2015年2月12日
第46話 大師涅槃に入られ、観世音菩薩に封ぜられる
いよいよ、大師が涅槃入寂される時刻が来ました。大師は用意した香湯で沐浴浄身して法衣と頭巾を纏い、後事を保母と永蓮に託しました。
耶麻山麓に住む老幼男女の信者は、大師の涅槃入りを聞き、続々と玲瓏閣に集まって来ました。また保母が走らせた急使は、飛ぶようにして宮殿に向かいました。
この時宮殿の妙荘王は、昨夜見た変わった夢を思い出しながら、部屋の中で落ち着きも無く暗い表情で歩き回っていました。保母からの急使と聞いて、妙荘王は不安な表情を隠しもせず、直ぐに部屋に入れました。使節から「大師が今宵涅槃に入られます」と聞いて妙荘王は一瞬血の気が引いて顔面蒼白となり、肩を落として失望のどん底に突き落とされたようでした。
「矢張りそうであったか。退ってよい」
急使を退らせた妙荘王は、深々と椅子に倒れ込みました。実は昨夜、夢・現(うつつ)の中に大師と会ったのです。寝間に入って小半刻した頃でしょうか、枕元に一柱の菩薩が現れました。驚いてよく見ると、紛れも無く愛娘の妙善姫です。左手に浄瓶を持ち、右手に一枝の柳を持っています。姫は、父王に笑顔を見せながら
「父王様、私達は縁あってこの世で父娘に結ばれ育ちました。有難い事です。お陰で私は一心に修行に励むことが出来、ここに正果を成就して尊くも彌陀から『大慈大悲・尋声救苦・広大霊感・観世音菩薩』に奉ぜられました。これから三十二相に変化顕現して衆生の霊苦を救います。将来、父王様臨終の時にはお救いに参ります。どうか父王様も佛門に帰依し、罪業を清算して修行に尽くし、羅漢体を得て下さい。それでは、これでお別れします」
大師はにっこり笑い、妙荘王に深く揖礼して立ち去って行きました。妙荘王は呆然としていたが、はっと気付いて
「待っておくれ、妙善」
と大声で叫びました。叫んだ瞬間に目が覚めましたが、全身汗でびっしょりです。父と娘が別れるとは不吉な夢を見たと思い、夜が明けるに従って嫌な予感が走り、いらいらしていたところでした。
独り部屋に籠る妙荘王の胸に、色々な思い出が走馬灯のように流れます。幼くして母と別れ、花園で苦しみ、長じて白雀寺での労役、処刑と入山、須彌山行脚と苦難の多かった妙善、けれども魔難を克服して立派に成長した妙善、止め処も無く涙が頬を伝わります。やがて妙荘王は力なく立ち上がり、妙音と妙元姫を呼ぶように命じました。入って来た二人の娘に一部始終を語り
「早く行って、大師に別れを告げてくるが良い」
「父王様も参られますか」
と聞く両姫に、淋しそうな横顔を見せながら
「いや、わしは行かぬ。二人で行って、わしの代わりを務めてくれ」
と言いました。二人の娘は、父王は大師の涅槃を見るのが辛く悲しいに違いない、だから行けないのだと察して、強いてお勧めもせず、そのまま連れ立って金光明寺へ急ぎました。
金光明寺は何時の間にか大勢の人が詰め掛け、犇めき合って身動きも出来ないほどです。慈悲深い大師とお別れするために集まった人々ではあるが、また一面、涅槃の歴史的瞬間をこの目で見て子々孫々後世に語り継ぎたいという気持ちもあったのでしょう。殊に玲瓏閣の周囲は、人でぎっしり詰まっています。
妙音・妙元両姫は、急ぎ修房に入りました。大師を見た瞬間に感情が昂ぶり、涙で霞んで声も出ません。金光明寺晋山以来の再会が、涅槃入寂の日となりました。妙音・妙元姫にとっては、これ以上の悲しい事はありません。だが大師は、微笑みながら言いました。
「二方の姉君、喜んで下さい。私は、いよいよ今夜涅槃に入ります。生死別離は人の世の常、永遠に息むことがありません。昨夜私は自在を観じて菩薩道の極致、阿耨多羅(あのくたら)三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)を得ました。これでお別れしますが、悲しまないで下さい」
妙音姫は、悲しみを抑えながら訊きました。
「父王にお別れを告げないのですか」
「既に昨夜会ってお別れしましたからよいのです」
