http://www.earthascends.com/page/491217618
Beinsa Douno
1944:70 Year Old Prophecy
Rare Upcoming Opportunity With Incoming Cosmic Waves Of Electricity
ピーター・コン スタンチノフ・デウノフはベインサ・ドウノとしても知られていて、1886年に生まれ、1944年に逝去したが、トランス状態で得た予言を残した。この予言はそれ故に1944年に、彼の死の数日前、1944年の12月に行われた。ベインサ・ドウノが残したこの予言は正に我々が今通過しつつあるこの時代に当てはまるものである。なお、この予言にはラムサが影響を与えたので、ラムサが言っていることと一致している、とのことである。
”予言”
人間の意識は非常に長い間曖昧だった。ヒンドゥー教徒が、”カリ・ユガ”と呼んでいるこの段階は終わろうとしている。今は私たちはカリ・ユガの時代と私たちが入って行こうとしている新時代の狭間にある。
人間の思考、感 情、及び行動にはすでにゆっくりとした改善が行われつつあるが、全てのものは間もなく新時代への備えのために浄化され、聖なる炎にさらされるだろう。こうして人間の意識は、新たな暮らしへの適応に欠くべからざる優れたレベルへと向上して行くだろう。これが、”次元上昇”として理解されていることなのだ。
新たなモラルの導入によってこの世界を変容させるこの炎がやってくるまでには数十年を要するだろう。この大波は宇宙空間から到来し、地球全体を覆うだろう。それに対抗しようとする者は全て退けられ別の場所に移送されるだろう。
この惑星の住民の全てが同じ進化状態にあるわけではないが、新たな波は一人一人に感じ取られるだろう。この変容は地球にのみ生じるのではなく、宇宙全体に同調して生じる。
今人間に出来る最善のそして唯一のことは、間もなく浸透してくる強力な波動と自身が調和するように、神に目を向け、自身の意識を改善し、振動レベルを上昇させることである。
私たちの惑星に与えられる新しい条件に関係する、私が言っている炎によって、物質は精錬され、あなた方のハートは心配、トラブル、不安から開放され、輝き、あらゆることは改善され、向上し、思考、感情、及びネガティブな行動は焼き尽くされ、破壊されるだろう。
あなた方の現在の暮らしは奴隷的であり、厳重な監獄の中にいる状態である。自分の状況を理解しそれから自分を解放しなさい。こう言おう:監獄から出なさい、と!指導の誤りが多いことは実に不幸で、非常に多くの苦悩が見られ、人の真の幸せとは何かを理解できていない者が多い。
あなた方の周囲に見られる事は間もなく崩壊し、消失するだろう。この文明もその倒錯も、跡形もなくなり、全地球は振動し、無視というくびきの下に人間を虐げていたこの過てる文化は消滅するだろう。
地震は機械的な現象であるだけでなく、その目的は人間をその過ちと愚かさから開放し、宇宙の中での唯一の存在ではないことが理解出来るように、知性とハートの目覚めを促すことにある。
私たちの太陽系は今、星座が破壊されて塵として痕跡が残されている宇宙のある領域を通過しつつある。この汚染空間は地球の住民に対してだけでなく、私たちの銀河の他の全ての住民に対する毒の源である。太陽のみがこの汚染された環境からの影響を受けない。この領域は”13番目のゾーン”、或いは”矛盾のゾーン”と言われている。私たちの惑星は数千年の間この領域に取り囲まれていたが、私たちはついにこの闇の空間からの脱出に近づきつつあり、より進化した者たちが住んでいるよりスピリチュアルな領域に達している。
地球は今次元上昇の動きに従っているが、全てのものは現在の次元上昇の流れに調和しなければならない。この傾向にしたがうことを拒絶する者は将来自分を向上させる良い条件という恩典を失う事になるだろう。このような者たちは進化に取り残され、次の新たな次元上昇の波が来るまで数万年の間待たなければならない。
