2015年05月13日
私たちが暮らす世界は、縦、横、高さの3次元空間であるといわれていますが、実際にはバイブレーションの違いによってもっと細かく分けられるといえましょう。さらには一般的に考えられているこの3次元以外の次元では時間/空間は存在しません。それにしてもこの3次元にいる私たちは、他の次元を時間/空間の概念でしか表現できません。
他の次元は、今、ここ以外のところに存在するといえるのですが、各々の次元は、正確には重なり合うように存在しています。よって私たちは3次元に属していながらも、どの次元にも存在することができます。
次元についてそもそも初めて思考を科学したのは、古代ギリシャの数学天文学者であったユークリッド(紀元前300年頃)で、「原論」に次のように次元について定義しました。
◎ 点とは部分をもたないものである → 0次元空間が点 (方向がない世界)
◎ 線とは幅のない長さである → 1次元空間が線 (上下だけの世界)
◎ 面とは長さと幅のみをもつものである → 2次元空間が面 (上下と前後だけの世界) マリオの世界のようなイメージ
◎ 立体とは長さと幅と高さをもつものである → 3次元空間が立体 (上下と前後と左右のある世界) 我々の世界
古代ギリシャの哲学者アリストテレス(紀元前384~前322)は、「天体論」の中で、
「立体は‘完全’であり、3次元を超える次元は存在しないといいました。
三次元にある私たちの人体は口から肛門に貫通しても分離しませんが、もし人体が2次元だとしたら、貫通すると体は2つに分離してしまいます。貫通した穴をもつことができるのは私たちが3次元に存在する特徴だと言い換えることができます。
1次元は0次元を含み、2次元は、1次元を含み、3次元は0次元、1次元、2次元を含んでいると考えられますが、3次元で3次元以下の次元を表現しようとしてもそれは正確には無理です。コンピューターの画面の世界では、つまり完全な2次元の世界ではそれ以下の次元を表現できますが、点を紙に描いてもペンのわずかな厚みを無視しているだけで、実際には3次元になってしまいます。
影とは、立体を一方向から映した2次元情報にすぎません。3次元の完全な上布を伝えることはできません。たとえば、円錐を光で照らすと2次元の三角形の影ができます。つまりより低い次元に影を落とすことはできるのです。
私たちが物質を、目を通して見るときは、眼球の奥にある網膜が外界からの光を受け取る2次元スクリーンであり、2つ離れた位置にある網膜に映るズレをもとにして3次元(立体)情報として脳に送ります。したがって私たちが3次元として見ているのは、間接的な3次元情報にすぎないのです。
古代ギリシャの哲学者プラトン(紀元前427~前347)は、紀元前360年に著した「国家」の中で、「洞窟の比喩」という有名な話を残してます。
洞窟の壁に映る影だけを見続ける囚人は、2次元である影こそ世界のすべてであると信じ、影をもたらす立体の姿(3次元)を知ることなく一生を終えるだろう。プラトンはこう述べた後、経験したものだけを真実と考える人間も、この囚人と同じだと指摘しました。
「私たちは影しか見ていない」
ということなのです。
つまり、「私たちが見ている世界は、単なる影なのかもしれない」ということです。
この宇宙は、ほんとうは何次元まであるのでしょうか?
という壮大な謎に挑むうえで、プラトンのこの「洞窟の比喩」は、きわめて重要な意味を持つといえます。すなわち、私たちがいるこの3次元は、実は4次元以降の次元の影としてしか捉えることができないという限界を認識できるからです。
「4次元空間」というものが、実際に存在するとしたら、どのような定義でそれを表すことができるでしょうか?
