2015年2月11日
第44話 奇童、計を使って浄瓶に柳の枝を挿す
その後、大師は老翁から授かった浄瓶を奥殿の壇卓の上に安置し、独り修房に籠り結跏趺坐して内功の修行を続けられました。この日から誰ともなく金光明寺の屋上に、夜になると金色の光が燦然と輝き大光明を放つのを見た、と言う話が至る所に拡がり、大師の法身は神通無礙になられたということで、人々の心の中に大師の菩薩道に精進成就されることの祈願が一層深く込められるようになりました。
一方、寺院の衆尼は、誰もがこの白玉浄瓶の由来を知っていますので、敬虔な気持ちで朝晩仕えて怠りありません。永蓮は、毎日比丘尼達から浄瓶の消息を聞いて、常にその変化に備えていました。
こうして何事もなく、一か月の光陰が過ぎ去りました。その頃、畛英(しんえい)と呼ぶ十二・三歳の使い走りの小坊主が金光明寺に来ました。非常に剽軽(ひょうきん)で明るく、よく冗談を言ったり、おどけたりして絶えず比丘尼達を笑わせていました。時には大真面目な顔で嘘を吐き、正直な比丘尼を驚かせることもあります。この畛英も浄瓶の由来を人から聞いて知っていたが、まだ子供であるうえ、何時まで経っても浄瓶に柳の芽が生えないので、だんだん浄瓶の話が信じられなくなってきました。当然の理として、誰かが瓶の中に水を入れたり柳の枝を挿さない限り、自然に水が湧いたり、柳が芽生える筈がない、と畛英は思い込むようになりました。
ある日、奥殿の前を通り掛かった畛英は、壇卓の上に安置してある浄瓶を見て、ふと悪戯心が湧きました。私が水と柳の枝を入れてみよう、と思い付いたのです。子供らしい戯れの心が、大変な結果を招くとは露ほども知りません。早速様子を窺ってみると、比丘尼達が始終出入りしていて、とても中に入り込めそうにありません。それではと夜になって忍び込もうとしたが、夜番の比丘尼が交代で勤行しており、これも叶いません。深い悪気があってしようとするのではなく、ただ皆を驚かせよう、どんな表情で驚くだろうか、という軽い気持ちからの思い付きであったが、三か月が過ぎても付け入る隙がありません。こうなると子供心にも意地を張り、どうしてもやってやろうと真剣に考えるようになりました。
こうしている中に一つの計画が思い浮かび、早速実行に移しました。先ず畛英は山に入って楊柳の枝を手折り、誰にも気付かれないように一桶の水と楊柳の小枝を持って奥殿の隣部屋に入り、そっとこれを隠しました。それから別棟の薪木(まき)小屋に行き、枯れ草に火をつけて、素早く元の隣部屋に戻り身を潜めました。火は折からの風に煽られ、薪木に燃え移り大きく広がって行きました。通り合わせた比丘尼がこれを見て、大声で
「火事です。火事です」
と騒ぎ立てたので、寺中の比丘尼が手に手に水桶を提げて薪木小屋に集まって来ました。奥殿にいた比丘尼も、もちろん飛び出して来ました。
これを待っていた畛英は、隣部屋に用意していた水と柳の枝を持って素早く奥殿に忍び込みました。壇卓に近付くと、飛び上がって浄瓶を掴み、中に水を注ぎ入れ、楊柳を端整に活けました。終ると、気付かれないように布巾で卓上を拭い、足跡を消し、用意してきた水桶を提げて火事場に駆け付けました。桶を提げて火事場に駆け付けた畛英を誰も疑う者も無く、むしろ消火を手伝った労をねぎらうほどでした。畛英は上手く行ったと喜び、後で起こる騒動に大きな期待を掛けて胸を膨らませました。皆の話が本当なら、この日が大師の涅槃に入られ成佛される日だ、果たして如何なる結果になるだろう、私の悪戯と知らないから皆は驚き慌てるだろう、色々な事を想像して独り楽しんでいました。しかしその夜は、火事騒ぎに疲れたのか、比丘尼は誰も奥殿に行かず、それぞれ自分の修房に帰りました。畛英の予想は外れ、その夜は静かに更けて行きました。
第45話 大師、比丘尼達に最後の説法を行なう
その翌朝、何時ものとおり三人の比丘尼が奥殿に入って来ました。朝の掃除が始まりました。三人の比丘尼達は期せずして卓上の浄瓶を見て、自分達の目を疑いました。浄瓶に水が満ち、青々とした楊柳が生えているではありませんか。両眼を擦ってみたが、夢ではありません。三人はその場に座り込んで、暫くの間呆然自失した状態でした。軈て一人の比丘尼が気を取り直して浄瓶の側に寄り、手で触れてみてはっきりと確かめました。幻でもありません。事実です。三人の顔は喜びに変わり、清掃道具を放り出して、一目散に注進に駆け出しました。信じていたが、まさかこんなに早く現実に成佛する日が来るとは、誰も想像をしておりませんでした。しかも、生死を解脱した佛道最高の涅槃に入られる目出度い日です。夢中で駆け出して行く三人の向こうから、摘み取ってきた花を持ち静かに歩いて来る永蓮に危うく衝突しそうになりました。
