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エル・モヤ・・・2015年5月17日 覚醒と鍛錬

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http://lichtweltverlag.blogspot.jp/

16 Mai 2015

ENLIGHTENMENT AND DISCIPLINE, MASTER EL MORYA

canneled by Jahn J Kassl

translated by Franz

マスターになること、及びマスターであることはもっぱら意識の問題です。あなた方をそこに連れて行く道も、鍛錬も、練習もありません。覚醒の唯一の瞬間は、あなた方の意識が目覚める決定的なものです。

それはあなた方が探し求めていた、いつもあなた方の中に存在していたあらゆることが分かる瞬間です。それはあなた方の中にあり、あなた方には、より低い性状を克服するためのスピリチュアルな鍛錬、或いは肉体の変容も必要がない事が分かります。

如何なる理由で行われる鍛錬や秩序であっても、ある者の命の自由な流れを抑制し、そのエネルギーを阻害します。

太陽を見て、川を眺め、空の鳥を見て下さい。

覚醒した者は鍛錬を知りません。

全ての生命はそれ自体から目覚め、全く自然であり、容易にその深い目的を満たします。

星は鍛錬や秩序を知りませんし、元素もそれを知らず、目覚めた者もそれを知りません。空の鳥は鍛錬に従うでしょうか?いいえ、鳥はその内側の性状に従い、内側にある目的に従って行動します。容易に、明らかに、 そして完全に自然であり、他にはあり得ません。又、障害を克服した人間は親しんでいる自然に、神の意志に従う以外のことができません。このような者は内なる決意に容易に明らかに従って暮らしを営み、暮らしのための熱意と、成長及び幸せをはぐくみます。

”鉄の鍛錬”を行う者は、人間によって聖人として受け入れられたいと思う”聖人”です!人間の中でスピリチュアルに認められることを望む者は誰でも、生命否定的な行動をする傾向があります。ここでは、自分を否定する者は、このような否定が出来ない不安なソウルに対して揮うための力を得たいという、奥深くにある自己否定による深い欲望が作用します。

三次元レベルでの聖人

三次元レベルでの聖人は高度な鍛錬と必要に駆られて内側では死に至らせる肉体的な苦行を行い、それに命を賭けます。

生命の否定は娯楽プログラムではなく、他方では人間はエゴの破壊に耐えられないので、自分の全生命の一部、或いは全体を否定するのでなければ、光に向かうやいなや、娯楽が生じます。

鍛錬は死の習得であり、どのような程度であっても暴力であり、エネルギーの自由な流れを抑圧します。鍛錬とは自分に圧力をかけること、或いは他者に対して力を揮うことを意味します。

鍛錬は自分の中での恐れを隠すことを意味し、生命を肯定するのではなく否定することを意味します。それ故に聖人は、方向性を持たない人間をいつも不安と罪という感情へと駆り立て、自由を与えるのではなく自意識に満ちた行動をさせるマスターなのです。

そこには旅も報酬もありません。人間は旅であり、報酬なのです。これは、あらゆる物は利用可能であり、ただニーズを感じることだけが必要だ、と言う意味です。意識することが鍵であり、覚醒は単にあなた方から出てくる自覚の瞬間なのです。

あなた方の暮らしをこれが意味するところに没入させてください。時の中の時、大いなる無視の時代の終わりには、ただ一つのスピリチュアルな実践だけが必要です。それは、瞬間認識の実践であり、純粋なエッセンスを基に、外部からの影響なしに人の命の内なる流れから自由に行動することです。

あなた方にとっては自分の役割を認識し、それを果たすことが自然であり明らかなことなのですから、鍛錬は、すべてのことをスピリットを開いて見るという、自分の無限のスピリットを閉じてしまいます。あなた方が太陽に等しく、それ自体が自然に流れる川のようであり、内なる導きに従う大空に舞う鳥のようであることは、常に正しい時において正しい位置にあります。

旅と報酬

人間が全ての生命の基礎であるこの現実を内部化するとすぐに、覚醒が起こり、瞬間的に旅と報酬が得られます。鍛錬が要求された時には注意をして下さい。自分の鍛錬生活にあなた方を誘い込み、自分の魔力の中に引っ込もうとする者に注意してください。暮らしの全てに或いは暮らしそのものに着実な見方をする代わりにいわゆる” スピリチュアルな鍛錬”により大きい重点を置く者に注意をして下さい。

鍛錬に隠されている人間の償われていない問題は、障害を減らすきっかけになるとの主張がされたとしても、実はそれは障害を増します。神からの愛が豊かであることが最高の修養である、愛を知る者にはあらゆることが許されているので、解放され自由になった人間は鍛錬も肉体的苦行も知りません。これを厳密に区分すれば、ソウルにはこの覚醒のステップに対する準備ができているので、事は簡単です。

次のようなことが言われています。:

”鍛錬を経た者は、豊かさを返上し、償われていない問題を隠します。”

古い時代の聖人は、非常にしばしば自分自身の幻想の中に囚われているので自由ではありません。しかし新しい時代の癒された人間は、陰が無くなり障害を克服したので、もはや隠すことはなく、光によって自由を得ています。

人間らしさの香りと愛

このようにして人間は自分たちの役割を果たし、天のエネルギーに導かれ、自然に、自信をもって、喜び一杯に、あらゆる所に人間らしさと愛の香りを広げます。天の法を信頼する全ての者は、地球のパラダイムに頭を下げる事なく、命の流れが人間の中で豊になり、ルールの必要はなくなり、指示も鍛錬も無くなります。

あなた方が道、真実と命なのです。今は目指すべきゴールはなく、大いなる行いを示す必要もなく、ただ大切なことは、天のスピリチュアルな光があなた方の中で自由に流れるように、あなた方の聖なるエネルギーの自由な流れに注意することです。

そうすれば、命は自ずからあなた方に明らかになり、あなた方の役割は天との調和のうちに果たされます。

全ての人間に対する無限の愛の中で、私はあなた方の間にいます。

エル・モヤより。

翻訳Taki

 

 

Deshi A:

お釈迦様は欲を捨てるためのきびしい修行をしましたが、それでは解脱を得られないと悟り、山を降りて師を探し求めました。詳細は「道すなわち真理について~釈迦略伝(六)説法 最終回」をご覧ください。

エル・モヤのメッセージで言う「鍛錬」はヨガの行者的な意味で、自然と一体となる境地と言うのは東洋では古来から「隠遁:世捨て」にあたり、天命を授かる聖人の世界とは似て異なります。誘惑の種は内面にあります。

今はとても大事な時期ですので、あえて直言いたします。だんだん明らかになってきますのでどうか心に留め置いてください。

Blog  より転載


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