2015年03月07日
私は1995年頃から数年間「Transdimension Vista」という小冊子を発行し、隔月でカナダから日本の購読者の方々に郵送していた時代がありました。今のようにインターネットがあまり普及していなかった時代のことです。その中のある記事を今日はご紹介いたします。私がとても尊敬しているある女性についてです。
1998年9月発行の記事
平和に捧げて歩き続けたピース・ピルグリム
私の枕元には、ピース・ピルグリムの写真がいつも飾ってある。一心に歩く彼女の姿を朝、眺めるだけで、その日がすがすがしくスタートできる。私の心に憂鬱な雲がさしかかった時も、白髪で年とってはいるが、輝いている彼女の歩く姿がまるで私の方に向かって励ましに歩んできてくれるような気がするからだ。毎日、毎日、平和のために歩き続 けた彼女の人生は、活気に満ちた健全そのものであった。彼女のメッセージは、複雑ではなく難しくない。ごくありきたりのように聞こえるかも知れないが、そのシンプルさ からは真実の声が生命力に満たされるパワーとして 不思議と伝わってくる。彼女は今世紀、実存したまさに聖者であると私は思う。また彼女ほど本当の意味で 地に足がついている人はいないだろう。
「ピース・ピルグリム」、訳して平和巡礼者と自らを名乗る女性は、1953年から81年までの二十八年間を、その名の通り平和を願ってひたすらアメリカ中を歩き続けた人である。 彼女は自分の過去についてほとんどなにも語らないし、以前の自分の名すら明かさなかった。そんなことは彼女にとってどうでもよかったのである。彼女が人々に伝えたいことは、ただひとつ、「平和」だけなのである。だから自らを「平和巡礼」と名乗ることにした、と彼女は述べている。ピースさんが平和巡礼した間には、アメ リカは、朝鮮戦争やベトナム戦争があった時代である。 彼女は行く先々で何千という人々に平和であることの素晴らしさを語った。さらに彼女は、どこに辿り着こうとも、人々のよき相談相手となり、彼らに生きる励みを与えた。彼女の存在によって多くの人々が目覚めさせられたのである。
彼女はほとんど何も持たずに歩き続けた。彼女が身に着けているジャケットのポケットには、歯ブラシとわずかな必需品が入っているだけだった。彼女は与えられるまでは、決してなにかを誰かに乞うこともなかった。ただ出会う人々に平和のメッセンジャーとして、自ら自身を与えた。ピース・ピルグリムさんの生涯については、彼女の死後、五人の友人によって、225ページの本にまとめられた。その本には、アメリカを25,000マイル以上も一銭も持たずに巡礼し、 また食べ物を与えられるまでは断食し、寝床を提供されるまでは野宿しながら、ひたすらこの地上に平和が来ることを祈りつつ歩いた彼女の生涯が語られている。
彼女は誰にも自分の後をついてきて、同じように歩くことを勧めなかった。むしろ、そうしたいと望む人々に対して、これは自分だけの使命であることを説き、各々の平和に対する捧げ方を見出すことを勧めたのだった。彼女自身のメッセー ジが語られている「内なる平和へのステップ」という小さな小冊子も、ピースさんの友人たちが発行している。この二冊の本は、できればボランティアの方々に心ばかりの寄付をということで、誰にでも無料で提供してくれる。
「内なる平和へのステップ」の中から彼女自身の言葉
私は若い頃、大変重要なことを二つ発見しました。一つは お金を稼ぐことは簡単だということです。そしてもう一つは、稼いだお金を無駄なことに使うのは、全く無意味だということに私は気づきました。そんなことをするために、この世に私は生まれてきたのではない、ということを私は知っていました。しかし、何のためにここにいるのか、という疑問に対する確かな答えは、その当時は知りませんでした。私は意味のある生き方について深く追求し始めました。そしてあるとき、一晩中森の中を歩いた末に、私の人生を奉仕に捧げることをなんのためらいもなく決意しました。完全たる意志としてそれを感じました。それは後戻りすることのない意志でした。このような体験の後は、二度と自己中心的な生活はできません。
