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日本の命運を握る数人のプリンス(EJ第660号)

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2008年04月04日

 現在の日本経済の不況は意図的に作り出され、わざと長引かされているといったら、あなたは信用しますか。そんな馬鹿な――と一応は思いますが、残念ながらこれは事実のようです。それでは誰がそんなことをしたのでしょうか。それは、政府でも大蔵省(現財務省)でもなく、日本の中央銀行である日本銀行であり、しかも、その日銀の、ごく少数のプリンスたちがやったことなのです。


 こうはっきりといい切るのは、リチャード・A・ヴェルナー氏です。現在、話題を呼
んでいる『円の支配者/誰が日本経済を崩壊させたのか』(吉田利子訳/草思社刊)の著者がリチャード・ヴェルナー氏です。なぜ外国人が日銀の内幕を知っているのかという疑問を持つ人が多いと思いますが、ヴェルナー氏は10年前、日銀の客員研究員として日銀に在籍し、バブル期の日本経済の研究を続けていたことがある人なのです。また、この本は、外国人でないと絶対に書けない本であるといわれており、日銀の知られざる秘密に迫るものとして貴重な本といえます。


 EJでは、しばらく同書に基づいてその驚くべき事実をご紹介していきたいと思いま
す。一番の焦点は、誰がバブルを生み出し誰がそれを潰したかにあるのです。このことが現在の深刻な日本経済の現状につながってくるからです。よく知られるように、日銀の総裁は日銀出身者と大蔵省出身者が交替で就任することになっています。一般論ですが、日銀出身の総裁は金融引締め政策寄りで財政による景気刺激策を望み、大蔵省出身の総裁は財政政策を引き締めて金融政策を緩和したがる傾向があります。


 そのため、日銀出身者と大蔵省出身者が交互に総裁を務めるこの人事システムは、ちょっと考えるとどちらにも偏らない政策を実施するうえで、理想的であるようにみえますが、実は決してそうではないのです。大蔵省出身の総裁は、日銀にとって重要な意思決定、すなわち信用創造量にかかわる決定からは一貫して排除されていたといってよいのです。通常大蔵省出身の総裁のときは日銀出身者が副総裁となり、総裁が日銀路線を逸脱しないようにコントロールしているのです。


 それに加えて、日銀以外の総裁を迎えるときは、総裁を補佐する職に日銀幹部が一人つくのです。この補佐役についてある日経記者は、次のように書いています。
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      『「副総裁以上のキーマン」が総裁秘書役。内外どこに行くに
      も総裁にぴったり寄り添って行動し、総裁に関する諸事万端を
      さばく「黒子」でもある。・・日銀は否定するが、総裁が日銀
      路線から逸脱しないように「監視」する役割を担っている』。
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 このように日銀出身者以外の総裁は、ほとんど力を発揮できないシステムになっているのです。日本は、敗戦から2001年の春まで首相は26人に変わっています。しかし、日本の本当の支配者は6人しかいないのです。その6人の支配者とは、日銀出身の日銀総裁を務めていた次の6人です。
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        1.新木栄吉        4.前川春雄 ◎
        2.一万田尚登       5.三重野康 ◎
        3.佐々木直 ◎      6.福井俊彦
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 さらに過去50年間では5人、1962年~1994年のとくに大事な時期に国家の
操縦桿を握っていたのは、佐々木直、前川春雄、三重野康の3人なのです。政治家は選挙によって選ばれますが、日銀総裁はどのようにして選ばれるのでしょうか。少なくとも国民は一切それに関与することはないのです。日銀出身者の総裁に関しては、必ず副総裁になっていることが条件となります。その副総裁は理事から選ばれますが、日銀出身の理事は6人しかいないのです。大学を卒業して日銀に入行する人は毎年約60人といいますから、そのうち1人が理事になれることになります。確実に総裁になれる副総裁になるのはそれこそ大変な確率ということになれます。


 このように考えると、厳しい競争があってそれに勝ち抜かなければならないのである
から、それなりの人物が選ばれると考えてしまいますが、日銀に限ってはそうではないのです。日銀トップの選抜手続きは、独裁者が後継者を選ぶのに似ています。支配者は自分に忠実で目標も目的も同じくする人物にしか権力を渡したがらないものです。つまり、後継者を選ぶにあたって最優先される規準は、自分への忠誠度と目標を同じくするかどうかであって、必ずしも能力ではないのです。こういう選抜方法では、かなり前から後継者は決められており、どうしても前任者の政策を踏襲するかたちになってしまうことになります。こういう人たちに日本という国家の命運が託されてしまうのですから問題です。


 さて、バブルを作り出したのは、大蔵省出身の澄田智総裁であり、それを強引に潰したのは、次の総裁である三重野康総裁であると一般的にいわれています。しかし、これは事実とかなり異なる話なのです。澄田総裁は表向きは日銀総裁ではあったのですが、重要な決定は三重野副総裁中心にことごとく決められており、お飾り的な存在に過ぎなかったといわれます。いや澄田総裁に限らず、やはり大蔵省出身の松下康雄総裁のときも日銀幹部は総裁に重要な情報を流さず、政府の政策とは逆のことをやって、1ドル80円という事態を招いたのは記憶に新しいことといえます。     ・・・ [円の支配者日銀/10] 

posted by 管理者 at 03:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 円の支配者日銀 ||

 

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