金光明寺修築のために全国の有能な美術・工芸・建築家が妍を競って自発的に労力を提供し捨身奉行したお陰で、工事は予想以上に早く進みました。その陰には、姫を一日も早くお迎えしたいという民衆の願望と、松林精舎での不自由な生活から一刻も早く楽にして上げたいとの願いが籠められていたのです。
姫が普山されるという消息に一番感激したのは、仏門徒です。大乗・小乗各教派を超越して、姫の御出家を救世主の出現と信じました。
真実姫の勇気ある行動は、とうてい凡人の為し得るものではありません。一国の王女に生まれながら、富貴栄華の身分を捨て、花園での労苦や白雀寺での火難に遭われてもなお求道の心を燃やし続ける金剛不壊の心は尊敬して余りあるものがあります。
美しく聡明な姫が自ら孤独克苦の行を受け入れて真理妙法を求め続けられる崇高なお姿を見て人々は、衆生の代わりに抜苦与楽行を為されているのだと信じ込んでいました。正にその通りであります。
二月初旬に起工して五月初旬には金光明寺は荘厳優雅な全容を顕し、その絢爛たる色彩美は近隣に光り輝いていました。六月十九日には、いよいよ姫が金光明寺に入られると発表されました。
民衆が待ちに待った、その六月十九日がやって来ました。姫は宮殿から差し向けられた駕籠を辞退して、保母と永蓮を従え、半年余り修行された懐かしい松林庵から下山されました。当日は朝早くから姫の無事なお姿を一目見ようとする民衆が、沿道に人垣を作りました。数々の御苦労を重ねながらそれに耐えられて今漸く御宿願を達せられ、菩薩行を行じに向かわれるその純真一途の至誠に対して、人々は心から姫の念願達成を祈らずにはおられませんでした。
姫の一行を迎えるために群衆は、沿道の両側に並んで、跪いて静かに合掌しました。姫の一行が通り過ぎるや期せずして皆が立ち上がり、姫の後に従いました。こうして姫の行列は、延々と長蛇の列を成して宮殿に向かいました。金光明寺は宮殿の南方にあり、城下を通らなければ行けません。一団の群衆は姫に従うことが出来た誇りと喜びをもって何時までも何処までもついて来ました。
一方、妙荘王はアナーラに命じて、盛大な姫の歓送を準備させました。罪多き父として、せめてもの懺悔と餞でありましょう。またこれは、俗世における最後の機会でもあります。妙音・妙元の姉姫たちも、夫らと共に正装して出迎えました。
城下に入るや姫は、宮殿に向かって恭しく礼拝し、姉姫夫妻、白雀寺の長老尼僧などの歓迎を受けられました。姉姫達は目を輝かせて姫に近寄り、今日の出家入山式は父王が自らこれを執り行うことになったとお告げになるや、姫は有り難くお受けしますと答えました。
城下で待っていた鉦鼓弦楽隊は、悠揚な梵楽を奏でて姫の前に整列し、静かに動き出しました。空には高く旛、幟が翩翻と林立し、沿道では姫を見送る民衆が手に手に持った花を撒き散らして美しい花道を造りました。値殿将軍カシャーバが、三百の御林軍を率いて護衛の任に就きました。
六街三市の民衆は、総出で姫の行列を見送り、姫も合掌してにこやかに沿道の歓送に応えられ、心から感謝の意を表しました。
遠く聳え立っている耶麻山は雄大にして秀麗な姿を見せており、空には一点の雲もありません。遠くから眺める金光明寺はこの上なく美しく、姫の修行には絶好の場所であり、山川草木も姫の御普山を祝福しているかのようです。
金光明寺は金色と碧色の配色もほどよく輝き、白石で敷き詰めた一条の道が美しく寺院まで続いています。牆は紅を主とした極彩色で四面を囲い、屋根には黄金色の瓦を並べ、美しい中にも荘厳な雰囲気を漂わせています。
寺院に到着した姫は、まず天王殿に登って四大天王を礼拝し、次に弥勒・韋駄天二尊の前に跪き、続いて後殿に進み奥殿に安置された仏陀の像に敬虔な礼拝を捧げ、弥陀に出家手続きを報告申し上げました。
