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観音菩薩伝~第32話  砂漠の遊牧民、大師の一行を泊める、 第33話 糯米を施して小児の病気を治す

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2015年2月5日

 

第32話  砂漠の遊牧民、大師の一行を泊める

 翌朝、家人のもてなす御馳走を受けた後、須彌山への道順を詳しく聞いた大師一行は、塞氏堡を出発しました。須達は、大勢の村人を引き率れて、村外れまで送ってきました。村人達は別れを惜しみ、もっと佛法の奥義を教えて欲しいと頼みましたが、大師は

「将来、得法して正覚成就後には、必ずもう一度この地に参ります」

と約束され、両手を合わせて謝意を表わし、保母と永蓮と共に白象の背に乗り、村人達に別れを告げ西に向かって進みました。これより後、大師は正覚成就まで素足で過されました(どの菩薩像を見ても履物を召されていないのは、この故事に由来します)。

 一つの決心は大師の永遠の歴史となり、一つの考えは大師の正覚を成就する鍵となりました。その決心と考えは何れも苦行を体験してこそ浮かんでくるものであり、今の大師には一つ一つの辛苦と艱難は尽く開悟の動機となるのです。この度の受難は、大師にとって代え難い貴重な収穫となりました。とは言え、余りにも痛々しいお姿であります。

 西へ西へと進んだ一行は、広い砂漠に出ました。草木もなく連綿と連なる砂丘ばかりの荒野に、道も隠れて方向も見失いがちです。朝から昼まで歩いても限りなく、象の背には強烈な太陽が容赦なく照りつけるばかりです。その上重い白象の足は砂に深くめり込んで、遅々として進みません。

「大師様、見渡す限り、渺茫たる砂丘は尽きることがありません。白象の足でどんなに歩いても、一日に幾らも進むことはできません。今夜は、何処にお泊りになりますか」

「永蓮よ、心配しなくてもよい。前に向かって歩くだけです。日暮れになって寝(やす)む場所がなければ、砂漠の中で夜を過しましょう。行者は時に臨み場所を選ばず、我が身をそれに順応させればよいのです」

 永蓮は大師の言葉を黙って聞きましたが、心中の不安は隠せず、真剣な表情で砂漠の彼方に目を凝らしていました。

 夕方になると、それまで好い天気であったのに風が急に強まり、砂塵が吹き荒れて前方が見えなくなりました。三人は白象から降り、白象を坐らせ、暫く車座になってその場に蹲(うずくま)り砂嵐を避けることにしました。

 小半刻ほどで砂嵐は治まりましたが、辺り一帯の砂丘は変形し、方向が全く分からなくなってしまいました。どちらに進んでよいのか分からず三人が困っておりますと、今まで大人しく坐って待っていた白象が鼻を背中に廻して、三人に乗るように促しました。三人を乗せた白象は、方向を定めたと見えて、ゆっくりと歩き始めました。

 砂漠に足を取られながらも白象は一歩一歩足を踏みしめるように進みますが、歩行は困難で、三人は気が気ではありません。大師は不憫に思われて、白象の首を優しく撫でながら

「白象よ、これ以上そなたに負担が掛かってはいけません。私達は降りますから、一緒に歩きましょう」

と言われました。大師の言葉が分かったのか、それでも白象は鼻を力強く高々と挙げ大丈夫というような動作を示して歩き続けました。

 月夜の砂丘を白象の歩みに任せて進んでおりますと、前方に忽然と天幕が見えてきました。人影も見えます。多分、遊牧の民でしょう。大師は、二人に「前方に人影が見えますよ」と教えました。二人の目にも人畜の群れが映りました。

「本当に、人も馬も羊もいる」

 二人は、声を弾ませて喜びました。野営している群れも、白象に乗って近付いてくる三人に気付いたのでしょう。大勢の人が駈け寄って来ます。白象から降りた大師は、酋長と思しき人に近付いて慇懃に揖礼し

