本来、脳というものは、宇宙にあるすべての波動としての思考を、その「知っている状態」で受け取るようにつくられており、受け取ることを自分に許した波動だけを受け取って活動するようになっている。だがほとんどの人々は、嵐のように押し寄せてくるすばらしい波動という想念の中でも、社会意識という低い波動の想念だけを「知っている状態」として自分に受け入れているに過ぎない。それがあなた方が繰り返し体験している、極めて限られた狭い思考という意識である。
そのようにして社会意識だけに従って生きることで、限定された思考の波動だけで物事を考えていると、あなたの脳の活動は、大脳の上左部と右部、それに脊椎の上に位置する小脳の下部の一部分だけになる。今やあなた方の脳のほとんどは休眠状態にあり、つまり何もしていないのだ!
それは自分の家族や仲間など、あるいは社会や宗教的教えなどの限られた思考に「そぐわない考え」を、あなた自身がそれを理屈で説き伏せてしまい、それを取り除いてしまうからである。つまり言い換えるならば、他の周囲の人間が受け入れてくれる共通の考えだけに思いをめぐらして、それだけを用いて物事を考えるのだ。
地上世界に縛られた「閉ざされた心」
あなた方の言葉の中には、「閉ざされた心」という言葉がある。
それは実に、文字通りそのままの描写である。それは社会意識の境界線を越えた思考へと足を踏み入れるのを拒む時、あなた方の脳のある部分が、高い波動の思考に対して文字通り閉ざされてしまうのである。これは脳下垂体がその口部分を、ほんの少ししか開放しないように設定されているからだ。つまりその意味は、あなた方の脳は、社会意識という低い波動を受け入れる部分だけを活動させているのである。
誰かある天才が、あなたの知らないことを知っているとき、そのただ一つの理由は、彼が心を開き、「もしこうなればどうなるか」というようなとんでもない考えを思い巡らし、人間の限られた思考を飛び越える輝く想念に思いをめぐらしたからである。つまり彼は、そういう思いを抱き、それについて考えることを自分に許したのである。
だがあなたは、そういうものを否定し拒絶した。
よって、あなたがそうした高い知識を受け取ることができないのは、そういう思考を通して考えることを可能にする脳の部分を、まだ起動させていないからなのだ。では、絶えずあなたのオーラにぶつかるように宇宙から押し寄せている、無限の叡智や偉大な想念はどうなってしまったのだろうか? それらはあなたの受信装置が跳ね返し、思考の川へと絶えず戻されている。
閉ざされた心でいるというのは、肉体的五感で体験できる世界観以外に、何か他にも存在しているという可能性に対して自分を閉ざすことである。だが宇宙という創造の領域では何も不可能なことはなく、どんなものであろうと、その概念を持ち、考えることができるならばそれは存在の領域内にある。すべての創造物は、実はそのようにして存在するようになったのだ。
あなたが誰かに対し、何かを「ただの想像に過ぎない」と言うとき、あなたはその人を愚かさと限界ある創造性の中へとプログラミングしている。そしてまさにこのことが、この地上世界にいるすべての子どもたちに起きていることであり、つまりあなたがたのほとんどは想像性を否定することで、本来自からが持つ創造力を投げ捨てているのだ!
はっきり言うが、どのようなことであれ、考える対象となることを許されたものは、すべてが存在する。つまり、自分に考えることを許したものを、あなたは必ず体験することになる。あなたの電磁場がそれをあなたの方へと引き付けてくるからだ。
「閉ざされた心」でいることの最も残酷なところは、それが喜びを知るのを妨げてしまうということだ。それはあなたを、人間の幻影の奴隷のままに留めておく。狭められた心で社会意識に従って生き続け考えている限り、変化を怖れる恐怖のために、未知の次元へ足を踏み出して、さらに偉大な現実の可能性を思い巡らすことは決してないだろう。なぜなら、自分に与えられてきた思考だけで満足している限り、それ以外のものを受け取って体験することはあり得ないからだ。
自分を超える想念・思考を受け入れることで、眠った脳が開花し始める
これまでに教えられ、自分の基準としてきたものよりも、偉大な想念を一つ受け入れるたびに、それはあなたの脳の中の新しい別の部分を目覚めさせ、明確な目的を持って起動させ始める。超意識や無限に広がる思考を体験したいと望むとき、あなたの脳下垂体は華麗な花が咲くように開き始める。それが開けば開くほど、ホルモンの流れが増え、眠ったままの脳の部分がもっと起動し始め、さらに多くの波動の高い思考を受け取ることができるようになる。
天才になるというのは、とても単純なことなのだ。
ただ自分で考えるようになればいいだけなのだ。
脳とは、多くの人々を困惑させてきた偉大なる神秘である。
それを取り出して調べてみても、水である液体以外何も見つけることができない。もし脳が、その能力いっぱいまで使われるなら、肉体を一瞬のうちに光に変えてしまうことができて、しかもその肉体は永遠に生きるということをあなたは知っているだろうか? もしも失われている手足があれば、あなたの脳はそれを再生する力を持ち、肉体を一瞬のうちに癒すことができて、あるいは自分の望むいかなる形態にでも物理的に姿を変えることができるのだ。
これほどに脳全体が持つ能力は膨大なものなのだ。
しかしあなたは自分の限られた思考のせいで、そのわずか3分の1しか使ってはいない。残りはいったい何のためにあるのだろうか?