香炉から流れる香りは気高く、燭台の火は明々と点り、鐘と太鼓の合図の中で荘厳な儀式が進められました。老松古柏が高く聳える庭に三十余名の尼僧が合掌して並び、歴史的瞬間に心眼を凝らしていました。
礼拝を終え控えの間で休まれている姫の許に、永蓮が注進に入って来ました。
「姫、父王様が、受戒入位の儀に臨まれるためお成りになられました」
妙荘王お成りの知らせを受けて、姫は早速尼僧を従え、山門で静かに父王を待ちました。やがて、大臣・重臣を従えた妙荘王の輦が到着しました。深く揖礼して王を迎えた妙善姫は、父王に格別の恩情を深く感謝しました。
共に修堂に入られた王と姫は、久し振りの対面に双方とも感無量であります。何も言わず語らずとも、お互いの心は深く通じ合っていました。妙荘王は感慨深く姫を見詰め、目をしばたきながら
「姫よ、父はそなたの受戒入位に親しく立ち会いたいと願っているが、許してくれるか」
優しい父王の詞に姫は、目頭が熱くなり、胸が詰まって
「姫は幸せ者でございます」
と言うのがやっとでありました。父君の慈愛の情が身に沁みて、思わず涙が頬を伝わりました。妙荘王も万感胸に逼って声もなく、じっと姫を見詰めておりましたが、静かに立ち上がって受戒入位の行われる奥殿に向かいました。
奥殿に進んだ妙荘王は、弥陀と仏陀に焼香した後、西方殿にある羅漢堂と伽藍閣にも廻って焼香されてから改めて奥殿に臨みました。他の堂宇にはアナーラ宰相を代理として焼香に行かせ、姫の出家後の修行が無事平安であるよう祈りました。
奥殿では文武百官、各大臣が両側に並び、妙音・妙元各夫妻も参加され、下座には白雀寺の長老尼僧及び保母と永蓮が坐って刻を待っています。
やがて司式が祭事の始まりを告げるや、大勢の比丘尼は木魚を敲き、鐘を鳴らして儀式が始められました。正面に向かって上座に坐った妙荘王は、中央法堂に進みました。そして妙音姫が、玉盤を持って現れました。盤中には受戒入位の教本が置かれ、下手には同じく妙元姫が紫金の托鉢を持って立ちました。保母は黄色の法衣を捧げ、永蓮は帽巾を捧げ持ちました。
願文が終わり、堂内は深閑として静まりました。一同は凝神をして息を止め、固唾を呑みました。眼は鼻を観、鼻は心を観て静寂を保ち、咳一つありません。諸天の神仏尽く霊験を顕し、菩薩羅漢が一柱一柱威厳の形相を現して奥殿に降臨し、姫の捨身修行を庇護されるような重々しい空気に包まれました。
妙荘王は、低く重い声で大典の儀を宣言しました。妙善姫は、平民の服装で、静かに法堂の中央に設けられた台坐に登りました。執事役の二人は一対の長い幡を持ち、他の二人は一対の炉を提げて姫の前に進み、姫を先導して妙荘王の前に坐を奨めました。
香木が燻べられ院内に香煙立ち籠める中で、妙荘王は慈しむような声で姫に語り告げました。
「姫よ、今までそなたとは縁あって父と娘の間柄であったが、暫く経てばもう陌路の他人となる。汝が仏門に入り、求道に精進したいという念願を許そう。今は只、そなたが一心に修道して正果を成就し、ゆくゆくは後世の敬仰の的になることを願うばかりである。一日も早く道を得て、肉親成仏の洪福を受け、更に仏陀の法を普く伝えて世人を救うことを望んでいる。では、そなたは弥陀の座前で正式に発願するがよい。受戒入位の式を始めるように」
姫は三拝して立ち上がり、弥陀尊と仏陀像の前に跪いて、心から誓願を発しました。
「今、人として法門に入られることを幸いに思います。この身ある限り正法を求め続け、衆生がある限りその救苦救難に尽くし終わることがありません。この心身一切を弥陀と、その使命者仏陀にお委ね申し上げます」