そのときから私の第二の人生が始まりました。「手に入れる」という人生から、できるかぎりを「与える」という人生に切り替わりました。私は新しくて、もっとすばらしいに入っていったのです。私の人生な有意義さが溢れる人生に変容しました。すばらしく健康である、という祝福も受けました。その時以来、私は風邪をひくこともなく、頭痛でさえ感じたことはありません。ほとんどの病は、精神状態から始まります。私のライフフークは平和のためだけのものです。すべてが平和に捧げることです。国と国との平和。さまざまな団体の平和。個と個の平和。いちばん大切なのは、私たち個々の内なる平和です。それにしてもこういった「平和」に、完全に自ら自身を捧げる決心が固まるまで、準備として十五年間を要しました。
この期間において私は、心理学者が俗にいうところの「エゴと分離」を多く体験したのです。自分にはまるで二人の異なる存在がいるように感じられました。二つの人格がいて、二つの意志があるように感じられました。この二つがまったく異なる意見をもっているのに、私は気づきはじめました。「ローアーセルフ」と「ハイアーセルフ」です。
ローアーセルフは、自分が宇宙の中心であるといいます。いたって自己中心的な自分です。そして、三次元の自己を常に満足感で満たそうとします。もう一つは、ハイアーセルフです。ハイアーセルフは、自分自身は宇宙の一 部であり、一つの細胞のように捉えることができる、スピリチュアルな自己です。この二つの異なる意見をもつ、二人の自分の間に挟まっていた頃は、いちばん辛い時期でした。常に山と谷が感じられました。たくさんの山と谷です。やがてそういった内なる葛藤のピークを私は迎えました。そんなときに、私は山の頂上を体験したのです。そして、初めて内なる平和を私は知ることができました。ワンネスを感じとることができました。
私の周囲の人々とのワンネス。すべての存在とのワンネス。それからというものは、決して分離感を味わったことはありません。私はそのすばらしい山の頂上に、何度も何度も戻っていくことができるようになりました。そうしているうちに次第にそこに長く居られるようになりました。時折すべり落ちるごともありました。しかし、そのうちに、ある朝、目が覚めた時でした。『これからは、二度と谷間に降りることはない』と私は自覚できたのです。二度と葛藤は 私に訪れないと分かりました。私は自分の人生を捧げることに成功したのです。別の言い方をすると、内なる平和を得ることができたのです。二度と以前の自分には戻らない、というターニングポイントを迎えたわけです。そのときから「葛藤」には決して戻れないのです。葛藤は終わりました。なぜなら、自分の意志によって、自分にとって正しいことを行うことが自然にできるようになったからです。むりやりにそうさせるのではありません。
シンプルさと明瞭さを保つことで、人生は素晴らしさに満ちてきます。これはとても大切なことです。1953年に私は「世界平和のための巡礼」への呼びかけに導かれる自分を感じとるようになりました。伝統的な巡礼とは、歩く旅です。自分の歩む道を信頼しながら、祈りを込めて進んでいくことです。さらには、人々と出会うチャンスを与えられるものでもあります。私は人々と出会うために、「平和巡礼」と前に書いてある服を常に着ました。今ではこれがすっかり私の名前だと感じられます。背中には、「25,000(40233 キロ)マイル平和のために歩く」と書きました。人々に 出会う目的でこれを着用しました。高速道路に沿って、都市を通り抜けて、私は継続的に歩きました。人々が私のところにやってきます。すると私は、平和について人々と語らい合いました。
25,000マイルはまったくお金を持たずの巡礼でした。私の所持品は、着ていた服と小さなポケットに入っているものだけでした。私はどんな団体にも所属することを拒みました。宿を提供されるまでは、歩き続け、食べ物を与えられるまでは断食し続け、人類が平和になるまで放浪の旅を続けると宣言しました。なにかを欲しいと人に頼むことがなくても、旅に必要なものは必ず与えられました。これは真実です。人は本来、善良であることが、このことからも分かっていただけるでしょう。
