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・自分の資質と釣り合う人々を親に選んで転生する

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Q、 あなたはご自分の前世は700年前だったということですが、その長い歳月の間、どこにおられたのですか?

   ここだよ、このウルグアイだよ! 肉体の中にいなければ、人はただ、どんな仕切りもない存在全体の一部として在るだけだ。全存在が手に入るのだ。私が700年間留まっていなければならなかった理由は・・・。数は少ないが、すぐには転生して次の生涯に入っていかない人々がいる。あまりに邪悪で、あまりに動物的で、あまりに殺人狂的な、たとえばヒトラーのような場合がある。

   彼はまだ転生していない。なぜなら何千年も手に入らないかもしれないような、ある種の「子宮」が彼には必要だからだ。彼は待たなければならない。それと同じく、ある種の進化を遂げた魂の場合にも同じ問題がある。そういう存在も、ある特定の子宮を必要とする。そしてそれが手に入らない限り、その魂は転生することができず、次の生涯をつかめない。

   だが通常、そうしたことはほんの数十秒で起きる。
   意識が目覚めていない眠っている魂なら、自分にふさわしい同じような種類の子宮は簡単に手に入るからだ。しかも世界中には、一日中何百万という人間たちが愛を交わして、転生を望む人々に妊娠を通して子宮に入るための機会を提供している。だから大衆にとっては何の問題もなく、彼らは待つ必要もなく、それはほとんど瞬間的に起こる。つまり一つの肉体の死でそこを離れると、彼らはすぐに、どこかに用意されている最も身近な子宮に入っていく。

   ついでに言えば、たとえばドイツに生まれていれば、その人は何回もの転生をドイツに生まれて来る可能性がある。それはその人の意識が、大衆の一部として留まる限り、何も遠い中国や日本まで行って転生する必要はないという単純な理由による。しかも自分の身近に、自分を受け入れてくれる子宮がいくらでも存在する。

   私が自分の実験で見てきたところでは、何かがその魂の中で成長し始め、それにふさわしい適当な子宮を身近で見つけられなくなったのでない限り、一般的に人々は同じ環境の中にい続ける。だがそのための子宮を見つけられない時、そうした人々は場所を変える。その時は、その人々は別な国や別な人種、別の民族へと移動する。

自分の資質と釣り合う人々を親に選んで転生する

   だがそうではない両極端な場合、たとえばあまりにも呪われているか、あまりにも祝福されている場合、その人は待たなければならない。なぜならそういう人を受け入れられる子宮は、滅多に用意されてはいないからだ。その父親はある遺伝子のもとに特定の資質を備えていなければならず、その母親はある特定の資質を備えていることが必要だ。つまり、親になる人たちの資質が、本人の資質と釣り合いが取れているときにしか、ある種の魂はそこに入っては行けない。

   だから人間は、自分の両親の血と骨と細胞を持ち運んでいるというだけではなく、そこにはより深い何かがある。あなたにはまさに、自分の両親のものである特定の資質があるが、だがあなたはそれを両親から学んだわけではない。つまりあなたはすでにそれを持っていた。だからこそ、そういう両親を選んだのだ。

   肉体がなければ、人はただの存在の一部であるだけだ。
   つまり肉体を離れれば、魂はこの地上の時間と空間を共に越えて行く。だからどこに留まっているかを言い表す方法はない。魂は至福に満ちてその状態にとどまる、あるいは惨めさと苦悶の中にあり、自分がしてきたあらゆる邪悪に行き詰っているならば、魂は非常に惨めな状態の中にある。

   私自身の理解では、こういう状況から天国と地獄という観念が起こった。
   実際には地獄も天国もないが、自分の行き詰まりから子宮を見つけられない魂がいる。そうした魂たちが苦悶と惨めさという闇の中にいるとすれば、それは彼らがこれまで他人にしてきたあらゆる拷問が自分自身に戻って来ているからだ。こうした人々は、徹底的な自己の断罪と自らを罰する自己拷問の中で生きることになる。そしてこれこそが、地獄という観念が生まれた理由だ。それ以外に地獄などはない。だが地獄という言葉にも、象徴的な意味はある。

   その700年間は、私にとって全くの至福だった。
   そして当然、あのような時空を超えた至福の経験をした者は誰でも、自分は天国に住んでいると思うだろうと言うことができる。だが、天国などはない。常に自分の存在がすべてなのだ。人は肉体の中にいるとき、その時、その人は進化するためのチャンスを手にしている。肉体がなければ、人は進化できない。肉体とは一種の学校であり、それは人に進化のためのあらゆる状況を与えてくれる。