これを聞いた両姫は、父王の見た夢は事実だと知り、更に妹姫に対する尊敬の情を高め、姉妹の縁を結び得た幸運を喜びました。二人の胸に佛門に対する帰依の念いが突然のように込み上げ、思わず叫ぶように言いました。
「大師よ、私達二人も今から帰依すれば救われますか」
「今からでも遅いと言うことはありません。過去を懺悔し、我執を離れ、真心を以って修めたら得道の機会を得て人天を超越できましょう」
「では、今すぐ私達の帰依をお許し下さい」
大師は頷いて答えました。
「喜んでお受けします。それは、二人の姉君にとって最も喜ばしい事です。どうか今後は求法に専念なさり、正法を得て佛陀の説かれた四諦(苦・集・滅・道。苦・集は悪因悪果、滅・道は善因善果)の理を悟り、八正道(聖者の道。正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)を行ない、善果を修め、罪業を滅ぼして正しい如来の教えを遵守して下さい。私達が人界に姉妹として生まれ合わせた事も、深い因縁があります。姉君の夙世の善根は、浅からぬものがあります。妙音姉君は、やがて理・定・行を司り、妙元姉君は、やがて智徳・証を司り、共に一切菩薩の上首となり、常に如来の化導摂益の事を助成し、衆生の命を延ばし正法を宣揚されましょう。宜しく修行して下さい」
今度は、妙元姫が訊きました。
「父君は、心から非常に大師の事を思っておられます。父君にも、得道聞法の機縁がありますか」
「父君もやがては佛門に帰依しなければなりませんが、しかし今はその時期ではありません。それは
白雀寺で焼き殺した五百余名の比丘尼の生命を償った後になります」
三人が話し合っている中に何時の間にか日がとっぷりと暮れ、四方で焚かれた松明や篝火の焔が夜空に映えて、玲瓏閣を鮮やかに浮かび上がらせています。大師の部屋に多利尼が入って来て、準備が整ったことを謹んで知らせました。その後ろから老宰相アナーラが、悄然とした姿を見せました。
「大師、何故そんなに涅槃に入ることを急ぐのです。私は一体どうなるのです。私も職を辞して大師に帰依しようと思っていますのに」
「佛門に入ることは、在職・在家のままでも出来ます。帰依は象よりも心が大事です。宰相よ、私はそなたに大恩を受けています。そなたのお陰で、修行を全うすることが出来ました。将来は、必ずよい報いがありましょう。また、菩薩道を行ずる者の永き祝福と報恩を受けましょう」
「勿体ない。大師の御言葉を聞いて、将来に光明を見出しました。私は、終身必ず大師に帰依します。大師とお別れするのは一番辛いことですが、今此処で大師の涅槃を親しく見られることは終生の光栄です。玲瓏閣へ一緒にお供させて下さい」
老宰相の願いに、妙音・妙元両姫も共に願い出ました。大師は快く承諾し、静かに立ち上がりました。保母と永蓮が両側から寄り添って、奥殿へと進みました。その後ろに、多利尼・舎利尼・妙音・妙元姫、アナーラ宰相が続きます。
奥殿に入られた大師は、丁寧に彌陀と佛陀を拝してから、卓上にある浄瓶を両手で捧げ持ちました。奥殿から玲瓏閣にかけて、目を真っ赤に泣き腫らした比丘尼達が並んでいました。大師は、静々と玲瓏閣に登られます。下の広場には耶麻山麓の信者が、寂しさと悲しさを織り交ぜたような表情で土下座して待っております。大師は四方の群集に向かって、合掌しながら語りました。
「私の愛する比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)達よ。私はこれから涅槃に入り、南海の普陀落伽山へ参ります。今後は諸衆に接して親しく口で以って説法することは出来なくなりますが、肉体というものは早晩滅びるものです。私は既に正覚を得て、消滅の無い自在身を得ました。生死を超越したこの霊魂に、死という言葉は当てはまりません。私は、三界の衆生の霊苦を救うことを発願(ほつがん)しています。肉体のままでは、限られた数の人しか救えません。肉体を捨ててこそ、十方に遍く示現して、災厄や塗炭の苦しみを救うことが出来るのです。決して悲しみ嘆くことはありません。