に、天国への扉は開いて来ています。自らの覚醒を完了し、もはや夢想していない人々は、幸せ一杯のままにこの夢を去ります。神の恵みが彼らを第五次元、あるいはもっと高い次元に導きます。大量アセンションのまた別の集合的な試みはないでしょう、しかし、いまだドラマと同一視される(いまだアセンションを受け入れることが出来ない)者達にとっては、アセンションしている人々が姿を消すように思われるでしょう。
私の親愛なる者達よ、あなた方の世界は、より困難になるでしょう。
今日の滓(dross/不純物)に、その状態を完全に逆にするべく十分な気遣いを加えることは、誰にも出来ません。「一つ」の意識が、この滓を造りました;それは、お互いに対峙するように見える支配者達と光の存在達、ではありませんでした。「私は、私である者」は、あなた方の愛する能力が随意に強さを得るために、その全体の脚本を書きました。滓が現れたときにはそれを愛で突破するかそうしないかを決定する、一つの選択がありました。支配に流される多くの行為の中において、滓から立ち去る選択は利用可能でした、しかし、あべこべに滓が選択されました。共同貪欲が全てのドラマの支配者になり、夢想家達の選択を構うどころではなくなりました。
現在、また別の選択が為され得るでしょうか?支配にある者達によっては望むべくもありません、彼らは気にかけません ー 唯一、気遣いをして、選択するべく変わらず自分のものであった「一択」として、「神」を受け入れることが出来る人々によってだけ、それは為され得ます。
この選択は、アセンションの呼び出しを変えるために何かをすることは可能でしょうか?
はい、呼ばれる全員が、自らの「精進」を宣言する行動で答えることが出来ます。
支配者達が世界を破壊したように見えるかも知れません、しかし実は、大きな絵における彼らの役割は、常に、より多くのマスター達をアセンションに導くことでした。あなたは、マスターしょうか?心もとないのであれば、あなたのアセンション資格(能力)を完成するべく、覚醒した教師のもとへ「今」駆けつけてください。滓が濃過ぎて突破できない場合、次はアセンションしかあり得ません。準備はいいですか。「神」の選択、及び「神」として活動する全員の選択の帰結として、これは起こらなければなりません。
私は私である者
高次元マスター セイント・ジャーメイン(サン・ジェルマン)
アルーナによるチャネリング
http://comptedesaintgermainsblog.blogspot.jp/2013/08/ascension-will-occur.html
翻訳 ソウルカメラ