私はいつも私の平和のメッセージと共に歩きました。「善をもって悪を克放し、真実をもって偽りを克服し、愛をもって憎しみを克服する。これが平和への道です。」 これは別に新しいメッセージではありませんが、ただし実行すること以外は。これはただ国際的な状況に対して実行するというだけではなく、個々の状況においても実行する必要があるのです。まず私たち個々の内なる平和を獲得することが、世界平和へのステップなのです。私は内なる平和へのステップについて語りますが、そのステップの順は、もちろん個人差があるということを覚えておいてください。
「内なる平和へのステップ」サマリー
☆ 四つの準備
1. 人生に対する正しい態度
◎ 直面している問題から逃げないこと。
◎ 問題に前向きの姿勢で取り組むことに成長がある。
◎ うわべ的な生き方をやめること。
2. よい信念を貫き通して生きること
◎ 自分がよいと信じていることを実行して生きること。
それに従わなければ、不調和の中に自らが押し込まれてしまう。
3. 生活の中に特別な場所を見つけること
◎ 人間は各々が異なった行為の中に、神のガイダンスを見出すことができる。
それに対してオープンになること。
すなわち、森の中を歩くなど、その行為を見つけだすチャンスを自分に与えること。
そしてそれを最優先して生活すること。
4. 素朴な生活が内外の世界に調和を来たらす
◎ 不必要な所有物は不必要な負担となる。
◎ 多くの人々の生活が不必要なモノで散乱しているだけではなく、
不必要な行為も多すぎる。
散乱した生活は不調和を引き寄せる。
☆ 四つの浄化
1. 肉体である神殿の浄化
◎ あなたは悪い習慣から解放されていますか?
◎ 生命力となる漂白していない穀物、野菜、木の実、くだものを主とした食生活をしていますか?
◎ 早寝早起きをしていますか?
◎ 十分に新鮮な空気を吸っていますか?
2. 思考の浄化
◎ 正しいことを考え、正しい発言をすること
◎ ポジティブな思考はよいことを導き、ネガティブな思考は病気を招く
3. 欲望の浄化
◎ 調和を求めて生まれてきたのなら、欲望をその方向性に集中させること
4. モチベーションの浄化
◎ モチベーションが自欲や自己のみの追求では絶対ないことは当然である
◎ 自己の人生が調和に到達するためのモチベーションは、
周囲の人々に奉仕するモチベーションである
☆ 四つの解放
1. 自己中心的意識を解放する
◎ ローアーセルフの自己から離れるトレーニングを行う
2. 分離感を解放する
◎ 自と他を超越したワンネスに気づくこと
3. 囚われを解放する
◎ 全ての囚われの気持ちから解放されることで自由が得られる
4、全てのネガティブ感情を解放する
◎ 怒りや自己を哀れむことなどは、
全て自分がつくりあげているネガティブ感情である。
それらに気づき、解放すること
非常にシンプルではあるが、以上のような明瞭な人生哲学をピース・ピルグリムさんは、ひたすら歩きながら見出した。以上の事がらに徹した生き方をした。ある時、「ピースさん、そろそろ新しい運動 靴はどうですか?」と彼女は勧められた。それに対して、「もう少しこの靴は履けますので結構です。」と、彼女はきっぱりと断り、古くなった靴を限界まではいたといわれている。食べ物に対しても、生きるために食べるので、食べるために生きているのではない、はっきりした態度を彼女は常に見せた。車が止まっても、乗せてもらうことはなかった。
1964年にピース・ピルグリムさんは、やっと25,000マイルを達成した。しかし、その後何年間 も彼女はそのまま継続して歩き続けた。テレビやラジオの番組に招かれたり、様々な団体からスピーチの声がかかるようになり、彼女はそういった依頼に応じながら歩くようになった。彼女が日頃か ら死については、「より自由な生へ 輝かしい変容」と述べていたが、その通りに、彼女が変容する日が訪れた。1981年7 月7日に彼女は、スピーチに招かれて乗せられた車がインディアナ 州、クノックス近くで正面衝突 して、彼女は即死したのである。「ピースさんは、常から即時性の変容を願っていたのです。彼女の望んだ通りになりました。」と友人の一人が語っている。
動画:
