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人間には制限された自由のみ~たかぼんさんから寄せられたコメント

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・コメントが届いた記事
・人類は長い時間をかけて「断罪」という価値感を教えられてきた

・コメントが届いた記事のURL
http://blog.goo.ne.jp/adachi4176/e/d39087377979b72b775fd9aba570a7ed

・コメントを書いた人
たかぼん

・タイトル
人間には制限された自由のみ

・コメント
前回同様にラムサの記事で「至高の神は法を作らなかった」、「神は善でも悪でもなく完璧ですらない」は、間違いです。日月神示で言う「大神(創造主)と神々と人間」の関係を混同している結果でしょう。
それと、基本的に人間(=善と悪の心が同居)は、霊的レベルに応じた「制限された自由」しか持ち得ないのです。
存在は、「大神の自由>神々の自由>人間の自由」の筈が、「大神の自由=人間の自由」と語る誤りです。
善の心が悪の心を征服する(=悪の傾向を善に改心・服従させる)事で、人間の自由の範囲が拡大します。
(ラムサは「人間は修行中の神」を、「人間は宇宙創造の神と同等」と考える間違いもしています)

例によって、この記事の内容で、問題だと思われる部分についての私自身の考えを述べます。

>至高なる創造主が持っているただ一つの目的とも言うべきものは、あらゆるものの源である神を表現できる様に、(1)"ただ在る"という事です。もし(2)何か計画があったとしたら、それはあなたの内面にある(3)神を表現する自由を奪ってしまうでしょう。・・・・・・→×(下記の→(1),(2),(3)を参照)
→(1)神自身についての"ただ在る"存在とは、神智学やスピ系情報では、神が創造した第1存在~第3存在のうち、「第1存在」(=親神の元に留まった全智全能の子神で行為なき傍観者)であると思われますが、
私達の心の中にいる魂は、第1存在ではなく、「第2存在」(=親神の元を離れ進化する生命の魂=第1存在に忘却のベールが掛けられた)であり、
「第3存在」とは、霊的世界や物質宇宙を造る質料(=材料)です。
スピ系情報では、「第1存在」をBeing(=存在するもの)、「第2存在」をDoing(=進化する魂)と呼ぶ様です。
「第1存在」はモナド界(=神智学で言う8次元)未満には下降せず、個霊化した「第2存在」(物質界迄下降)を霊導します。
「第2存在」はエレメンタル(次元降下)→鉱物→植物→動物(群魂→個霊化)→人間(覚醒&次元上昇へ)
(「第2存在」が8次元を達成時、「第2存在」は自らの体験を「第1存在」に刻印し、両者は同格となります)

(ラムサは、「第1存在」と「第2存在」とを取り違えて語っています。また創造主なる神は、第1~第3存在の全てを自分自身の体験(=神の息子の創造、神々と天使達の創造、霊界の創造、物質界の創造、自由意志を持つ人間(=魂)の創造等)から創造した神です。"ただ在る"のでなく"活発に活動する"存在です。

→(2)神の計画は何もない(?)・・・・の様な内容ですが誤りです。「神は無秩序の神ではない」のです。
宇宙の構成や原子の構成、その運動の法則、それを制御する法則を定めたのも「宇宙創造の神」です。
そして、(1)で述べた進化する生命の「魂の進化」の概略の道筋と、「進化の期間」と「進化審判の時」を定めたのも宇宙創造の神自身ですし、人間の魂に与えた「自由意志」を尊重する法則や、自由意志の乱用の時の処置としての「カルマ」と「カルマの法則」を定めたのも宇宙創造の神自身です。

→(3)神から見て人間は制限された自由のみです。真の自由を持つのは「宇宙を創造した神」だけです。
人間が行う「悪自由」は、与えられた制限された自由をさらに制限する事となり、人間が行う「善自由」は、与えられた制限された自由から開放され真の自由へ近づく結果となります。ここで言う善自由、悪自由は、神に近づく行為(真実・調和・利他愛など)を「善自由」、逆に神から遠ざかる行為(虚偽・闘争・利己愛など)の他の存在を害する行為が「悪自由」となります。