「私は金光明寺に住む妙善と申すもので、同修二人と共に須彌山に詣でる途中であります」

と名乗りますと、一群の民は、金光明寺と聞いて意外にも、一斉に平伏して大師を拝みました。三人が訝しげに顔を見合わせておりますと

「これは、興林国のお姫様でございましたか。またどうして、こちらに参られたのですか。私達は、興林国西方の国境に住む加拉(カラ)族でございます。遊牧生活のためあちこち旅をしておりますので、お姫様の事は常々お伺いしております。今日偶然にもお会いすることが出来ましたのは、光栄の至りでございます」

 酋長は心から尊敬の念を面に表わし、三人を草葺の小屋に案内しました。白象は、小屋の入り口に座り込み番役を務めました。三人も砂漠の中で加拉族に出遭えるとは思いも掛けず、大変安堵しました。酋長は以前から大師の修行を洩れ聞いていたので

「こんな所で高貴なお方にお会いできたのも、佛法のお蔭でございます」

と感謝の意を表わしていましたが、佛法への関心よりも、本心は王女と親しく対面できたことにあるようです。

 興林国は土地が肥沃で農業を立国としているが、周辺は高峻な山脈と北には広大な砂漠が控ええているため、夏は極端に暑く冬は極端に寒い地域であり、住民の中には、夏は涼しい高原地帯へ、冬は暖かい砂漠の草原地区へと移動する生活を送っている遊牧民族も幾程(いかほど)かあり、加拉族もその中の一族であります。

 大師が案内された特別に大きな草葺の小屋は、作りも大変しっかりしていて綺麗に調度されていました。大師等は今まで遊牧民の生活を聞いてはいましたが、直に接するのは初めてです。大師は、修行の身になってこそ体得できた機会を喜びました。西域の発達はこのようなオアシスの集落が徐々に地域社会を形作り規模を大きくしていったのですが、この頃はちょうどその発祥期ともいうべき時代でした。遊牧民とは言え加拉族は、心豊かな温良な部族で、様々な産物を方々で栽培していました。

 暫くして遊牧民の婦人達が、三つの大盥に水を入れて入って来ますと

「どうぞ、これで御身体をお清め下さいませ」

と勧め、三人の衣服を小川の中で洗わせていただきたいと願い出ましたが、永蓮は丁重に辞退して自分で小川まで行き三人分の洗濯をしました。

 洗濯した衣服を火で乾かしておりますと、外で騒がしい声がしてきました。何事であろうと婦人に訊きましたが、笑って答えません。その中に礼装に身を固めた酋長が、恭しく入って参りました。

「食事の準備が整いました。どうぞ、ご一緒においで下さい」

 三人は好意を受け入れ、請われるままに、更に一段と大きな小屋に行きました。酋長は、やや得意そうに戸を開き、三人を招じ入れました。三人は小屋の中に置かれた食卓を一目見て、気も転倒するばかりに驚きました。卓上一杯に、牛や羊などの焼肉がずらりと並べられていたのです。

「大師様、遠路の旅でさぞ空腹でございましょう。心ばかりの食事ですが、どうか十分に召し上がって下さい」

 佛門は殺生を戒め肉食を一切しないことを知らない酋長は、精一杯の御馳走を作って客人を饗応したい一心です。満腔の誠意を籠めて、坐に着くように勧めました。大師は戸外に佇みながら心の中で、私のために罪なことをしてしまった、と悔いました。そして、穏やかに言いました。

「酋長よ、そなたの親切に感謝しますが、私は生まれてこのかた肉食をしたことがありません。ここにいる保母と永蓮も、佛門に帰依して以来ずっと斎食(さいじき)です。修行は罪を懺悔する心を持し、清浄なる物を口にして殺害を好みません。生物の食を禁じ、放生(ほうじょう。捕らえた生き物を放したやること)を好みます。どうぞ、全部片付けて下さい」

 これを聞いて酋長は驚き、困惑してしまいました。

「知らぬ事とは言え、大変失礼いたしました。しかし、この地方は野菜、果物は何一つ採れない処です。どうしましょう」

 一生懸命大師に喜んでもらおうと準備したのに何一つ食べてもらえず、酋長は大変気落ちしてしまいました。余りの落胆振りに、見かねた永蓮は

「ご案じ下さいますな。私達は塞氏堡を発つ時、堡官様から食べ物を頂いて持ってきております」

と慰めました。これを聞かれた大師は

「それは、何時頂いたのですか。どうして私に知らせなかったのです」

「はい、村を出る時に、大師様に知られると受け取って下さらないかも知れないから私に持って行って下さいと言われ、私は押し返しましたが是非にと言われ、止むを得ず受け取ったのです」