私は永遠に、あなた達の側に居て常に護っています。諸衆達は今後更に、大勢の人や子孫に語り継ぎなさい。もし無量百千萬億の衆生が苦悩・死厄に於いて救われざる時は、一心に私を求めなさい。さすればその憂苦の音声(おんじょう)に応じて即刻私が来て、その尽くを払拭し解脱させて上げましょう。大火に焼かれ、洪水に溺れそうな時、暴風に遭った時にも私を求めなさい。早速威神力を発して、その危難を救いましょう。大海で嵐に遭い船が沈没しようとする時、龍魚猛獣羅刹悪魔の害を受ける時、怨賊に囲まれ悪人に追われ高山より墜落する時、また刀兵乏難・囚禁・呪詛の害が及ぶ時、その他色々な苦しみや恐怖を受けた時には私を求めなさい。即座に威神力を発して、その災難を払い除けましょう。もし淫慾が多く、瞋恚が多く、愚痴が多い場合も私を求めなさい。忽ち、その念を取り除いて上げましょう。
私には、広大な智慧観及び慈悲の真観があります。常に願い常に望めば、無垢清浄な光があって慧日諸々の闇を破し、能く災の風火を伏し、遍く明らかに世間を照らしましょう。如何なる富貴貧賤の階級の人も、真心を以って罪を懺悔し、過ちを後悔すれば彼岸が待っています。苦海に窮まりはありません。一日も早く、無等等呪の正覚を証すべく目覚めて下さい」
大師の一言一句は、人の心に響き、聴く人を感動させずにおきません。群集は大師の最後の御言葉を一言も聞き洩らすまいと、真剣に耳を傾けています。大師の嘱咐が終ると、悲しく重苦しい静寂が辺りを包みます。ただ粉火の爆(はぜ)る音と共に、燃える松明の焔が大きく小さく風に揺れて荘厳な大師の姿を浮かび上がらせています。
説法を終えた大師は右手に柳の枝を持ち、これに浄瓶の水を付けて四方の群衆に振り掛けました。数回同じ事を繰り返してから、小声で偈を誦えました。
「甘露と法雨を散らして、汝等の煩悩の焔を滅す。
柳の枝の一払いを以って、水火風の災難を消除(のぞ)く。
凡ゆる所で吾を求めば、凡ゆる所で汝等に応う。
常に苦海に迷う衆生を、永く救い続けて終らず。
肉体や世の總ては亡ぶと雖も、真身の実相は常に滅びず」
大師は誦え終って右手と左手を交差させ、ゆっくりと椅子に腰を下ろしました。この時、突如空中から一条の光が射したかと思うや、大師の身体から金色の光が輝き、その身体は静かに空中に浮かび上がりました。跣足のお姿で左手に浄瓶、右手に楊柳を持ち、燦然と輝く大師の御法像は、金色の光に乗って上へ上へと昇って行きます。余りの尊厳さに大勢の群衆は騒ぐことも忘れ、掌を合わせてただ見送るばかりです。そのお姿も、やがて雲間に消えてしまいました。はっと気付いた永蓮が目を椅子に戻すと、そこには天界に消えた筈の大師が元のままのお姿でおられます。大勢の群衆も、閣上を見上げてどよめきました。保母が近寄って、御身体に触れました。
「大師は、涅槃に入寂されました。大師が・・・」
激しい嗚咽と共に保母の告げる声が群衆に届くや、今まで静寂を守っていた群衆は一度に堰を切ったように大声で泣き出しました。
時は九月十九日、何時の間にか半分に欠けた月が出て、常に変わらず塵界を照らしています。夜は深々と更け、一陣の秋風に音も無く散る枯葉、何時までもその場を離れようとしない群集の頭上で、今まで美しく輝いていた大きな星が流れるように青い尾を引きながら悲しく消えていきました。
本編(完)
観世音菩薩伝(後記)
この観世音菩薩の御真影は、砂盤を通じた予告どおり千九百三十二年十二月吉日、中国江西省東部の上空獅子雲中に示現されたものです。指示された時間と場所の空中に向けてシャッターを切った数十台のカメラの一つに、この映像が撮影されていたと伝えられています。これは妙善大師が昇天入寂された時、すなわち観世音菩薩として成道された時のお姿です。従って成道後の尊称は、大師から菩薩に変わり、菩薩道を極めた人の最高位となられました。
