アダマス・セント・ジャーメインからのメッセージ
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あなた方に尋ねたいのですが、「光の中に在る」というような話ばかりを私は耳にするのですが、それはどういうことなのでしょうか? もしかするとそれは半 分の自分でいるということですか? それとも恐れの中にいることなのですか? あるいは自分自身から逃げるということですか?
カタ リ派(中世のフランスにおいて、キリスト教の異端とされたことで教会によって壊滅させられた一派) の本当の試練は何であったか知っているでしょうか? 彼らはつまり、光の側にだけ存在しようとしたのです。その結果、あなた方が知っているように、霊的な物理学から何が起きたでしょうか? 彼らは闇を引き寄 せてしまったのです。なぜなら、闇と光は本来同じものだからです。あなた方は一方だけを持つことはできません。
あなたの神性は、あ なたが愛していないあなた自身のあらゆるものを保ち、愛するだけの思いやりを持っています。すなわち、あなたが闇と見なしているあなたのあらゆる部分や、 自分を嫌う行動や行いの一つひとつ、あるいはあなたが分類して闇とするカテゴリーに投げ入れている創造の一つひとつに至るまで、あなたの神性はそれらを抱 擁して愛しているのです。
ほとんどの人々は、自分の闇が神性だなどという話を聞きたくありません。
なぜなら神性を光 という観点からだけしか考えていないからです。しかし親愛なる友である皆さん、神性はあなたを無条件に愛しています。それはたとえ何が起きようと、神性は あなたの闇でさえも愛しているのです。そしてあなたも同じように、意識的にそうできるようになる時を待っています。
これまでも多く の人々が試みてきたことですが、闇を持たずに光を持つことはできません。私はしばしば「ライトワーカー」たちの(内なる)「時の声」を聞きますが、彼らが 否応なく、内なる闇に直面しなければならなくなることを知っています。つまり、彼らは闇を引き寄せてしまうのです。しかし、それは自然なことです。ここに 来ている人々の中には、自分の女性性が持つ女神を発見するために来ている人たちがいます。すると何が起きるでしょうか? 内なる男性性のエネルギーを引き 寄せるのです。そして本来、そのように作用するものなのです。
自分の内なる闇を受け入れ、ひとつになる
あなたの闇の側面を体験する準備はできていますか?
光だけでなく、あなたのあらゆる部分を見る準備はできているでしょうか? 光は素晴らしいですが、完全なものにするには闇がなければなりません。あな たは自分が闇だと思っていたものを、手放す準備ができているでしょうか? あなたは「はい」と言いますが、こうしている間にも、あなたの内側にある闇が上 がってきます。それは恥ずべき、後ろめたい、傷ついて、痛んだ部分です。あなたは常にそこから逃げており、いつも光を隠れ蓑にしています。
そしてこれは私の愚見ですが、キリスト教会の最大の過ちの一つは、彼らが自らの存在の全体ではなく、光だけにフォーカスしたことです。彼らはそうした 自らの闇をすべて覆い隠し、礼拝や宗教的儀式を光だけにしました。しかし、光に偏ることが自然に、否応なく自らの闇を浮かび上がらせ、(明らかにしてバラ ンスを取り戻させようとするものを)自然に引き寄せるのです。
闇とは何でしょうか?
闇にしても、それはただのエネルギーであり、あなた方が光を見るために創造した最初の鏡なのです。光もまた闇を見るために、あなたが創造した鏡に他なりませんが、もうそろそろその二つが一緒になる時です。つまり、内なる闇から逃げるのをやめる時なのです。
あなた方の知人の多くが、あなたのやっているワークに疑いを抱くのも無理もありません。彼ら知人たちの多くもまだ闇から逃げているからです。彼らはあ なたが光と闇の統合に近づいていることを感じており、それがあなたが闇を扱い、悪魔と戯れているように見えることからそう言います。そして実際にそうなの です。なぜなら、もう光と闇をひとつにするべき時が来ているからです。それをすればあなたは二元性という概念全体が、つまり光と闇がただの幻想であったこ とを理解するでしょう。
さまざまな内なる痛みは、二元性のアンバランスがもたらすもの
闇はあなたが考えているようなものではなく、光もあなたが思っているようなものではありません。この二元性という善悪の概念、つまり何らかの懲罰とし て地球にいるという概念や、人間の状態から脱け出すという概念、また自らの人間性と人間としてのあらゆる恩恵を否定する概念というのは、あまりにも古い概 念であり、これらはある時地球に持ち込まれたものですが、未だに地上に残されており、あなた方の中に存在しています。
あなた方は神は光だけだと教えられてきました。
もし闇が存在するならば、どうして神は光だけだと言うことができるのでしょうか? あなた方は神が天国を創造し、一方、悪魔も地獄を創造して、人間の旅を脆く、哀れなものに陥れたので、人間の目的は神の恩寵の元に戻ることだと教会から聞かされてきました。
ですが、それは違います。
それは美しいもので、壮麗なものなのです。あなたが人間の形態に在ることこそが、自らに与えることのできる最大の贈り物であり、体験です。しかもあなたはそこへ囚われているわけではありません。ですからあなたには救済は必要なく、ただそれを受容するだけなのです。
カトリック教会が光と闇の概念を持ち込み、ゲームを始めた時、私たちは「本来の道」の教えの中に大きな分裂が生まれたのを見出しました。世界は未だ に、光と闇という二元性に魅惑され毒されていますが、それは変わっていきます。そしてその概念は居心地の悪いものになっていくでしょう。
今日、時間を取り、文字通りの光と闇を観察してみてください。
太陽の光線が建物や木々、草や人々に当たっている様子に注目してみてください。それが闇とどんな役割を、互いに果たしているのかを観察してください。しかもどれほど互いに愛し合っているかに注目してください。それらは実際に、原初のもっとも素敵なカップルです。
あなたが自らの闇を否定することが、あなたを窒息させ、やがては自分自身への残酷なゲームを引き起こすことになります。それは闇の否定があなた(の考 え方)をアンバランスにさせるからであり、あなたが(考え方において)バランスを崩すと、常に何かが現れてあなたにバランスを取り戻そうとするのです。
当然、あなたはそれに抵抗するでしょうし、それは何かが侵入しているように思うからです。しかし実際にはそれは、バランスを取り戻すためにあなた自ら が創造したものなのです。トバイアス(ジャーメインの仲間で協力者)が、「自分のやり方から脱け出しなさい」と言ったのはそのためです。
それはあなたの偏見と先入観のことであり、それに従ってあなたは自らを癒し、修復しようとするのです。その結果、あなたは常に光と善、正義に留まろう とします。(つまり、一方にのみ「振り子」が留まるように努力する結果バランスを失い)、あなたはそれを押し戻そうとする自然の力に抵抗し、闘い、逃げ回 るので、光と闇のゲームは続くことになります。
『神性を生きる』 ジェフリー・ホップ、リンダ・ホップ著 ナチュラルスピリット 抜粋