古代ギリシャの学者たちのように高い次元から低い次元へと降りる考え方では、いつまでたっても立体(3次元)を超える4次元は登場しないのです。この限界を「逆転の発想」で打ち破ったのが、フランスの数学者アンリ・ポアンカレ(1854年~1912年)です。彼は高い次元から低い次元へと降りる考え方ではなく、ユークリッドの定義を逆手にとって、次元を定義しなおしました。
◎ 端が0次元(点)になるものを1次元(線)とよぶ。
◎ 端が1次元になるものを2次元(面)とよぶ。
◎ 端が2次元になるものを3次元(立体)とよぶ。
◎ 端が3次元となるものを4次元(超立体)とよぶ。
このように考えると、4次元でも5次元でも、好きなだけ多くの次元を定義し、幾何学の中で扱うことができます。
4次元空間とは、上下と前後と左右と、もう一つの方向があるような世界だと捉えられています。
点→線→面→立体→4次元
以上は科学的な次元の観念ですが、次元には意識の次元も考えられます。次元に関する科学の基本を理解した上で、意識の次元について次の機会にお伝えしたいと思います。
Posted by 愛知 ソニア at 16:01 │space
私たちが暮らす世界は、縦、横、高さの3次元空間であるといわれていますが、実際にはバイブレーションの違いによってもっと細かく分けられるといえましょう。さらには一般的に考えられているこの3次元以外の次元では時間/空間は存在しません。それにしてもこの3次元にいる私たちは、他の次元を時間/空間の概念でしか表現できません。
他の次元は、今、ここ以外のところに存在するといえるのですが、各々の次元は、正確には重なり合うように存在しています。よって私たちは3次元に属していながらも、どの次元にも存在することができます。
次元についてそもそも初めて思考を科学したのは、古代ギリシャの数学天文学者であったユークリッド(紀元前300年頃)で、「原論」に次のように次元について定義しました。
◎ 点とは部分をもたないものである → 0次元空間が点 (方向がない世界)
◎ 線とは幅のない長さである → 1次元空間が線 (上下だけの世界)
◎ 面とは長さと幅のみをもつものである → 2次元空間が面 (上下と前後だけの世界) マリオの世界のようなイメージ
◎ 立体とは長さと幅と高さをもつものである → 3次元空間が立体 (上下と前後と左右のある世界) 我々の世界
古代ギリシャの哲学者アリストテレス(紀元前384~前322)は、「天体論」の中で、
「立体は‘完全’であり、3次元を超える次元は存在しないといいました。
三次元にある私たちの人体は口から肛門に貫通しても分離しませんが、もし人体が2次元だとしたら、貫通すると体は2つに分離してしまいます。貫通した穴をもつことができるのは私たちが3次元に存在する特徴だと言い換えることができます。
1次元は0次元を含み、2次元は、1次元を含み、3次元は0次元、1次元、2次元を含んでいると考えられますが、3次元で3次元以下の次元を表現しようとしてもそれは正確には無理です。コンピューターの画面の世界では、つまり完全な2次元の世界ではそれ以下の次元を表現できますが、点を紙に描いてもペンのわずかな厚みを無視しているだけで、実際には3次元になってしまいます。
影とは、立体を一方向から映した2次元情報にすぎません。3次元の完全な上布を伝えることはできません。たとえば、円錐を光で照らすと2次元の三角形の影ができます。つまりより低い次元に影を落とすことはできるのです。
私たちが物質を、目を通して見るときは、眼球の奥にある網膜が外界からの光を受け取る2次元スクリーンであり、2つ離れた位置にある網膜に映るズレをもとにして3次元(立体)情報として脳に送ります。したがって私たちが3次元として見ているのは、間接的な3次元情報にすぎないのです。
古代ギリシャの哲学者プラトン(紀元前427~前347)は、紀元前360年に著した「国家」の中で、「洞窟の比喩」という有名な話を残してます。
洞窟の壁に映る影だけを見続ける囚人は、2次元である影こそ世界のすべてであると信じ、影をもたらす立体の姿(3次元)を知ることなく一生を終えるだろう。プラトンはこう述べた後、経験したものだけを真実と考える人間も、この囚人と同じだと指摘しました。
「私たちは影しか見ていない」
ということなのです。
つまり、「私たちが見ている世界は、単なる影なのかもしれない」ということです。
この宇宙は、ほんとうは何次元まであるのでしょうか?
という壮大な謎に挑むうえで、プラトンのこの「洞窟の比喩」は、きわめて重要な意味を持つといえます。すなわち、私たちがいるこの3次元は、実は4次元以降の次元の影としてしか捉えることができないという限界を認識できるからです。
「4次元空間」というものが、実際に存在するとしたら、どのような定義でそれを表すことができるでしょうか?
古代ギリシャの学者たちのように高い次元から低い次元へと降りる考え方では、いつまでたっても立体(3次元)を超える4次元は登場しないのです。この限界を「逆転の発想」で打ち破ったのが、フランスの数学者アンリ・ポアンカレ(1854年~1912年)です。彼は高い次元から低い次元へと降りる考え方ではなく、ユークリッドの定義を逆手にとって、次元を定義しなおしました。
◎ 端が0次元(点)になるものを1次元(線)とよぶ。
◎ 端が1次元になるものを2次元(面)とよぶ。
◎ 端が2次元になるものを3次元(立体)とよぶ。
◎ 端が3次元となるものを4次元(超立体)とよぶ。
このように考えると、4次元でも5次元でも、好きなだけ多くの次元を定義し、幾何学の中で扱うことができます。
4次元空間とは、上下と前後と左右と、もう一つの方向があるような世界だと捉えられています。
点→線→面→立体→4次元
以上は科学的な次元の観念ですが、次元には意識の次元も考えられます。次元に関する科学の基本を理解した上で、意識の次元について次の機会にお伝えしたいと思います。
Posted by 愛知 ソニア at 16:01 │space