地球、太陽系、宇宙は全てが愛の波の中で新しい方向に向かう。ほとんどの人達は未だに愛を微少な力と考えているが、実際には全ての力のうちで愛が最大なのだ。お金と権力はまるであなた方の生涯のコースがそれに依存しているかのように尊ばれている。将来は、あらゆる事が愛に従うようになり、あらゆることが愛に仕えるようになるだろう。しかし、人間の意識が目覚めるようになるのは苦悩と困難を通じてなのだ。
バイブルの中に書かれているダニエルの恐ろしい予言は、開かれつつある時代に関するものである。あらゆるものを破壊しつくす洪水、ハリケーン、巨大な山火事、及び地震が起きるだろう。大量の血が流れるだろう。革命が起き、地球の多くの地点で恐ろしい爆発が起きるだろう。地球のあらゆる箇所に水が来て、水が来るあらゆる場所に地球があるだろう。神は愛であるが、私たちはここで懲罰を扱っていて、闇の間に母なる地球に対して人間が行った犯罪に対して行われる自然の報いなのである。
このような苦悩の後に救済されるエリートたちは黄金時代、調和、及び無限の美の到来を知るだろう。従って苦悩と恐怖の時が来ても髪の毛一本たりといえども落ちないと書かれているので、自分の平和と熱情を保ちなさい。落胆せず、ただ個人の完成の為の自分の仕事だけを続けなさい。
あなた方は、自分を待っている壮大な未来について一つも考えられない。新地球は間もなく現れるだろう。数十年のうちに、仕事の厳しさは薄らぎ、一人一人がスピリチュアルで、知的な、芸術的な活動に時間を費やすようになるだろう。男と女の間の関係についての理解は最終的に調和のうちに納まるだろう。男も女も自分の熱望に従う事になるだろ。カップルの間の関係は反復する尊敬と尊重に基づくものになるだろう。人間は種々の惑星に旅行し、銀河間の空間を難なく通り抜けて行くだろう。人間は自分たちの機能について学び、急速に神の世界を知ることが出来るようになるだろう。
新時代は6番目の種族からなる。あなた方の運命は自分でそれに備え、それを迎え、それとして暮らすことだ。6番目の種族は同胞愛というアイディアを中心として暮らすだろう。個人的な関心事に関する争いは無くなるだろう。各人の唯一の熱望は愛の法に従うことだ。6番目の種族は愛の種族だろう。新しい大陸がそのために形成されるだろう。それは太平洋に浮上し、ほとんどの高位の者たちはこの惑星の上に自分の場所を見付けられるだろう。
この新しい文明の創始者は、私が”人間の兄弟たち”、あるいは”愛の子供達”と呼んでいる人達だ。この人達は善のためにぶれることがなく、新しいタイプの人間を代表している。男性は大グループである家族を形成し、家族のそれぞれはこのグループの内蔵を代表している。この新しい種族の中では、今日の人間には正にぼんやりとしたアイディアでしかあり得ない愛が、完全な形で具現化されている。
地球は闘争好きな土地のままでいるだろうが、闇の勢力は撤退し、地球は彼等から解放されるだろう。他に道は無いと見ている人間は救済の道である、新たな暮らしの道へ向かうだろう。意味の無い自尊心を持ったままで或る者は終いまで、天の指令ではうとんじられている暮らしを地球上で続ける希望を絶やさないだろうが、世界の方向が自分達に向いてはいないとの理解によって、一人又一人と希望を失って行くだろう。
新しい文化では日の光を見て、三つの主要な基礎の上に存立する。それは婦人の向上、謙遜の態度の普及、人間の権利の保護である。光、善、及び正義が勝利するが、それは時間の問題である。宗教は浄化されなければならない。それそれの宗教には光のマスターの教えの一端が含まれているが、人間による偏向によって曖昧になって行く絶え間がなかった。全ての信仰は統合され、どのようなものであれ、愛が全ての信仰の基礎に置く一つの原則と一致されなければならない。共通の基礎は無条件の愛と友愛である!地球は間もなく急速な異常な程の宇宙の電波に覆われるだろう。今から数十年後には、悪であり、他者を間違った方向に導いた者たちは自分たちの強さを保てなくなるだろう。彼等はこうして悪を焼き尽くす宇宙の炎に吸収されるだろう。それぞれの肉体は神を称えると書かれているので、その後、彼等は後悔するだろう。
私たちの母なる地球は新生活を受け入れない者たちを排除するだろう。地球は彼等を腐った果物のように拒絶するだろう。彼等の内で愛に目覚めている者だけが残るだろう。