菩薩成道の感激的光景に立ち会ったアナーラ宰相は、保母様と永蓮様を伴い、妙音・妙元両姫に従って早速宮殿に参内し、大師の涅槃入りを妙荘王に詳細に報告しました。妙荘王は悲しみと良心の呵責に苛まれ、深く前過を懺悔しました。そして直ちに命を下し、菩薩のご遺体を香布で鄭重に包み、防腐の工夫を凝らした上で栴檀の大香木で特製した棺槨(かんかく。柩)に固く納め、菩薩の墓稜として改築した玲瓏閣にこれを安置させました。更にこの楼閣を大慈大悲観音閣と改称し、永遠に後世の香煙を享けさせるようにしました。また菩薩のお姿を後世に留めるため、一流の工匠に彫刻させた彫像を金光明寺の奥殿に供奉し、絵師に依頼して壁にそのお姿を描かせ、人々に菩薩に対する親近感を末永く抱き続けさせるよう配慮しました。国中に止まらず隣邦外地の民衆も早速これに倣い、寺院は勿論家庭の祭壇に菩薩像を祀り御生前のを讃えました。
菩薩が須彌山へ行脚された途中に立ち寄られた村や部落の人々、わけても菩薩の恩恵を蒙った人達は、大師入寂の報に接するや延々群を成して興林国へ巡礼し、懿徳(いとく)を偲んで心から菩薩の大乗慈悲心に感泣しました。そうして菩薩の大徳が、この人達の口伝によって、波紋が広がるように西域から須彌山の行程沿いに北天竺にまで鳴り響きました。菩薩の徳風威光は更に大乗信仰の人達によって全天竺から全佛教伝播の国々へと伝えられ、佛陀の教えを遍く各地に広めました。つまり佛陀の真髄を体得された菩薩は、大乗思想の気運を盛り上げさせ大乗佛教を一段と興隆させ、佛教の一層の伝播に大きく貢献しました。正しく佛教あっての菩薩でありますが、また菩薩あっての佛教でもあります。
金光明寺は、菩薩の遺命により保母様と永蓮様が住持を務めましたが、実務は専ら多利尼と舎利尼が勤め、二方は菩薩道に専心奉行しました。この二方は、菩薩成道の大功労者であります。
妙荘王も、その後佛門に帰依しました。上は王から下は庶民に至るまで固く彌陀を信じ、佛陀の教えと菩薩の訓諭を忠実に守り行なって怠りませんでした。妙荘王の佛門帰依には、次に述べるような動機がありました。
菩薩が入寂して二・三年後、突然大病を患いました。その病は普通の病と違って全身に瘡腫(そうしょう)ができ、腫物(できもの)が破れて血や膿が流れ出し肉が腐り爛れてその痛さは針で刺すようで、他に譬えようもありません。妙荘王の苦悶する形相は見るも凄惨で、八方に手を尽くして医者を集め治療させたが、薬功は全くありません。その中、昼は痛みで呻されるばかりでなく、夜になると数知れぬ亡霊・死霊が夢枕に立って悩まされるため、心身共にすっかり痩せ細り、見るも哀れな生きた屍となりました。このような忌まわしい空気が国中に漂っていた頃、一人の老医者が宮殿に現れて、妙荘王を診ました。
「この悪病を治すには、ぜひ自分の血縁に当たる人の目と指を薬と配合して飲む以外に術はありません。これは、焼き殺された五百余名の尼僧の怨恨が憑き纏っているためです。はっきり言ってこれは寃孽(えんげつ)の症状で、尋常の薬石で癒ることはあり得ません」
妙荘王は失望しました。血縁の繋がりがある者と言えば、妙音・妙元の二姫しかおりません。その二人も今は、佛門に入って菩薩道を行じています。譬え佛門に入っていなくても、目をえぐり指を切ることは出来ません。妙荘王は、自分に纏わる不吉な運命に身を任せようという一つの悟りに達しました。今までに犯した罪の報いであるなら仕方がない、自分が病み苦しむことにより加害された無数の寃魂が救われるなら、このまま苦しみぬいて死ぬことがせめてもの償いになると思い至って、きっぱりと老医者の勧告を拒絶しました。老医者は、妙荘王の真実の告白と懺悔を聞き終えると、急に目を輝かせながら
「驚きました。もはや絶望と診断しましたが、只今の懺悔と捨て身の願心によって急に容態が変わりました。癒す方法が一つ見付かりました。速やかに誰かを遣わして、大香山に登らせなさい。そこの精舎に目的とするものが置いてありましょう」
妙荘王は観念したのか首を振ったがアナーラは、松林精舎へは曾て大師を訪問したことがあるので自ら使いを買って出て、早速早駕籠を飛ばして大香山へ向かいました。往年姫を尋ねて大香山へ向かった情景がアナーラの心中を過ぎり、感慨正に無量です。松林精舎は、以前姫が絞首刑に遭った時、神虎が突然現れ姫を咥えて入った所です。