肉体は、脳とあなたの思考全体にしたがって維持されている。
なぜならあなたが自分の脳に入ることを許すすべての思考想念は、肉体の全細胞に電気を送り、それを養っているからだ。だがあなた方は物心がつく子どものころから、さらに社会意識で思考するようになると、大人にならなければ、老衰していかなければ、そして死なねばならないというプログラミングを自分に容認してきてしまった。つまりその想念という、あなたが生きる社会が与える情報を認めて受け入れたために、あなたの体内に備わる生命力に指示が与えられ、劣化が始まったのだ。
その結果、「歳をとっていく」という想念は、遅い波動と低い波動からなる電気信号を、身体全体のすべての細胞組織へ送る。波動の速度が落ちるほど、身体の敏捷さは失われ、身体の再生や、自己を修復する力も弱くなる。こうして老衰するというプロセスが社会全体の常識として許容され、最終的に肉体的死が起きる。
だがもし自分に、高い波動の想念を受け入れ続けることを許すならば、あなたはもっと速い回転と強力な電流を全身の細胞に送るので、肉体は常にその瞬間に留まることになり、その結果、あなたは老衰したり死ぬこともなくなるのだ。しかしここにいる誰もが、肉体は歳を取って老衰し、死んでいくと”知っており(信じている)”。ゆえに(信じたとおりに)、肉体を流れる電流は、歳を取りながらゆっくりと、その量が減り続けていくことになる。
現在のところ、まだ活動していない脳の3分の2の部分は、単に「知る」ということを通じて、肉体のどんな部分であれ、損傷した部分を再生する力を持っている。自分の体は自己治癒ができるのだと知った瞬間、その想念という思考は中枢神経系を通じてもっと強い電流を損傷部分に送り、各細胞のDNAに自己の複製をつくることで細胞を完璧に再生させるのだ。それも、”完璧に”、だ! これを奇跡だと思うだろうか? これこそがまさに、あなたの肉体のあるべき姿であり、本来あるべき実際の姿なのだ!
肉体の治癒は、医者やその薬によってだけとあなた方は信じている。
それが効くと誰もが信じているから、ある程度は効く。またあなた方は、自分の身体は自分では治すことができず、他人によってでしか治せないと教えられ、それを信じてきたので、あなたは自分を癒すことはできない。なぜなら自分が、「それを(事実だと)知っている状態」にまで信じこんだからだ。
宇宙から絶えず降り注いでいる高い波動の想念・思考
あなたが存在するいまというあらゆる瞬間、そして眠っていても目覚めていても、意識があるないにかかわらず、あなたは常に絶え間なく、宇宙を包む神の心から想念を受け取り続けている。あなたを一つの存在とし、あなた自身が許すそうした波動こそが、人生における最高の贈り物であり、唯一の現実ともいうべき”感情を得られる体験”となる。
もし自分は不幸だ、退屈だ、あるいは常に不機嫌で何かを恐れ、自分の内にあらゆる反感や怒り、嫉妬や焦り、憎しみを感じ、落ち込み、愛されていない、誰からも求められていない、と感じている人がいるならば、そういう人に私は聞きたい。あなたはいったい、自分にどのような波動の思考と同調することを許しているのか? それはあなたが属する社会がもたらす社会意識なのだ。どこに喜びが? どこに愛や永遠や神があるというのか? とあなたは訊ねるかもしれない。だがそうしたすべては、ただ自らの内なる想念を変えることができるならば、すぐそこにあるのだ。
大いなる宇宙から、絶えず一瞬一瞬、あなたに向けて降り注ぎ、あなたの精神を通過しているこうしたすばらしい想念を、なぜあなたは受け取らず、知らずにいるのだろうか? それはあなたが求めず、知りたいとも思わなかったからだ。あなたは社会意識をすべてとし、その庇護のもとに生きることを選んだ。つまり周りに合わせて人と同じように生きることを選び、あらゆる行動も、まとう衣服も、考えることすべてを大衆と同じにすることを選択した。周りに合わせることで受け入れられ、生き延びられることを選んだのだ。
そしてあなたが「知りたい」と思わなかった理由は、自分が創造主から生まれた子どもであり、神であり、永遠であり、すべてを知る者であるという思考を持つことが、自分の家族や友人、自分の属する宗教や国家の意に反することを知っており、それを怖れたからだ。それであなたは、自分の本来持つ力を手放してしまった。自分の存在という尊厳をあきらめてしまった。そして本来、自分は誰であり、何であるかも忘れ去ってしまい、脳の本来の働きを止めてしまった。それを再び開け放つことが、私がここにいる理由である。
あなた方の生きている時代とは、社会意識と本来の「知っている状態」との対立であり、戦争である。それは外側に起きる戦闘ではなく、内なる戦いなのだ。本来の神なる者になるというのは、この「知っている状態」の存在になることだ。だが社会意識に生きる人間のままでいるというのは、それ以上の偉大な知識へ自分を開こうとしない「閉じられた心」の状態に留まることだ。つまり理屈は受け入れるが、生きるということを実践しない者、自らの師であるよりは他人から教わり救ってもらおうとする者、冒険を求める探求者であるよりは常に庇護を求める者であることだ。
『ラムサ―真・聖なる預言』 ラムサ著 角川春樹事務所
抜粋
zeraniumのブログより転載
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・宇宙から絶えず降り注いでいる、高い波動の想念や思考
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