https://www.youtube.com/watch?v=6qRWhm2ShoA&feature=player_embedded
Posted by 愛知 ソニア at 13:42 │近代の女神たち
1998年9月発行の記事
平和に捧げて歩き続けたピース・ピルグリム
私の枕元には、ピース・ピルグリムの写真がいつも飾ってある。一心に歩く彼女の姿を朝、眺めるだけで、その日がすがすがしくスタートできる。私の心に憂鬱な雲がさしかかった時も、白髪で年とってはいるが、輝いている彼女の歩く姿がまるで私の方に向かって励ましに歩んできてくれるような気がするからだ。毎日、毎日、平和のために歩き続 けた彼女の人生は、活気に満ちた健全そのものであった。彼女のメッセージは、複雑ではなく難しくない。ごくありきたりのように聞こえるかも知れないが、そのシンプルさ からは真実の声が生命力に満たされるパワーとして 不思議と伝わってくる。彼女は今世紀、実存したまさに聖者であると私は思う。また彼女ほど本当の意味で 地に足がついている人はいないだろう。
「ピース・ピルグリム」、訳して平和巡礼者と自らを名乗る女性は、1953年から81年までの二十八年間を、その名の通り平和を願ってひたすらアメリカ中を歩き続けた人である。 彼女は自分の過去についてほとんどなにも語らないし、以前の自分の名すら明かさなかった。そんなことは彼女にとってどうでもよかったのである。彼女が人々に伝えたいことは、ただひとつ、「平和」だけなのである。だから自らを「平和巡礼」と名乗ることにした、と彼女は述べている。ピースさんが平和巡礼した間には、アメ リカは、朝鮮戦争やベトナム戦争があった時代である。 彼女は行く先々で何千という人々に平和であることの素晴らしさを語った。さらに彼女は、どこに辿り着こうとも、人々のよき相談相手となり、彼らに生きる励みを与えた。彼女の存在によって多くの人々が目覚めさせられたのである。
彼女はほとんど何も持たずに歩き続けた。彼女が身に着けているジャケットのポケットには、歯ブラシとわずかな必需品が入っているだけだった。彼女は与えられるまでは、決してなにかを誰かに乞うこともなかった。ただ出会う人々に平和のメッセンジャーとして、自ら自身を与えた。ピース・ピルグリムさんの生涯については、彼女の死後、五人の友人によって、225ページの本にまとめられた。その本には、アメリカを25,000マイル以上も一銭も持たずに巡礼し、 また食べ物を与えられるまでは断食し、寝床を提供されるまでは野宿しながら、ひたすらこの地上に平和が来ることを祈りつつ歩いた彼女の生涯が語られている。
彼女は誰にも自分の後をついてきて、同じように歩くことを勧めなかった。むしろ、そうしたいと望む人々に対して、これは自分だけの使命であることを説き、各々の平和に対する捧げ方を見出すことを勧めたのだった。彼女自身のメッセー ジが語られている「内なる平和へのステップ」という小さな小冊子も、ピースさんの友人たちが発行している。この二冊の本は、できればボランティアの方々に心ばかりの寄付をということで、誰にでも無料で提供してくれる。
「内なる平和へのステップ」の中から彼女自身の言葉
私は若い頃、大変重要なことを二つ発見しました。一つは お金を稼ぐことは簡単だということです。そしてもう一つは、稼いだお金を無駄なことに使うのは、全く無意味だということに私は気づきました。そんなことをするために、この世に私は生まれてきたのではない、ということを私は知っていました。しかし、何のためにここにいるのか、という疑問に対する確かな答えは、その当時は知りませんでした。私は意味のある生き方について深く追求し始めました。そしてあるとき、一晩中森の中を歩いた末に、私の人生を奉仕に捧げることをなんのためらいもなく決意しました。完全たる意志としてそれを感じました。それは後戻りすることのない意志でした。このような体験の後は、二度と自己中心的な生活はできません。