   その700年間は至福に満ちたものであったが、自分が前進できなかったことを私は知っている。それは凍結した至福だった。そういう状態では成長の可能性はなく、魂は転生するまで同じ地点に留まることになる。転生することではじめて、新たな成長へ向かうことができる。だから成長するために、肉体が必要なのだ。

   だがその人が成長のあらゆる可能性、全範囲に到達したならば、もうどのような進化も必要なく、最終点に達した。そうなればもう肉体に戻る必要はなく、学校に戻る必要はない。その人はすべてを学んだので永遠の至福とともに、永久に存在の一部としてとどまることができる。

肉体を苦しめ、自分を苦しめると、その反動を引き起こす

   肉体とは大切にされ、慈しまれねばならない。
   なぜなら肉体とは人の成長のための乗り物であり、前進するための足であり、それがなければ動くことができない。宗教が、肉体を何か宗教に反するものとする観念を創作したことに、私が絶えず驚いているのはそのためだ。肉体は、人がそれに望んでいる状態に忠実だ。つまり霊性に反するものにもなれば、霊性を支えるものにもなる。

   あらゆる宗教が肉体を非難してきたという事実は、人類の意識に浸透して人間性を損なってきた。なぜなら無知から肉体を非難してきた人々は、自分をより高い状態へ押し上げてくれる、肉体の持つ可能性を投げ捨ててしまったからだ。それどころか逆に、彼らは肉体と対立し、害を与えるようになった。彼らは肉体に対して破壊的であり、自分自身を運んでくれる自身の乗り物を破壊しているのだ。

   だが光明を達成した魂たちが、再び肉体に転生しないという事実が、無知な聖職者や学者たちに誤った考えを植え付けることになった。それが、肉体が霊的なものでない、霊性に反するものだからという考えである。人間が肉体にいるのは、その人間が光明を得ていないためでそのために肉体と闘い、肉体を苦しめ、肉体から自分を自由にしなければならないという考えである。

他人を苦しめることに喜びを見出す狂った人々

   だがこうした考えによる方法が、彼らを肉体から解放することはない。
   むしろより一層、より以上に肉体に巻き込まれることになる。光明を得た魂が、決して肉体に転生しないのは確かである。だが、肉体に転生しなければ、肉体を滅ぼせば光明を得るという考えは真実ではない。その「破壊する」「苦しめる」という考えそのものが霊性にまったく反するものだ。そしてそのように自分自身を苦しめ、破壊できる人間は、同時に容易に他者を破壊する可能性がある。自分を苦しめる者は、容易に他者を苦しめるのは当然だからだ。

   だからあるいはヒトラーのような人たちは、過去においていわゆる(苦行の)聖者だったのかもしれない。こういう人たちは自分の肉体を余りにも苦しめるために、今度は反動を引き起こすのだ。つまり振り子が、もう一方へ大きく戻る。そして今度は他の人々を苦しめる。そうでもなければ、他人を苦しめる理由など何もないからだ。

   他人を苦しめることで、いったいどんな楽しみが得られるというのか? 
   その背後には何か理由があるに違いない。そういう人たちは、余りにも自分を苦しめて来たので、それが今度は悪循環し始める。自分を苦しめて次に転生すると、今度は他人を苦しめる。そして他人を苦しめたがゆえに、また転生して自分自身を苦しめるのだ。

   「世界」を表わすヒンドゥスタン語は「サンサーラ」だ。
   インドは言語に関しては極めて注意深かった。一つ一つの単語にそれ自身の哲学的背景がある。そしてサンサーラとは、動き続ける車輪を意味する。その車輪から飛び出して抜ける唯一の方法が、”見ていること”だ。だがもしその人が、怒りや嫉妬、愛や憎しみなどのあらゆる状態を自分自身だと思うならば、その人は回り続ける車輪に捕まっている。

   車輪は、一つの極端からもう一方の極端へと動き続ける。
   下にあったものは上になり、上は下になる。その輪廻はただ外に飛び出して抜けない限り、そこに終わりはない。そこから飛び出す唯一の方法が、自分自身に気づくことであり、自分を翻弄する怒りや悲しみ、憎しみや愛、惨めさや喜びに気づくようになることだ。それが、自分を”見ている”ことであり、その時あなたはすでに車輪の外にいるのだ。


          book『神秘家の道』 OSHO著  市民出版社

                         抜粋


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