アナーラ宰相は松林精舎に到着するや早速門内に入って調べると、中央の卓上に小箱があり、ふたを取ってみると中に香布に包まれた両眼と指が入っていました。アナーラはこれを謹んで持ち帰り、老医者に確かめて間違いないと解るや早速治療を依頼しました。老医者がその眼と指とを薬に配合して施術したところ、不思議にも妙荘王が見る見る中に元気を取り戻し病気が癒えました。大いに喜び感激した妙荘王は恩賞を取らせようとしたところが、老医者は固くこれを拒み妙荘王に言上しました。
「実はこの指と眼は、王様の三番目の姫である菩薩のものであります」
妙荘王は、驚きの余り声も出ません。しかし本当だろうか、と一抹の不安と疑念を抱きました。顔色の変化を読み取ったのか、老医は
「信じなければ、観音閣に安置されている菩薩の御遺体をお調べになれば解りましょう」
と言って立ち去りました。
早速王が自ら観音閣に参って調べてみると、果たして老医が言ったとおり、菩薩の遺体から眼と指が抉り取られていました。妙荘王は痛ましさと、人の子としての孝心を失わない菩薩の厚い心遣いに痛く感動し、自分の犯した罪業の深さを益々痛感し世を儚んで城に戻らず、そのまま大香山の松林精舎に出家してしまいました。その後修行に励み正果を得て遂に「大荘厳善勝菩薩」に封ぜられ、国母寶妃も「大聖慈萬善菩薩」に加封されました。
その後王位は妙音様の婿である超魁様か、妙元様の婿である可鳳様かのどちらかに継がせるようにと命じられたが、二人とも妙音様・妙元様の強い感化力を受けているため堅くこれを辞退し、遂には出家してしまいました。困り果てたアナーラ宰相以下の大臣・高官が集まって相談した結果、妙荘王の弟であるシッタンタツ様を立てることにしました。この王弟も始めは堅く辞退したが、兄妙荘王と重臣達のたっての要望で已むを得ず王位を継承したのでした。かくして菩薩の感化力は、人を無慾にし譲り合うことを美徳とさせました。
シッタンタツ王は、菩薩の説法と行蹟を記述させてそれを経典とし、菩薩の大乗慈悲行を体して治国に当たりました。そして佛教を国教に定め、布教師を諸国に遣わし、佛陀の真旨と菩薩の真行を宣揚しました。
このようにして菩薩の有形無形の影響は人々の心の中に沁み込み、人徳を崇めるようにその心を感化しました。アナーラ宰相はその後一切の国務・政治をシッタンタツ王に返上し、妙荘王を追って大香山に登り出家して修行に励んだが、日浅くして没しております。
妙音様はやがて菩薩の遺言どおり大智師利文殊菩薩(だいちしりもんじゅぼさつ)となり、妙元様は大行能仁普賢菩薩(だいぎょうのうじんふげんぼさつ)に成果(じょうか)されました。
幼い時に国母を失って以来ずっと菩薩を愛し守り共に苦労をして来られた保母様は、菩薩保護の大功によって保赤君菩薩(ほせきくんぼさつ)に封ぜられ、また永蓮様は長年の菩薩随持の大徳によって持香龍女菩薩(じこうりゅうにょぼさつ)に封ぜられ、共に末永く菩薩の霊前に侍って離れることはありません。きっと無限永遠に菩薩に随って、世衆の厄難と業苦を救い続けられることでありましょう。
かの奇童であった畛英様も菩薩が入寂されてから翻然と悟り、これまた大香山の松林精舎に入って一心に修行に励みました。本性は聡明で霊気に優れていたので参悟も頓に早く、普通人の遠く及ぶところではありません。功徳円満となった後は善財童子に封ぜられ、菩薩の蓮台の下に収められました。
その後耶麻山の金光明寺は尼僧寺として発展し、大香山の松林精舎は比丘尼達の寺院として規模も共に大きく膨らみ、勤行に精進する人は日に日に増加の一途を辿って行きました。
人類が歩んで来た永い歴史を通じて菩薩の庇護と保佑を受け、慧光と慈愛を享けた人は何十億何百億あったか分かりません。仮令日月の光が潰えることがあっても菩薩のは滅することなく、また減ずることもなくその威神霊は遍く拡がり、その威光は大きく輝いて世人を照らし、その御意思は後代に受け継がれて青史に馨り続けられましょう。