「何事です。寺院の中では、もっと落ち着いて静かに歩くものです」
永蓮の厳しい声に蹈鞴(たたら)を踏んで立ち止まった三人は、興奮した声で次々に言いました。
「大変です。浄瓶の中に柳が生えました」
「水も一杯入っています」
「本当です。この目で確かめました」
これを聞いた瞬間に永蓮の顔から血の気が引き、目の前が昏くなり掛けたが、気を取り直し三人の比丘尼に確かめてから
「そなた達は、この花をお供えしておくれ。私は、大師にお知らせに参ります」
手に持った花を比丘尼達に渡し、引き返して行く三人の後姿を見送ってから永蓮は、荘厳な気持ちになって大師の修房に向かいました。こんなに早く成道されるとは、喜んでよいのやら悲しんでよいのやら、心が複雑に揺れ動きます。大きな願望の実現と大師にお別れしなければならない悲しみが入り混じり、永蓮の心は千々に乱れます。修房に入ると大師は、保母と向かい合いながら何事か話し合っていました。永蓮が口を開こうとするより先に、大師が話を切り出されました。
「永蓮よ、そなたに話したい事があります」
静かな語調の中に、重大な響きを持っております。永蓮は不安に胸を押さえながら
「何でございましょうか。私も、大師にお話申し上げたい事がございます」
永蓮の縋り付くような瞳を優しく見返しながら、大師は答えました。
「浄瓶に水が湧き、柳が生えたことでしょう」
「どうしてそれを御存知なのですか」
「いよいよ私は、今日涅槃に入ります。昨夜私が冥想している時、白蓮が満開になったのを観じたのです。もう、この身体を捨てて往きます」
保母の啜り泣きが聞こえます。永蓮は、答える術を知りません。暫く萬感の思いを抱いた大師は
「長い間そなた達二人と苦労を共にして来ましたが、これでお別れです。私の仕事は、これから益々忙しくなるでしょう。世の中の諸法は無常です。一日も早く解脱して、四方の生民を塗炭の苦しみから救わなければなりません。私が涅槃に入った後は、保母と永蓮が私の後を引き継いで後修を導き、更に修練に精進して下さい。諸々の人に善法を施し、佛陀の真伝を説き聞かせ、煩悩と顛倒を除いて上げて下さい。切に頼みます」
永蓮は沈痛な面持ちながら、意外に落ち着いて答えました。
「大師様。御成道をお喜び申し上げますが、私達は今後大師の恩恵と説法を受けることが出来ません。どうすればよいのでしょうか」
「永蓮よ。悲しむべきではありません。人身は一時的なもの、霊魂は永遠のものです。菩提薩埵の法身は常にして滅びることなく、永遠にそなた達と共にありましょう」
静かに話し合っていたところに、あの三人の比丘尼が浄瓶に柳が生えたと知らせたのか、大勢の比丘尼が大師の修房に押し掛けて来ました。多利尼、舎利尼も部屋に入り、永蓮の後ろに跪きました。重苦しい空気が流れて、しわぶき一つありません。涅槃に入るという喜ぶべき日であるのに、誰も喜ぶ人がおりません。誰もがやがて別離せねばならない大師への慕情と哀愁で胸が詰まり、喜びの気持ちがどうしても湧いてこないのです。皆は言葉も無く、俯いて泣くばかりです。
この様子を後ろのほうで窺っていた畛英は、さてこれからどうなるであろうかと、身を乗り出して見ていました。大師は畛英のほうに僅かに目をやったが、構わず皆に語り掛けました。
「親愛なる比丘尼衆よ。皆も承知のとおり、浄瓶に水が満ち楊柳が生えました。これは或る機会を借りた彌陀の思し召しと佛陀の権化です。やがて楊柳は私が世間一切の苦厄と災難を払い除けるための慈器となり、浄水は甘露の法雨に変わりましょう。世の中に苦悩と災難が続く限り、この楊柳と浄水は衆生の良医となり心の病を癒すでありましょう。私の往生は衆生済度の第一歩であり、世が続く限り人類に佛法の奥義を与える機会になります」
保母の胸は張り裂けそうになり、思わず叫びました。
「大師様。今しばらくお待ち下さい。悟りを開かれていない人々がたくさんおります。これ等の人々を教え導いてから涅槃に入られても遅くはありますまい」
多利尼も、泣きながら言いました。
「現在私達が大師とお別れすることは、生身を裂かれるよりも苦しく切ない思いです。いや私達だけでなく、この世界から太陽が無くなるのと同じです。全民衆の悲しみです。もう暫くお待ち下さい」
大師は慈しみの目で皆を優しく眺めながら言いました。