・(夏の巻7帖)神も人間も同じであると申してあろう。同じであるが違うと申してあろう。それは大神の中に神を生み、神の中に人間を生んだためぞ。自分の中に、自分新しく生む時は、自分と同じ型のものを生む。
・・・・(中略)人間いくら頑張っても神の外には出られん。神いくら頑張っても大神の外には出られんぞ。
・(白銀の巻5帖)人間に自由はないのであるぞ、真の自由は大神にのみあるものぞ。大神の自由の一部が御喜びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、また神の喜びとなって人間に流れ入るから、人間自身は自由を持っていると信ずるのであるぞ。本質的に自由はないのであるぞ・・・・(中略)人間は(悪自由を)自由と心得ているが、それは自由ではなく、自分自身を首くくるものぞ。善自由こそ真の自由であるぞ。

>(ラムサ)あなたを愛する至高の神は、法など何も作ってはいません。ただ一つを除いては。そのただ一つの法とは、あなたの崇高な意志にしたがって自分の生を表現すべし、というものです。・・・・・→×
→上記(2)を参照。神は無秩序の神ではないので、宇宙を統べる法則(物理的法則、愛の法則、カルマの法則など)を作っています。「カルマの法則」とは、自由意志の乱用を罪を償う事で帳消しとして次元上昇を可能とする為のものです。「制限された自由」しか持たない者には、「宇宙の法は必要」なのです。

>至高なる神に法はありません。・・・・・・→×
→上記(2)を参照。全く善の存在である「至高なる神」は、ご自身が定めた「宇宙を統べる法則を完璧に守ら
れる」為に神自身を裁く宇宙の法は必要ない。つまり「神や善のみの者」に悪は働き掛け得ない為です。

>そして人間はこの自由を用いて、社会に生きていく為に必要と考えられる法律を作り出しました・・・→×
→神は(自由意志を乱用しない神自身には必要ないが)「愛の法則」や「カルマの法則」の概要を、人間に啓示を与え預言者や神の使いを遣して、自由意志の乱用を防止する為の「法律」を作らせました。

>(ラムサ)よく聞きなさい。全てを包含しているこの宇宙から見ると、悪というものはありません。・・・(中略)
人間は神から生まれ出たものであり、その魂は本来神そのもので、人間の存在そのものが神なのです。
・・・・・→(△or×)
→究極的には次元上昇を達成して、神の元に到達した時には、そう言えるのだが・・・・現在の段階では、そうではない。また、人間の心の中には、「神に従う心」と「悪魔に従う心」の両方が同居して存在するが、人間は「神に従う心」が「悪魔に従う心」を改心・服従させ、カルマ解消して次元上昇すべき存在です。
人間の心の中で(善と悪の)戦いがあるのであり、ラムサが言う"悪は存在しない"のではなく、現時点では、他を害する「悪の行為は存在」し、人間の存在も"神そのもの"でなく、「発展途上の神」である。

また、神の判断は「非常に良い」と「(それで)良い」しかない。全てが善の神の判断に「悪はない」のです。
神の「非常に良い」が、人間では「良い」を意味し、神の「(それで)良い」は、人間での「悪い」の意味です。
つまり、神の「非常に良い」は、人間が神に向かい積極的に進化中の状態で、神の「(それで)良い」とは、人間が進化を外れた道や逆進化へ進む状態ですが、それは一時的なので「(それで)良い」なのです。

>神は悪ではありません。ですが神は善でもないのです。・・・・・・(中略)神は悪でないのと同じく善でもない
のです。そして神は完璧ですらなく、創造主は"ただ在る"のです。・・・・・・→×
→上記のラムサの「創造主(神)の説明は重大な間違い」です。"神は善そのもの"の存在です。そうなって
から神は物質宇宙や人類を創造しました。"創造物"には必ず"創造者の意識が流れ込む"からです。
しかし神が人間と天使の一部に与えた「自由意志」を乱用する存在が現れます。大天使ルシファーです。
つまり、大天使ルシファーは自ら転落して「悪魔」となり、物質界とエーテル界、低アストラル界に影響を及ぼしている為で、「悪」は神が創造したのではなく、転落したルシファー(悪魔)及びそれに影響された人類自身が創造したものです。
(創世記1.31では)神が見た神の創造物は"全てが非常に良かった"のです。

(注)ルシファーは、神の「光人類」(=神の魂あり)の創造を見て、「闇人類」(=神の魂なし)を創造します。
現在の人類は「神に従う心と、悪魔に従う心」が同居する存在です。簡単に言うと、神が創造した光人類とルシファーが創造した闇人類の混血(性行為=聖書では「善悪の知識を知る者」となる)が起きたのです。

