2015年1月15日
会社・家庭あるいは学ぶ時・遊ぶ時など日常生活をそれぞれに分けて意識していないでしょうか? 真実を吸収するには包装しない状態、生活を分断しない状態ではじめて完全に吸収することが可能になります。
コミュニティ生活は重要なことで、いかに人々に溶け込むことが意義あることかを理解する必要があります。
人々の中では自我を拡張できませんし、拡張してはいけません。
そういう意味でもコミュニティでは何らかの規律を守ることになります。その規律をどのように活かすかそれぞれが模範を立て、自分の特徴や経験を発揮して互いに引導しなければコミュニティは停滞してしまいます。
大多数の人々は知らないうちに負の罪悪を増してしまっています。人々が日常注目してしまうのは邪悪な情報・報道ニュースです。暖かいぬくもりを感じさせることは後回しになって、そのため人々の胸中は罪悪に満ちた社会になってしまっています。何故このように狂った社会が渦巻いているのか、その原因は人々の心の中に悪の根を持っているためで、それが環境の影響を受けて邪悪の行為に強い好奇心を示し、知らないうちに負の罪悪を増しています。
コミュニティの中に入ってその人が一番忘れ難いほどのショックを受けることは、他人には理解されない行動をしてしまうことです。その人が肩に背負っている重責は皆から見て疑問でしかないからです。積極的なことは普通は成り立たないことになっています。つまり本来やらなければならないことはできないということなのです。かえって暗黒に引っ張られてよい面が覆い被されてしまうことがあります。
おおよそは、ただ邪悪に注目するだけで人の良いところには心を置かず、多くの人はコミュニティの中で現実に目に見えるものに執着しているだけに過ぎないということができます。
人の邪悪に注目することは良くない、そうではありませんか? 人の良い行動に注目すれば、さらにまた多くの正の課題を生ずることができます。罪悪を重視しなければ罪悪を消すことができると思いませんか? 自分の意志として、人の良いところを良く見るように自分自身を説得するようにしませんか?
そして、罪悪を見ないようにするには
1、 悪いところを見て自分の反省にする。
2、 人の悪いところは自分をあらわしている。
3、 自分の心が相手にあらわれている。
必ずしも他人の欠点を特別に排除するものではなく、人の善行に着眼します。善行を賞賛することを借りて、罪悪を少なくすることができます。罪悪を諌めると同時にこの方法に注意してください。
また、問題点を提出すると同時に問題を解決する能力があるかを意識しましょう。なぜなら能力がなければ傷口を大きくしてしまうからです。話し合いをする時、十分問題を深く突き詰めているかどうかをチェックしてください。問題を提出できる人が必ずしも問題を解決できるものではありませんが、しかしプロセスとしてまず問題を提出すべきです。
コミュニティの皆が経験を分かち合う(皆で考える)ことではじめて団結を強くします。解決策を言えなくとも責任を回避することがないように勇気を出して自分の意見を言ってください。さらに良くなるために方向付けを導くようにしましょう。
コミュニティの中では良いところを見て、悪いところを見えたら自分のところで止めて、さらに拡散しないようにしましょう。
励ましあってよく研究しましょう。