「親愛なる比丘尼諸衆よ。涅槃は、自然に課せられた因縁です。時は既に熟しました。人間、肉体を有する以上は、早晩死を避けられません。私は自分の身体の為すべき事は全て果たし、行なうべき事は尽く行ないました。たとえこの肉体を捨てても、皆さんを教え導くことは出来ます。そなた達から大衆に言い聞かせて下さい。無量百千萬億の衆生があって、諸々の苦悩や煩悩を受ける時、恐怖受難の時、救いを必要とする時は私を求めなさい、と。私の法身はその身辺に来て護って上げましょう。佛門を奉ずる人は、驕慢を戒め、正しい心意を持ち、深い智慧と清静な霊気を養い、貪欲や瞋恚、愚痴を戒め、貧富老若の分け隔てなく正しき真理を説き正しき法を伝えなさい。咒文や法術などを使って、衆を惑わしてはなりません」
説法する大師の顔色は艶々としており、とても今すぐ涅槃に入られる人とは思えません。しかし大師の言葉は一言一句人の心を打ち、別離の悲しみは更に深まるばかりです。余りにも悲しい別離の場面を見ていた畛英は、自分の犯した悪戯の罪が恐ろしくなり、突然耳を劈(つんざ)くような大声で泣き出し、大師の側に駆け寄って
「大師様。お許し下さい。全て私の悪戯です」
床に頭を打ち付けて泣きじゃくりながら謝る畛英に、人々は驚きましたが、何の事か分かりません。大師は温かい眼差しで畛英を見ながら、優しく論(さと)しました。
「畛英よ。哀しまないで良いのです。そなたの心の動機は彌陀の所願であり、佛陀が与えたものです。気にする事はありません。しかし今後は、怪異を慎み、軽妄を戒め、邪心を捨て、具足戒を持して修行するように心掛けなさい。決して虚偽や妄語を発して人々を惑わしたり誑かしたりしてはなりません。
修行の要素は、身・口・意の三業にあります。身は殺・盗・淫の三戒を守り、口は妄言・綺語・両舌・悪口の四戒を守り、意は貪欲・瞋恚・愚痴の三戒を守って、これらを放縦にせず抑制し、精進して業根を折伏(しゃくふく)し、諸々の罪過を無くして涅槃に親近する行に努めるべきです」
畛英は、自分の悪戯から大師をとうとう涅槃入りさせてしまった、と身を震わせて泣きました。さながら不孝な子が死に往く慈母に取り縋って泣いているようで、満座の人を泣かせました。大師は普段と変わらない様子で、今後の修行のあり方について説法を続けました。大勢の比丘尼は、これが最後の説法と知り、悲しみを抑え、耳を欹(そばだ)て一生懸命聴きました。
「菩薩行とは上に妙理を求め、下に衆生を済渡することです。私は無量劫を経るとも伝法救霊の行を続けるという、海のように広大無辺な弘誓を発しました。諸々の方所に応じて諸有の苦を滅し、水火風の災難を消滅し、縁・無縁を問わず時に応じて無量の苦を救いましょう。菩薩道を成したならば、久遠の大光明が得られます。永遠の生を享けた人には寿限は無く、天地萬物や人類が続く限りその上に居し、その中に与(くみ)し、その消滅や消長や変化に遭っても変わらずに存在し、後世の人々の心の中で生き続けていくことでしょう。
佛法は、永遠に滅びることはありません。法身も、永遠に死にません。天地日月が壊れても、法身の実相は極楽に留まって絶えることのない法悦と快適を享けられます」
大師の言葉が止まるのを待ちかねたように、永蓮は覚悟を決めて問いました。
「大師は、何時ごろ涅槃に入られますか」
「日暮れから夜に掛けてです」
「何処で涅槃に入られますか」
大師は暫く考えておられたが、顔を上げて
「玲瓏閣がよいでしょう。多利尼よ。そなたご苦労ですが玲瓏閣に行って、辺りを綺麗に清掃し、道場を構えるように取り計らっておくれ。それから中央に椅子を一脚置くことを忘れないように」
多利尼は流れる涙で顔を上げることができず、頭を垂れたまま畏まりました。暫く静寂が流れ、再び大師は語り始めました。
「凡そ修行には、苦労や艱難は付き物です。皆も終始不退転の心を固めて、正法を求め続けることです。怠惰や傲慢の意念を起すべきではありません。心して修行して下さい。
比丘尼衆よ。私と縁あることを喜びます。これから修行する人に、よく言い聞かせるがよい。私は未来永劫、私を信ずる人と共にありましょう。真の危難に遭えば、心を定めて私を念じなさい。必ず妙智の力を以って、世間の苦を救いましょう。神通力を具足し、広く十方の諸々の国土に刹に身を現じないことはありません。種々の悪趣、地獄、鬼、畜生、生老病死を滅してあげます。固く信じて努々(ゆめゆめ)疑うこと無きように。
では私は、これから涅槃に入る準備をしましょう。舎利尼よ、そなたは盥に香湯を入れて運んで来ておくれ」
語り終わるやそのまま瞑想される大師の姿を見てどうすることも出来ず、大勢の比丘尼は悲痛な面持ちでその場を引き下がりました。保母と永蓮は、修房に戻ると、大師の為に荘厳な法衣と頭巾を用意しました。布作りの履物も用意したが、大師は平常どおり跣足のまま涅槃に入りたいと言われたので、大師の意志を尊重して履物を揃えるのは止めにしました。
次回は最終回です。