そのときから私の第二の人生が始まりました。「手に入れる」という人生から、できるかぎりを「与える」という人生に切り替わりました。私は新しくて、もっとすばらしいに入っていったのです。私の人生な有意義さが溢れる人生に変容しました。すばらしく健康である、という祝福も受けました。その時以来、私は風邪をひくこともなく、頭痛でさえ感じたことはありません。ほとんどの病は、精神状態から始まります。私のライフフークは平和のためだけのものです。すべてが平和に捧げることです。国と国との平和。さまざまな団体の平和。個と個の平和。いちばん大切なのは、私たち個々の内なる平和です。それにしてもこういった「平和」に、完全に自ら自身を捧げる決心が固まるまで、準備として十五年間を要しました。
この期間において私は、心理学者が俗にいうところの「エゴと分離」を多く体験したのです。自分にはまるで二人の異なる存在がいるように感じられました。二つの人格がいて、二つの意志があるように感じられました。この二つがまったく異なる意見をもっているのに、私は気づきはじめました。「ローアーセルフ」と「ハイアーセルフ」です。
ローアーセルフは、自分が宇宙の中心であるといいます。いたって自己中心的な自分です。そして、三次元の自己を常に満足感で満たそうとします。もう一つは、ハイアーセルフです。ハイアーセルフは、自分自身は宇宙の一 部であり、一つの細胞のように捉えることができる、スピリチュアルな自己です。この二つの異なる意見をもつ、二人の自分の間に挟まっていた頃は、いちばん辛い時期でした。常に山と谷が感じられました。たくさんの山と谷です。やがてそういった内なる葛藤のピークを私は迎えました。そんなときに、私は山の頂上を体験したのです。そして、初めて内なる平和を私は知ることができました。ワンネスを感じとることができました。
私の周囲の人々とのワンネス。すべての存在とのワンネス。それからというものは、決して分離感を味わったことはありません。私はそのすばらしい山の頂上に、何度も何度も戻っていくことができるようになりました。そうしているうちに次第にそこに長く居られるようになりました。時折すべり落ちるごともありました。しかし、そのうちに、ある朝、目が覚めた時でした。『これからは、二度と谷間に降りることはない』と私は自覚できたのです。二度と葛藤は 私に訪れないと分かりました。私は自分の人生を捧げることに成功したのです。別の言い方をすると、内なる平和を得ることができたのです。二度と以前の自分には戻らない、というターニングポイントを迎えたわけです。そのときから「葛藤」には決して戻れないのです。葛藤は終わりました。なぜなら、自分の意志によって、自分にとって正しいことを行うことが自然にできるようになったからです。むりやりにそうさせるのではありません。
シンプルさと明瞭さを保つことで、人生は素晴らしさに満ちてきます。これはとても大切なことです。1953年に私は「世界平和のための巡礼」への呼びかけに導かれる自分を感じとるようになりました。伝統的な巡礼とは、歩く旅です。自分の歩む道を信頼しながら、祈りを込めて進んでいくことです。さらには、人々と出会うチャンスを与えられるものでもあります。私は人々と出会うために、「平和巡礼」と前に書いてある服を常に着ました。今ではこれがすっかり私の名前だと感じられます。背中には、「25,000(40233 キロ)マイル平和のために歩く」と書きました。人々に 出会う目的でこれを着用しました。高速道路に沿って、都市を通り抜けて、私は継続的に歩きました。人々が私のところにやってきます。すると私は、平和について人々と語らい合いました。
25,000マイルはまったくお金を持たずの巡礼でした。私の所持品は、着ていた服と小さなポケットに入っているものだけでした。私はどんな団体にも所属することを拒みました。宿を提供されるまでは、歩き続け、食べ物を与えられるまでは断食し続け、人類が平和になるまで放浪の旅を続けると宣言しました。なにかを欲しいと人に頼むことがなくても、旅に必要なものは必ず与えられました。これは真実です。人は本来、善良であることが、このことからも分かっていただけるでしょう。