人間や動物の血に汚されていない地球上の場所は一つとしてない。地球はそれ故に浄化の波にさらされなければならない。ある大陸が沈み、別のものが隆起してくるのはこの理由からである。人間は如何なる危険に曝されるか考えてもみない。人間は役に立たない目的を追い続け、楽しみを追い求める。反対に第6の種族は自分達の役割の神聖さを意識し、お互いの自由を尊重する。彼等は野菜からのみの製品を自分達の食料とする。彼等のアイディアは自分たちの時代の空気と光としてパワーを自由に循環させなければならないということである。
数々の苦難の後に、人間は罪を感じることを止め、再び徳の道を見出すだろう。私たちの惑星の天候はあらゆるところで和らぎ、荒々しい変動は生じなくなる。空気は再び純粋になり、水についても同じである。寄生体はいなくなるだろう。人間は以前の転生のことを思い出し、以前の条件からついに解放されることに気が付いて喜びを感じるだろう。
人間が神の愛に仕えて行動するように、進化した者たちは同じように、寄生体やワインの樹木の枯れ葉を除去する。彼等は人々が成長し発達出来るように自分自身と耳を傾けたいと思う者たちに対して良い条件を整え、”恐れるな!まだ少し時間があり、全ては旨く行っている、あなた方の道は整備されている、”と言う。新しい文化の中での学習に入りたい者が意識して作業をし、準備ができるように!
友愛というアイディアのおかげで、地球は祝福の地になるが、それは待たずにそうなる。しかしそれ以前には、大いなる苦悩が意識の目覚めのために送られるだろう。数千年の間蓄積された罪は解消されなければならない。高位の場所から浸透してくるめるような波動が人々のカルマの解消に貢献するだろう。解放はもはや延期され得ない。人間は逃れることが出来ない、エゴに終止符を打つ大いなる試練に備えねばならない。
地球の地面の下では、ある異常な事の準備が進められている。大きく、考えもつかない革命が自然の中で間もなく姿を現すだろう。神は地球の衣装換えの決定を下したので、それを実行するだろう。それは一つの時代の終わりであり、地球上には、古いものに取って代わって愛が支配する新たな秩序がもたらされるだろう。
翻訳Taki
サハラ砂漠にぽっかり開いた巨大な地球の眼「リシャット構造」はシャンバラ入口か?
サハラ砂漠には
古来から「シャンバラ」という世界があり
サナートクマラによって管轄されていると言われている。
このサークルは
もしかしたら、「シャンバラ」につながっているのではないだろうか?
ちなみに
「シャンバラ」はインナーアースにあり
この世の天国といわれて久しい。
転記
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51987678.html
アフリカ北西部、中央モーリタニアのサハラ砂漠西端には、地球の眼とも言えるべき直径は約50キロメートルに及ぶ巨大なサークルが存在するという。これは「リシャット構造」と呼ばれるものだそうで、宇宙空間からでしか、その全貌を見ることはできない。
発見当初は、隕石の衝突によるクレーターと思われていたが、調査の結果、特有の鉱物が存在しないこと、直径に比べて深さが浅いことなどから貫入岩(既存の岩石または地層にマグマが貫入してできた火成岩)によって形成されたドーム構造であるのではと言われているんだそうだ。
ソース:
Kuriositas: The Richat Structure – Earth’s Bull's-Eye
構造内部は、同心円上に標高100メートルほどの山が幾重にも重なっている。この山を形成するのはカンブリア紀の固い貫入岩であり、長年の風化や浸食によって、柔らかい岩石部分が削られ、このような地形が形成されたとされる。環状となったのはドーム状の隆起運動のためと考えられているんだ。
スピリチュアル・トータルコンサルティング TRiNiTY-iN 公式ブログ より転載
コメント 和光同塵ってどういう意味? 2015-07-26 20:18:33 | 道・真理・ Deshi A 2015年7月26日「和光同塵」という四字熟語、中学の国語で習った記憶がありませんか?