誓願を終えて姫は、堂前に跪きました。長老尼僧が謹んでその前に立ち、厳かに受戒入位の式を主祭し、姫の正覚正等への成就を祈りました。
受戒式を終えて長老尼僧から托鉢を渡され徐に帽巾を冠り法衣を纏った姫の出家姿に、父妙荘王は正視するに忍びず、座を立って出て行きました。寺院の庭一杯に詰めかけた群衆、庭園の芝生に黒山のように集まった民衆の中に声なき感動が伝わり、何時までも姫を見守っていました。
宮殿にお帰りになる妙荘王を天王殿までお見送りに出た姫は、王の輦に向かい地に伏して申しました。
「国事御多忙の折、愚尼妙善のために受戒入位式の労を煩わし、深く感謝申し上げます。自今、心より求法修行に生涯を賭ける大覚悟でございます。有り難うございました。茲に全寺の比丘尼を率いて、恭しく王様の御駕をお送り申し上げます。願わくば、吾が王様に万寿彊まりなきよう寿ぎ奉ります」
駕籠の中から見る王の瞳と見上げる姫の瞳が吸い合ったように動かず、暫くはお互いに見合ったままでありましたが、やがて王は黙って頷いたまま御輦を進めました。ゆっくりと遠離る行列をじっと見守る姫のお姿、歴史の瞬間を見た感動か、人情別離の感傷か、顔を伏したまま嗚咽を噛み締めている尼僧達の姿、群衆の波、静けさの中に松林を吹き抜ける風の音が一入無常を誘っていました。
この日から姫は、妙善大師と尊称され、大勢の人から『大師』と呼ばれるようになりましたので、これから後姫のことを単に『大師』の称号で呼ぶことにします。
大師の入門を聞いた人々は、大師の徳を慕って金光明寺を訪れる人が日々に多くなってきました。特に多利という宮女が十人の宮女を連れて入門を請願に来たし、同時に宰相アナーラの末娘舎利尼も入門を願って来ましたので、大師は喜んで彼女達を迎え入れました。
ある日一人の娼婦が罪を悔い、悟りの道を求めて入門を願って来ました。永蓮は彼女の過去を嫌って、大師に
「清浄な寺に不浄な娼婦を迎え入れたら寺を穢し、皆を堕落させてしまいますから是非お止め下さい」
と進言しましたが、大師は永蓮を諭して
「罪を悔い改め、仏門帰依を志して来た人は、みな深い仏縁があります。仏法界は宏大無辺であり、平等利益(りやく)を本旨とします。過去のみを咎めて、将来の成就を阻むことがあってはなりません。仏陀(ぶっだ)の比丘尼(びくに)で神通第一の蓮華色女も、元は罪深い娼婦でしたが、仏法に目覚めて終に正果を成就されたことはよく承知のはずです。真剣に道を求める人は、必ず悪い因縁を断ち切ることが出来ます。快く入門を許して上げなさい」
永蓮は、自分の浅い考えを恥じ、大師に深くお詫びしました。
このように金光明寺は毎日門前市を成し、種々様々な人々が大師を尋ねて集まってきました。そこで大師は、毎月三と六そして九の日に説(せっ)法会(ぽうえ)を開くことに決めました。今までの尼僧達を見ていると、朝夕自分達だけで経義の参悟をするばかりで大衆に法縁を及ぼしていません。これでは、修行者として仏陀の説かれた大乗(だいじょう)の奥義を深く悟ることが出来ないと判断しました。ただ坐行(ざぎょう)瞑想するだけでは霊光の輝き、法輪の順転に欠けるところがありますので、説法会を開けば、大衆の霊気と接することが出来て一層法縁を結ぶことになるため、比丘尼達や大衆を啓蒙することが適うだろうと大師は考えられたのであります。
三・六・九の説法会には、尼僧だけに限らず、在家の縁者達も大勢集まって法場を埋めるようになりました。これらの人の中には信仰心からではなく好奇心で集まって来た人もあり、半信半疑の人も混じっていましたが、何時しか大師の講話に心打たれて信心発起するようになりました。