>(a)もしあなた方の言葉で「邪悪」と呼ぶものがあるとすれば、それは存在の内にある神を表現する自由を奪う事です。・・・・(a)は正しい。(殺人は他の存在の表現を奪う為に「殺人者はカルマを負う」)
>(b)(Q)、例えば誰かが私の子供に危害を加えるなら、それは悪です。そして子供が死んだりしたら、
(ラムサ)、それは悪についてのあなたの判断ですね。ですが、死ぬと言う事がなぜ悪なのですか?
(Q)、ということは、あなたは人を殺すことさえ悪ではないと思うのですね!
(ラムサ)、その通りです。・・・・・→(b)は誤りです。(←殺人を犯してもカルマや悪は無いの考え?)

→(a)では「殺人は悪」、(b)では「殺人は悪ではない」で矛盾した論理です。端的に「殺人」は、自分自身も殺されるカルマを生む事で次元上昇の妨げとなるし、「相手も自分も愛さない行為」です。従って悪です。

(c)>(ラムサ)生命というものは途切れなく続くものです。それはずっとずっと永遠に続いていくものです。もしある瞬間に、一人の存在が他の命を奪う事を選んだならば、その人はその行為が必ず自分の所に跳ね返ってくる事を学ぶことになります。そして強烈な罪悪感と自分に対する審判という恐怖の中に生きる事になります。・・・・・・→○(これは正しい。この内容が「カルマ」と「カルマの法則」そのもの)
(d)>ぜひわかってほしい事は、殺される側は犠牲者ではないという事です。彼はそうした殺意ある相手を、自分の所迄引き寄せる何らかの原因を持っていたのです。こうして暴行を働く必要があった者と、(それを引き寄せた理解のために)暴行される必要のあったものが、その体験をするために同じところに引き寄せられて来たのです。・・・・・・→○(これも正しい。但し大難(=殺害)→小難や無難(=示談や和解)とすべき)

(c,d)→これがカルマの法則である。カルマとは行為または行為の結果として蓄積される「宿命」とされる。カルマは過去(世)での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ自分に必ず帰って来るという、因果応報の法則の事であるが、ラムサは自ら上記の様に言いつつ、別の記事では「カルマは存在しない」と断言している事は支離滅裂で、全く理解不能な認識で、二重人格者の様である。
つまりラムサは、(a),(c),(d)の正しい内容に、自らの虚構の考えの「カルマは存在しない」を加える事で、(b)の「殺人も罪ではない」とする論理に(無理に)結びつけようとしているのだが・・・・これは詭弁です。

神智学大要、第4巻コーザル体・上(P.232-233)「過去世のカルマと善の敵対者」によれば
メンタル階層の無形(アルーパ)亜層で意識を働かしている人のうちには、過去において「魔法使い」であった者もいる。彼らの中には高度の知性が目覚め、それと共に万生一体を知的に認識もしている。彼らは今では自分が間違った道を歩んでいたこと、世界が上昇の弧を昇るのを妨げ抑止する事がいかに無駄であり不可能であるかが解っている。彼らは自分の造ったカルマにまだ繋がれているために間違った側、すなわち、崩壊の側で働かなければならない。しかし、その働きの動機は変わっている。
今や彼らは、自分の霊的生活を妨げる者と戦わなければならない事によって強くなっていかなければならない人々に、その妨害者としての役割を勤めるのである。この真理をマリー・コレリは覚知したようで、彼女はこの点をその著書『悪魔の嘆き』の中で扱っている。

同書に描かれている悪魔は敗北するたびに常に喜ぶのである。悪魔たる彼は努めてしきりに反対する。しかし相手がそれに対抗する程霊的に成長していることがわかると喜ぶのである。(という内容です)
(ラムサの思想は、彼のカルマによって「次元上昇すべき者を試す者」(=妨害者)の役割を果たす存在?)
人間の魂を創造した神は、こうした魂の進化の妨害にも「打ち克って進化する魂」を求めている様です。

Dig : 2回目のコメントをいただいたことで掲載のお許しをいただいたと解釈し感謝いたしております。また、zeraniumさん以外のテーマもご投稿いただければ幸いです。dig@live.jp

 


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