「その時に言ってくれれば、私から御礼申し上げたのに」

「済みませんでした。草鞋の事もあって堡官様から言うなと固く口止めされましたので、大師様に代わって私が厚く御礼申し上げておきました」

 大師は永蓮の好意を察してそれ以上何も言わず、酋長に向かい

「行者は本来食を貪らず、斎食する者は本来午時を過ぎては食事を摂りません。私達は晩には軽食を摂るのみにしておりますので、ご安心下さい」

と礼を述べ、小屋に引き揚げました。酋長は気が咎めて夫人に羊乳を準備させ、三人の小屋に運んで来させたので、酋長の厚意を謝しそれを飲み干しました。

 翌朝、三人は加拉族の一行と別れ、一路南に向かって出発しました。遊牧民は道の両側に並んで、一行が見えなくなるまでずっと見送りました。こうしてまた砂漠を数日間歩き続けましたが、今回の旅では加拉族が同族に連絡をしたのか、あるいは遊牧民族の共通した親しみからか、黄昏時になると決まって遊牧民が現れ、宿舎や飲食の歓待をしてくれました。また遊牧民に出会わない時には無人の小屋が見つかり、その近くには雑木林や泉などのオアシスがあって困ることがありませんでした。三人は、これも彌陀と世尊の御加護によるものと信じ、厚く感謝しました。 

      

第33話 糯米を施して小児の病気を治す

 砂漠の旅は艱難辛苦の連続でしたが、やがて三人の行く手に山影が見えてきました。これでいよいよ須彌山に行けると、三人は歓喜の顔を見合わせました。白象も、嬉しそうに鼻を鳴らしています。ようやく山麓に近付きました。遠くの方に、百数十戸余りの人家が見えます。陽が沈み夕闇が迫ってきたので、今夜はこの部落で泊めてもらおうと思い、三人は白象を村外れの大樹の下に休ませて部落の中に入りました。

 日は暮れて人々は、家の中に入ったのでしょう。人影もありません。少し行くと、大きな門構えの家の前に出ました。村でも、裕福な家に違いありません。この家ならば一夜の宿をお願いできるであろうと思い、入り口に立ちました。門の側を見ると、一人の老人が座り込んでいます。見たところ七十歳位の老人で、顔に皺が寄り、憂いを含んで呆然と地上の一角に視線を落としたまま動こうともしません。深刻な表情で何事を考えているのか、三人が来たのも気付かない様子でしたので、永蓮が声を掛けました。

「ご老人、ここで何をしていなさるのですか」

 頭上からの突然の声に驚いた老人は、顔を上げ訝しげに三人を見ながら

「どちらの比丘尼かな。何の用事で来られたのかね」

 大師は、丁重に合掌して言いました。

「突然驚かせた罪をお許し下さい。私達は興林国の生れですが、願あって須彌山へ求法に出かける途中の者です。ちょうどご尊宅の前を通り合わせたので、一夜の宿をお願いしようとして参りました。明朝早く発ちますので、よろしくお願いいたします」

「それは悪い時に来ました。以前ならば一夜と言わず十日でも二十日でも差し支えなかったのですが、今はもうだめです。どこか別の家を訪ねて下さい」

「何か事情がおありのようですが、よろしければお聞かせ下さい」

「行者さんだから話しても差し支えありませんが、今夜の泊まりは無理かと存じます。実は私の主人、律芸(りつうん)は昔から善行を好み、常々困っている人を助け、貧乏人には財物を施し、行者には礼を尽くし、自らは信佛念経をして数十年変わることがありません。長い間子供がなかったのが最近やっと男の子が生まれ、これも善根の報いと村を挙げて祝福したのですが、どうした事か十五日ほど前に突然病気に罹り、医者や大夫を招いて治療させましたが一向に効き目が顕れません。権威ある老医によれば、この病気を治すためには三合の糯米(もちごめ)で重湯を作り、それを飲ませた上に薬を服すれば必ず治ると言うのです。しかしこの地方では稲は成長することができず、麦と豆だけしか穫れません。米を手に入れるには、どうしてもこの天馬峰(てんまほう)を越え、さらに碧鶏河(へきけいが)を渡ってその先にある瑠璃城(るりじょう)まで行かなければなりません」