私はいつも私の平和のメッセージと共に歩きました。「善をもって悪を克放し、真実をもって偽りを克服し、愛をもって憎しみを克服する。これが平和への道です。」 これは別に新しいメッセージではありませんが、ただし実行すること以外は。これはただ国際的な状況に対して実行するというだけではなく、個々の状況においても実行する必要があるのです。まず私たち個々の内なる平和を獲得することが、世界平和へのステップなのです。私は内なる平和へのステップについて語りますが、そのステップの順は、もちろん個人差があるということを覚えておいてください。
「内なる平和へのステップ」サマリー
☆ 四つの準備
1. 人生に対する正しい態度
◎ 直面している問題から逃げないこと。
◎ 問題に前向きの姿勢で取り組むことに成長がある。
◎ うわべ的な生き方をやめること。
2. よい信念を貫き通して生きること
◎ 自分がよいと信じていることを実行して生きること。
それに従わなければ、不調和の中に自らが押し込まれてしまう。
3. 生活の中に特別な場所を見つけること
◎ 人間は各々が異なった行為の中に、神のガイダンスを見出すことができる。
それに対してオープンになること。
すなわち、森の中を歩くなど、その行為を見つけだすチャンスを自分に与えること。
そしてそれを最優先して生活すること。
4. 素朴な生活が内外の世界に調和を来たらす
◎ 不必要な所有物は不必要な負担となる。
◎ 多くの人々の生活が不必要なモノで散乱しているだけではなく、
不必要な行為も多すぎる。
散乱した生活は不調和を引き寄せる。
☆ 四つの浄化
1. 肉体である神殿の浄化
◎ あなたは悪い習慣から解放されていますか?
◎ 生命力となる漂白していない穀物、野菜、木の実、くだものを主とした食生活をしていますか?
◎ 早寝早起きをしていますか?
◎ 十分に新鮮な空気を吸っていますか?
2. 思考の浄化
◎ 正しいことを考え、正しい発言をすること
◎ ポジティブな思考はよいことを導き、ネガティブな思考は病気を招く
3. 欲望の浄化
◎ 調和を求めて生まれてきたのなら、欲望をその方向性に集中させること
4. モチベーションの浄化
◎ モチベーションが自欲や自己のみの追求では絶対ないことは当然である
◎ 自己の人生が調和に到達するためのモチベーションは、
周囲の人々に奉仕するモチベーションである
☆ 四つの解放
1. 自己中心的意識を解放する
◎ ローアーセルフの自己から離れるトレーニングを行う
2. 分離感を解放する
◎ 自と他を超越したワンネスに気づくこと
3. 囚われを解放する
◎ 全ての囚われの気持ちから解放されることで自由が得られる
4、全てのネガティブ感情を解放する
◎ 怒りや自己を哀れむことなどは、
全て自分がつくりあげているネガティブ感情である。
それらに気づき、解放すること
非常にシンプルではあるが、以上のような明瞭な人生哲学をピース・ピルグリムさんは、ひたすら歩きながら見出した。以上の事がらに徹した生き方をした。ある時、「ピースさん、そろそろ新しい運動 靴はどうですか?」と彼女は勧められた。それに対して、「もう少しこの靴は履けますので結構です。」と、彼女はきっぱりと断り、古くなった靴を限界まではいたといわれている。食べ物に対しても、生きるために食べるので、食べるために生きているのではない、はっきりした態度を彼女は常に見せた。車が止まっても、乗せてもらうことはなかった。
1964年にピース・ピルグリムさんは、やっと25,000マイルを達成した。しかし、その後何年間 も彼女はそのまま継続して歩き続けた。テレビやラジオの番組に招かれたり、様々な団体からスピーチの声がかかるようになり、彼女はそういった依頼に応じながら歩くようになった。彼女が日頃か ら死については、「より自由な生へ 輝かしい変容」と述べていたが、その通りに、彼女が変容する日が訪れた。1981年7 月7日に彼女は、スピーチに招かれて乗せられた車がインディアナ 州、クノックス近くで正面衝突 して、彼女は即死したのである。「ピースさんは、常から即時性の変容を願っていたのです。彼女の望んだ通りになりました。」と友人の一人が語っている。
動画:
https://www.youtube.com/watch?v=6qRWhm2ShoA&feature=player_embedded
Posted by 愛知 ソニア at 13:42 │近代の女神たち