2013年8月14日
ジョン・スモールマン経由
私達は全員、啓発された存在です;あなた方の一部はそれを忘れました。気にしないでください。。。あなたは目覚めますし、「本当の現実」があなたの気付きを満たし、完全に意識的であるというあなたの本来の状態が開花するのが、最高に素晴らしい実感であなたに分り始めます。あなたの本来の存在の状態は、あたかも休眠中であったかのようで、その時機の間、省エネ・モードで待機中にありました。その能力は、物事をだらだらと続かせることのためだけにあったので、酷く制限されました;それは、何をしなければならないというでもありませんでした。そしてあなた方には、目が覚める為にしなければいけないことというのは、何もありません。
あなた方はただ、多くの生涯にわたってしがみついたものの、もはやあなた方に貢献しない、態度、観念、振る舞いを捨てることを、自分自身に許さなければならないだけです。それは実にとっても単純なことです。しかしながら、あなた方が自身の安全と生き残りに必須なことであると信じた、そうした自分自身の流行遅れの側面に対する握りしめは、数々の年月と生涯にわたって、心なしかあなた方に結合されたもののようです。そうしたことは、ありませんー しかしあなた方は、それら(自分自身の流行遅れの側面)に対する自分の握りしめを緩めて解きほぐすことに、集中する必要はあります、また、きつく握りしめ続けることだけで全ての時間を費やした後では、手放すことは、おそらく、些かの動揺以上のものです。
そうした、あなたがくっついて離れないでいる、もはやあなたに貢献しない側面を教えてくれるよう、あるいはそれに自分の注意をもたらすよう、あなたのガイドに頼んでください、そしてそれらを手放したいと思えるように援助を求めてください。しばしばあなた方は、もしそれらを手放すか捨てるならば、あとには自分が残らない、と感じさせるほど、それらが自分自身の主要部分のようであり得るまでに、長い間それらを保持しました。
人間人生を生きるに際して、あなた方が自分自身として同一視するものは、しばしば、ただの仮面です。自分と同一視するまでに堅く埋め込まれて染み込んだ、自分の観念、自分の偏見、自分の意見を示し表している、ピッタリと密着した仮面です。仮面が、自分という自己認識(自分という神聖な「自己」に対する気付き)を遮ったが故に、ほとんど、仮面が自分であるようです。かくして、もし自分がその仮面を捨てるならば何も残らないように思えるのです。勿論、これは事実ではありません。あなたのトゥルー「セルフ」(真の「自己」)は、騒々しくありません、それは静かで、穏やかで、寛大で、のほほんとして、楽しげです。しかしあなた方は、「すべきだ」や「しなければならない」に流されることに慣れているので、それらを手放す時に経験する平和と静寂が、衝撃的であるほどです;あなたは空虚に見える広大な空間に入ります、そしてあなたの傾向は、すぐにそれを満たすことです!
毎日瞑想するための休みを取る時は、あなたは平和と静寂のその空間に入ることを自分自身に許しています。時々それはあなたにとって、非常に鼓舞され希望を与えるものですが、大抵は、自分の中を流れている果てしない思考の連鎖を意識しがちです、あなたはあまり成功することなく、それを消散させようとしたり、無視しようと試みます。毎日その空間での時間を過ごしてください、適切か十分だとして自分自身で同意した設定時間ー 5分、15分、30分、ちょうど一時間 ー というのは、それ自体、あなたがその空間に入るのを妨げる大きな遮断であり得ます。
毎日、朝起きてその日のことを計画している時、次のことに自分自身で同意することを一番に決定することが、より役に立つと分るかもしれません、それは、過剰なストレスが積み重なるときにはいつでも、あるいは、遅れている顧客を、バスか電車を、または信号が変わるのを待っているときにはいつでもー 満たされることが「是が非でも!」必要な、または肉体的か精神的な活動で満たされない、どんな瞬間でも ー 小休止をとり、それを自分の瞑想の実行のためにちょっと使う、ということです。一定時間に「すべきだ」(瞑想を一定時間の間することに対する責任)を取り除くことが、非常に開放的であり得ます。そして、あなたが開放(自由さ)を感じているとき、奇跡が体験され得ます。
人生(生命)の目的は、喜びです。しかし、あなた方のほとんどは、不安と責任にうちひしがれているので、自分の人生に喜びを見出すという考えが馬鹿げたことのように見えます。馬鹿げていることは、自分自身がそうも流されるのをあなたは許してしまう、ということです。そうです、あなた方は、自分自身が流されることを許してしまいます、流されることは、自分で進んで受け入れるのを選択する一つのマインドの状態であり、そしてあなたはそれを変えることが出来るのですから、すぐに、そちらの方を選択すべきです。しかしあなた方の多くにとっては、流されることが普通になってしまいました、あまりに普通のことなので、流されないでいるということを想像も出来ません。
ことは為される必要がある;というのが、あなた方の人間人生経験の一部ですが、あなた方は、そうした物事、状況、または人々が、あなた自身で流されるようにあなたを操るのを、許す必要はありません。何がしばしば起こるかというと、一つの状況にあって、あなたのマインドはさまよいますー 「パンを買わなきゃ。。。洗濯しなきゃ。。。あ、あの約束に遅れちゃう」 ー そして急に我に返るのですが、それでは、あなたは何か大切なことを、自分が聞いてもいない質問をされて逃したようであるか、あるいは、貴重だが酷く制限された自分の時間を、もう少し浪費してしまったようです。あなたのマインドは空回りし始め、一つの圧倒する状態があなたを包みます。これが気安く感じますか?そして非常にしばしば、それに関しては自分は完全にお手上げだ、とあなたは思います。
あなた方のうちで、毎日の「すること」リストがある人はどれくらいいますか? 自分が決して完遂に成功しないリストでは?そのこと自体が、何かとても大切なことをあなたに告げています。おそらく、あなたはしばしば、その項目の半分かそれ以上を、始める以前かその日が進むに連れて削除します、そして、あなたがそれらを全部は出来ないことが、明白になります。どうせなら憂さ晴らしに、リストを持たないことを選択してください、最初はそれが、不安、ストレス・レベルの増加、ズルして怠け惚けている感覚、などを引き起こすかも知れません、しかし、あなたがリストなしでやる許可を自分自身に与えたとき、あなたは解放感を得ます。一旦あなたが、自由を感じることに対する罪悪感を乗り越えてしまえば(ほんの一瞬で出来る筈です)、喜びが殺到して来ます。それは続かないかも知れませんが、それはあなたに、喜びが可能であることを示します。
その実現の真実が腑に落ちるとき、あなた方は、本物の自分、愛されたがっていて優しくなりたがっている自分、そしてそれこそがその真の状態であると知っている自分に、自分自身がはるかにもっと多く喜んで耳を傾ける気があるのに、気が付きます。あなた方は、自分自身が、自分自身によって、状況によって、または他の人々によって流されるのを許さないことを、故意に選択します、そして、より多くの、今この瞬間の平和と軽やかさの感覚が、あなた方を包みます。そうしてあなた方は、「本当の現実」にいつでも目覚めることが出来る状態になり、それが起こる前の短い待ち時間は、試練ではなく喜びになります。
とてもとてもたくさんの愛を込めて、サウル
http://johnsmallman.wordpress.com/2013/08/14/how-many-of-you-have-daily-to-do-lists/
翻訳 ソウルカメラ