「では、そこまで行って求めてくれば良いではありませんか」

「尼僧方は何もご存じないからそんなに簡単に言われますが、この天馬峰には何処から来たのか知りませんが頭に斑模様のある四頭の猛虎が何時の間にか棲み着くようになり、山越えの人を襲って食い殺すので誰も恐れて山越えをする人がありません。それ以来、この村は孤立してしまいました。従って瑠璃城に糯米があっても、猛虎の加害を恐れて、行く人はおりません。それがために子供は日に日に痩せ細って、今では見る影もなく、可哀そうに只死を待つばかりで、主人の憂悶している姿は見るに忍びない状態です。ですから、とても行者をお泊めする心の余裕は無いと存じます。このような訳ですから、別の家を当たってみて下さい」

 苦悩に満ちた老人の頬に、止めどなく涙が走ります。

「善哉(よいかな)、善哉、老人よ、そなたは悪い時に来たと言いましたが、私はよい時に来たと思います。これも法縁の定めでしょう。直ぐご主人に伝えて下さい。私達は、糯米を持ち合わせています。これで坊やの命が救われるならば、出家人として望外の喜びです」

 これを聞いて老人は、夢かとばかりに飛び上がって喜びました。絶望の淵に沈んでいた人が、急に希望を見出したものですから、その驚きと喜びはとても一口で表現できるものではありません。よもや嘘ではあるまいかと、老人は「本当ですか」と訊き直しました。

「出家人は、偽りを申しません」

 老人は狼狽してどうしてよいか分からないようでしたが、やっと気が付いたように一目散に家の中に駆け込みました。

「御主人様、糯米が来ました。いや、行者が来て、糯米を下さると申しております」

 息を切らして、しどろもどろに言う老人に律芸は

「何、糯米がどうしたと言うのだ」

 老人は、大師のことを一部始終話しました。律芸にとってはとても信じ難い話でしたので、もう一度「本当だね」と念を押してから

「何をぐずぐずしている。早く表玄関を開けよ。私は直ちに、活き菩薩のお迎えに出よう」

 老人は直ぐに引き返し、表玄関を開いて三人を招じ入れました。律芸は家族を従えて玄関まで出迎え

「ようこそお出で下さいました。お迎えにも上がらず、失礼の段どうかお許し下さい」

と平伏しました。大師は、胸に手を合わせて言いました。

「私達は須彌山への求法の途中、一夜の宿をお願いに来た者です。老人の話によれば、是非糯米が必要とのこと。幸い私達は、一人一升ずつの糯米を持っております。三合と言わず、三升使って下さっても構いません」

「有難うございます。この大恩は生涯忘れません」

余りの感激で、言葉もありません。ただ涙を流して、頭を下げるばかりです。大師は、永蓮が背負っている黄色の袋から糯米を出すように命じました。家人の差し出した盆の上に、美しく光った玉のような糯米が載ります。律芸は目を輝かせて、嬉しくて堪らない様子です。急いで三合だけを受け取り、後は無理矢理永蓮に押し返して家人を呼び、直ぐに炊くように命じました。大師は、律芸を制して言いました。 

「この米を炊くときは、水で砥ぎ洗いせず米糠の付いたまま水を入れ、とろ火で炊きなさい。少しの重湯も溢してはいけません。出来上がりましたら、少しずつ匙で口に入れるようになさって下さい」

 主人は大師の注意に感謝し、夫人を呼んで大師から言われた炊き方を教えました。三人を居間に招じ入れた律芸は、心から歓待しました。村外れに置いてきた白象を庭内に連れて来させ、芋や豆などを与え誠心籠めてもてなしました。

 今まで一滴の水も咽喉を通らず危篤状態にあった律芸の子は、不思議にも糯米の重湯を受け入れ少しずつ飲みました。匙を投げていた医師も、これを見て

「助かるかも知れません。糯米の力です」

と感動して言いました。


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