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生まれ変わるのは確かに真実です。
ではなぜここに戻って来るのでしょうか? それは”戻って来たい”からです。あなたは自分をここに戻るようにさせる何らかの命令を、つまり追い出されて肉体をまとい、産道を通る苦労や周りの人々 の自我に完全に依存するという苦労を、ただ繰り返すように強制させられたと思っているのですか?
そこには決して、あなたを送り出した宣告などありませんでした。
なぜなら、あなたの意志に反することをさせられる人は誰1人いないからです。ここに戻ろうと決心したのは、あなたです。あなたが再び、この次元で自分を表現したいと望んだのです。
ですからもしあなたが、今のみじめな状況を誰かのせいにしようとするならば、自分の目でしっかりと見据えなければなりません。なぜなら自分の喜びも悲 しみも、自分の存在も、あるいは素晴らしき人生も、すべてはあなたに自身にその責任があるからです。本当にすべての人々が、実際、もうこの事実を知るべき 時期にきています。
この地上界に生まれ変わることを強いられる人は誰もいません。
ただ、気の遠くなるほど長い間、こ の地上に繰り返しやって来て生きていると、人間はこの在り方が存在のすべてだと思い初めてしまうのです。つまり肉体の死で身体を失って感情的な執着から離 れ、いろいろ持っていたものを失ってしまうと、たちまち大急ぎでまたここに戻りたくなるのです。そしてここが一つの天国だと思うようになると、その人に とっては実際にそうなるのです。
自分に必要な体験を通して学ぶために人は生まれて来る
あなたがここにいるただ一つの理由は、あなたが「ここにいたい」からなのです。
それはあなたの存在の中に、ここで満たされるべき何かがあるからです。その何かとは、喜びや悲しみ、憐れみや怒り、あるいは痛みや苦悩などで、自分が この幻影の次元で体験したいと思うものを何でも表現する必要性のことです。それを好きなだけ体験するためなのです。それに飽きてつまらなくなったら、今度 は自分の見方を変えて、また別の感情を体験します。事実はそれほど単純です。
あなたは今、なぜ自分が今のような自分なのかがわかりますか?
それはほかの役割はもうほとんど体験してきており、今回は今の体験をすることにしているからです。
なぜ今回は飢えた子どもではなく、今のように裕福な人間に生まれてきたのでしょうか? それはあなたがかつて、裕福な人間になりたがっていた”飢えた 子ども”だったことがあるからです。だからいまはそうなっているのです。なぜあなたは今、家族を養うためにパンを焼くパン職人ではないのでしょうか? そ れはかつてあなたが、パンを焼いて家族を養っていたパン職人だったことがあるからです。そして今度はパンを買うほうの立場になっているのです。
この次元世界の素晴らしいところは、それが途切れなく続き、変えることもできるし、何でも自分の好きな役になれるところです。そのようにして生命にお いて進化しながら、自分にとってもっとも重要な学びを与えてくれる、幻影を提供してくれる舞台の局面へとあなたは進んでいきます。その舞台では、王にも乞 食にも、愛する者にも愛される者にも、奴隷にも自由な人間にもなれる自由があなたにはあります。そこでは、自分の魂を満たすために、必要な叡智を提供して くれる幻影なら何でも可能なのです。
あなたがまだしていない体験はたくさんあります。
そしてあなたが、まだこれから 体現していかなくてはならない叡智はたくさんあります。その中でもっとも大切なものは、ただ生きるという、単純な理由のために生きることです。生きること だけのために生きるのは、生について得られる叡智の中で最も偉大なものです。それが平和を知り、喜びを知るときなのです。そしてこれが、あなたが全身全霊 で”神として存在する”ときなのです。
自分の持つ観念、信念が、自分を限定し、決めている
生についての叡智は、まだあなたがこれから体験すべきものです。
それはあなたが脅(おど)され、怯(おび)えさせられることを許してしまい、人を支える役割や労苦を耐える役割、競争する役割、理想主義的な役割、苦 しむ役割、神経症的な役割へと自分を追い込んでしまったからです。それを自分の運命と受け入れて許してきたので、そのとおりになったのです。でももしあな たが、他の生という部分を見に行くことを自分に許すならば、これらの役割は、あなたが生きる上で持っている選択の、わずかな一部分に過ぎないことがわかる でしょう。
この地上における生は、人類の歴史においていろいろなことがあったにせよ、実際には素晴らしいものなのです。しかし残念 ながら、多くの人々は淀んだ重い集合意識の中に住み、この場所を惨めでひどいところだと思っています。でももし勇気を出して、そうした集合的な観念や脅し などの限界のある人間の意識から離れ、自然の中で自らの内なる神とともに生活するならば、生きることはとても素晴らしく、それは途切れなく続く、美しいも のであることがわかるでしょう。
あなたがここに戻って来た理由は、生きるためです。
しかしあなたはいまだ、自分をこ の次元に拘束するものから切り離していないので、生というものの壮大さを体験してはいません。氷河の上を歩いたり、橋のような形をした岩の下に隠れたり、 冬の窓の外にとまる紅冠鳥をじっと見たり、砂漠を歩き、獲物を求める蛇を見つめたこともありません。巨大なピラミッドの中で1人眠ったり、誰も足を踏み入 れたことのない場所を探検したこともありません。
そのような場所はまだたくさんあります。
大洋を航海し、大きな魚が 飛び跳ねるのを見たこともないし、鹿の後をつけて木漏れ日のさす森に、足を踏み入れた体験もないことでしょう。自分の存在にとってしびれるような、ぞくぞ くする素晴らしいことを、あなたはまだあまりしたことがないのです。そしてそのどれ一つを取ってみても、それに比べたらあなたの仕事や学歴や地位や、車の 車種や年式などどうでもいいことなのです。
これらのことは、あなたがこれからまだ体験していく生という側面です。
しかし実際に体験すると、それはあなたの神経症や恐れ、策略や疑問などを一気に消し去ってしまうことでしょう。そして喜びで爆発してしまいそうに思う瞬間が訪れます。
さて、もしここに戻って来たくないのなら、戻って来てはいけません。
そうしなくてはならない理由など絶対にありません。私は二度と戻らなかったのです。それは風とともに昇華し、自分であるもののすべてを持って行ったか らです。そして私は自由な存在となり、この地上において自分が人生でしたことのすべてを超越しました。自分を許し、自分の生のすべてを受け入れて、本来の 神になるという、いまするべきことへと進んでいきました。私は無知で惨めな野蛮人でしたが、その私にできたのなら、あなたにもできることは火を見るよりも 明らかなことです。
この次元での生を終えるためには、まずそれを生きて愛し、その単純なものの一部となります。次に生の自由を制限 したり、限定したり、あるいは怯えて縮んでしまわせるような観念を、自分の中からなくしていくことです。そして自分自身の自由の中に生きて、自分を愛し、 そして自分を他と比べるのをやめることです。
社会的なイメージに合わせて生きることをやめ、それがどんなものであろうとも、自分自 身の理想と真実のために生きることです。こうして自分という永遠の存在を愛するようになったとき、あなたは自然界の植物や動物、魚たちなど、すべての生命 と一つになります。そしてあなたはこう言います。
「この体験はもう終わりだ。私はここにあるすべての生命を愛した。私は新たな冒険 に進む準備ができた。遠い国々、あるいは新しい叡智へ向かい、これまでとはまったく違う存在の形になることができる」と。あなたがこのように言うことがで きるとき、あなたはこの次元を喜びとともに去ることができるのです。私はそうやってここを去りました。
『ラムサ――真・聖なる預言』 ラムサ著 角川春樹事務所 抜粋