大師の感化力はこのように大きく、この事が口から口へと伝わり広まって益々大勢の人が集まってきましたので、遂に法場に入り切れなくなりました。大師は更に樹林を切り拓いて法場を広げさせ、台座も高くして、より大勢の人を迎え入れるようにしました。
本来仏道では、出家は十方からの供養を受けるのですが、何故か大師は反対に大勢の人々に粥食を施しました。金光明寺は人里遠く離れている上に、法話は夜明けと夕暮れの二回に定まっていましたので、遠来の群衆達は食事を摂る暇も無い有様でした。そこで大師は、この人達の飢えを慮って、早朝だけ粥食を造らせて随意に食を摂らせたのです。
大師が聴衆に食事を施しているという噂が国中に広まると、寺院の厨所(くりや)には何時しか匿名の農家から食糧の俵が続々と献じられてきました。興林国は農作物として玉蜀黍・小麦・米などを産しますので、人々は自家産物をもって大師の善行をお助けしたい発心で、喜捨を惜しまず献納してきたのです。
大勢の人に毎朝毎朝粥食を施すために大師は、衆尼と共に鍬をとって畑を開墾し、その収穫を以て生活を賄っていました。大師の生活はあらゆる面で差別なく、一般の比丘尼と何ら変わるところがありません。
興林国は西域でも印度に近く、梵文梵語をもって国語として用い、風習は印度と変わりのない厳しい階級制度があったため、大師の差別のない平等思想は多くの人々の心を強く打ちました。そのために大師の生活は、質素で最低限の暮らしでありました。
善行は顕れ難いと言いますが、大師のこのような慈悲行が世に知られないはずはありません。このために愚痴頑迷の人は感化され、疑惑の念を持っている者も、大師の崇高なる心に打たれて、続々と仏道に帰依してきました。
ある朝、宰相アナーラは従僕一人を連れて密かに説法会を見に来ました。その心の中には、愛娘舎利尼の姿を見たいと願う親心が蔵(ひそ)んでいたのかも知れません。しかし、竹舎に入って驚きました。大勢の人が続々と詰めかけて法場を埋め、早くから集まった者は筵を敷き瞑想して静かに待っております。見知った顔に出会えば互いに手を合わせて敬虔な挨拶を交わし、私語する者もなく整然と並び、熱心な表情で大師の出を待っていました。この様子を見たアナーラは、大師の人徳の深さに心を打たれてしまいました。
いよいよ説法が始まりました。場内は人また人の黒山に変わり、大師の左右には寺内の全比丘尼が立ち並んで説法に聞き入っていました。アナーラは、その列の中に愛娘舎利尼を見付けました。荘厳な面持ちのうちにも幸福感が満ち溢れているようです。アナーラは、安心感よりも、大師に感謝する気持ちで一杯になりました。
大師の声は美しく温かい潤いに満ち、よく聴衆の心に浸み渡りました。あるときは静かに、あるときは荘重に、一言一句明瞭に響き、聞く人は天楽に打たれる如く、説法が進むに連れ会場は熱気と興奮の渦に包まれました。
涙を流して聞き入る者、唇を噛み締めて深刻な表情を示す者、喜びに目を輝かせている者、両手を耳に翳して聞き漏らすまいとする者、人それぞれの姿でしたが誰もが心の底から説話に聞き入っています。
素晴らしい、とアナーラは心の中で感嘆しました。知らず知らずの内に大師の話がアナーラの心の中に溶け込み心が洗われて、だんだんと清々しい気分になってきます。法話後、アナーラは宮殿や政務の時に覚える不安・煩悩・雑念が拭い去られているのに大変満足しました。
心の帰住を得たアナーラは、その翌日、説法会の様子を残らず妙荘王に報告すると共に、今の自分の心境をはっきりと王に表明しました。
「王様、老臣が宰相を辞めましたら、是非大師の許へ出家したいと思います」
これを聞いて驚いた妙荘王は、まじまじとそのアナーラの顔を見直しました。
続く・・・