成人してからも、採用試験のSPIの問題に出てきたりする言葉ですので、
「あ~、見たことある」という方も多いのではないでしょうか。
「和光同塵」とは、簡単に言うと、「実力を隠して周りと調和すること」。
優れた才能や知恵がありながら、それをことさらアピールすることなく、
あえて“徳”を隠して俗世間と交わることです。
「俺ってスゲーだろ」的なアピールをする嫌味な人とは対照的な人物であり、
そのような人を戒める言葉でもありますよね。
「菩薩がその威光を和らげて、塵にまみれた俗世に仮の姿を現して
人々を苦から救う」という意味で使われることもあります。
実はこの「和光同塵」、老子の言葉だったということをご存知でしょうか?
全てを“塵”と一つにする「挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵」
(全ての鋭いものを鈍くして、もつれたものを解きほぐし、
全ての輝きを抑えてやわらげ、塵と一つになる)
鋭くとんがったものは全て鈍く“円く”し、
煩わしくこんがらがったものは、全て解きほぐして、
いたるところに舞い散る塵と一つになる。
…「和光同塵」の元になった老子のこの言葉を分かりやすく表現すると、
「刺激的なことは穏やかに、
複雑なことは単純にして世間と一つになれ。
才能や徳は、ひけらかすべきものではないし、
ギラギラと光らせるべきではないよ」…ということ。
要するに、
「偉ぶらず、おごり高ぶらず、世間様と一つになりなさいよ」というメッセージですね。
これは、荘子の「愚なるが故に道なり」にも通ずる言葉。
知恵や徳を有しながらも、あえてそれを表に出さずに
控えめに、ひっそりと輝く…そんな生き方もあるということです。
「和光同塵」の考え方は、老子の思想の根幹である
「無為自然」の思想にも通ずるものです。
つまり、どんな出来事があっても、
自分の手柄を鼻にかけるでもなく余計な講釈をたれることもなく
功績にあぐらをかいて偉ぶるでもなく…。
ただ「あるがまま」、自然体で、
世間と交わって生きられる人こそが “賢者”=「聖人」だというのです。
この「和光同塵」「無為自然」の言葉を頭に置いて、
みなさんも身近なところを見回してみてください。
会社やプライベートでお付き合いのある人たちの中にも、
「和光同塵」を地で実現している方、いませんか?
そういう方が、どれだけいるでしょうか?
人間は誰しも、多かれ少なかれ
「自分をよく見せたい」
「他人から尊敬されたい」
「“すごいね”って言われたい」
…という気持ちを持っている生き物。
普通に考えたら「和光同塵」な生き方は結構難しいのではないかと思います。
特に、「目立ってなんぼ」の現代社会では、「自分をどうアピールするか?」、
自己プロデュース力こそ全てといった部分がありますからね。
社会のシステム自体がそうなのですから、
ガツガツした生き方を一概に「悪い」と批判することはできませんし、
そもそも「良い」「悪い」を議論するようなことでもありません。
しかし、老子の思想が今もなお根強い人気を保っているということ、
近年、再び注目され初めているということは、
「俺が」「私が」という自己アピール合戦を繰り広げる現代社会に
疑問を感じる人が増えているということのなによりの証拠ではないでしょうか。
老子のように、「道」の教えを求めて愚に徹する生き方こそ、
これからの時代に“光”を与える新しい生き方なのかもしれません。
心が楽になる老子の言葉 より転載