正しく菩薩生誕の時に老翁が予言したとおり、菩薩は人世を化して佛國としました。一度に咲いた華が一度に散るように菩薩の人間生活は僅かに十数年の短い期間でしかなかったが、百年生きるよりも価値があり、千年生きて勤める以上の大きな聖事を果たされたのであります。
観世音菩薩には、千手・千眼、聖、馬頭、十一面、准胝(じゅんでい)、如意輪の六観音の化身のほか、楊柳、龍頭、持経、圓光、遊戯、百衣、蓮臥、瀧見、施薬、魚藍、王、水月、一葉、青頚、威徳、延命、衆寶、岩戸、能静、阿耨、阿摩提、葉衣、瑠璃、多羅尊、蛤蜊、六時、普慈、馬郎婦、合掌、一如、不二、持蓮、麗水観音等の分身があります。時と場合に応じて菩薩はこれらの分身に変化し、随地に色身を示現なされては人々の苦難を助けておられます。これら何れのお姿も、世を愛し衆生の霊苦を解脱させるために顕現されたのであります。菩薩のお働きが余りにも大きいため後来経典の上にその状況が無限に表現され、そのが讃えられました。その一例として『観無量寿経』の中に
「この菩薩の身の丈は八十萬億那由他由旬(*)で、身は紫金色、頂に肉髻(にくげい)あり、頚に圓光あり。面は各百千由旬、その圓光中に五百の化佛あり、釋迦牟尼佛の如く一つ一つの化佛に五百の化菩薩あり、無量の諸天が以って持者となり、挙身光中、五道の衆生、一切の色相みなその中に於いて現ず。頂上の毘楞迦摩尼寶(びりょうかまにほう)は以って天冠となす。その天冠中に一立化佛あり、高さ二十五由旬なり。観世音菩薩の面は閻浮壇(えんぶだん)、金色の如し。眉間の毫相に七寶色を備え、八萬四千種の光明を流出す。一つ一つの光明に無量無数の化佛あり、一つ一つの化佛は無数の化佛を以って持者となす。変現は自在にして十方世界に満ち、譬えれば蓮華の色の如し云々」
とあります。
菩薩のは人類の続く限り絶えることなく人々の魂の中に刻み込まれ、菩薩信仰は限りなく盛んになりましょう。菩薩は婦人として最高の道と法を得られたお方であり、最上の道徳を歩まれたお方であります。素直で清純で汚れを知らない山奥の谷間に咲く美しい紫蘭の花のように、遠くからでも近くからでも美しく芳しい香りを漂わせており、富貴に生まれて富貴に染まらず、栄華に生まれて栄華に汚されない麗しい大慈大悲の菩薩、一切の苦厄と魔障を救脱される菩薩、福徳智慧の圓満なる菩薩は、永遠に窮まりなく変化して三界十方の衆霊を救い続けられることでありましょう。実(げ)に菩薩は、過去の衆生だけでなく、現在・未来を通じて永遠に衆生の救星になられることでありましょう。慈悲に満ちたその温かい御相貌は、人類の究極理想とする母親であり、尊敬し崇拝して止まない偉大なる萬世の師表でもあります。
(*)我が国および中国など漢字文化圏では、数の単位としては一萬(万)刻みに大きな数を表わす事が慣わしとなっています。小さい方から順に示せば、萬・億・兆・京(けい)・垓(がい)・溝(こう)・潤(じゅん)・正(せい)・載(ざい)・極(ごく)・恆河沙(ごうがしゃ)・那由他(なゆた)・阿僧祇(あそうぎ)・無慮(むりょ)・大数(たいすう)・不可思議(ふかしぎ)となります(垓の所またはその次に、稀・穣を入れる説もあります)。つまり那由他は非常に大きな数を表わす単位で、一那由他は一の次に〇が四十八個付いた数です。これは一億を六回続けて掛けた数に相当し、大宇宙に存在する総ての星の数よりも遥かに大きな数です。
由旬は古代インドで用いられた長さの単位の一つで一由旬は約十一キロメートル、あるいは十四キロメートル余りと言われています。中国では六町を一里として三十里または四十里、あるいは十六里に当たるとされています。
最後に、恐らく誰もが疑問に思われる数々の化身をされた老人、長眉の老翁、百衣老僧、予言者白髯老人或いは老医師等の御本体は燃燈古佛の化身されたお姿でありました。仙佛は時運に応じて、随所に分霊化身されます。諸佛祖の顕現護庇があってこそ、始めて菩薩の成道がありました。これも無量の寿命・無量の光明であられる彌陀の御配慮と慈悲深い本願と存じ、深く礼拝感謝を捧げる次第であります。
(完)